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大阪高等裁判所 平成6年(う)593号 判決 1996年3月05日

本店所在地

奈良市南京終町四丁目二四七番地

草竹コンクリート工業株式会社

右代表者代表取締役

草竹杉晃

本籍

奈良市西木辻町一三二番地

住所

奈良市南京終町一丁目一〇七番地

会社役員

草竹杉晃

昭和九年一一月一二日生

本籍

奈良市西木辻町一三二番地

住所

奈良市南京終町一丁目一〇七番地

無職

草竹晴美

昭和一二年一月一七日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成六年五月六日奈良地方裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原判決中、被告人草竹杉晃及び草竹晴美に関する各部分を破棄する。

被告人草竹杉晃及び草竹晴美をそれぞれ懲役一年二月に処する。

被告人草竹杉晃に対し、原審における未決勾留日数中六〇日をその刑に算入する。

被告人草竹晴美に対し、この裁判確定の日から四年間その刑の執行を猶予する。

被告人草竹コンクリート工業株式会社の本件控訴を棄却する。

原審における訴訟費用は、被告人草竹コンクリート工業株式会社と連帯して被告人草竹杉晃及び同草竹晴美に負担させ、当審における訴訟費用は被告人三名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人平田友三、同髙野嘉雄共同作成の控訴趣意書(第一部)、控訴趣意書(第二部)及び平成七年一〇月一二日付「意見書」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官秋本讓二作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

そこで、所論(当審における弁論を含む。)にかんがみ、原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討した上、各論旨につき、次のとおり判断する。

各控訴趣意中、事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について

一  被告人草竹杉晃の本件各ほ脱の犯意及び被告人草竹晴美との共謀についての事実誤認の主張について

論旨は、売上除外等の方法による本件脱税は、被告人草竹晴美(以下、「被告人晴美」という。)の単独行為であり、被告人草竹杉晃(以下、「被告人杉晃」という。)は、本件脱税に全く関知していないのに、原判決は、被告人杉晃に本件ほ脱の犯意を認め、被告人晴美との共謀を認定しているもので、この点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というものである。

しかしながら、原判決が、被告人杉晃に本件ほ脱の犯意を認め、被告人晴美との共謀を認定したのは相当であり、「争点に対する判断」の項において、補足的に説明するところも、後記の荒井左官工業所関係に関する部分を除き、相当として是認することができるのであって、当審における事実調べの結果によっても、右の結論は動かない。

(一)  所論は、原判決は、被告人杉晃が、高津屋ら取引業者に対し、被告人草竹コンクリート工業株式会社(以下「被告会社」という。)宛の請求書の請求金額に端数を付けることや請求書の品目に真実の商品名を記載しないことなどを依頼した旨認定し、同被告人が右業者らからの請求書について、請求金額の端数を赤鉛筆で削って値引きを業者に提示していたことをもって、同被告人が被告会社の不正経理を知っていたことの一つの理由として説示しているが、<1>もし、被告人杉晃が業者に対し不正な経理処理を依頼し協力してもらったのならば、返礼の意味で業者からの請求をそのまま認めるのが普通で、請求書の請求金額の端数を削り、値切るといった不合理な行為をとるとは考え難いし、<2>そのような行為をすれば、当然同被告人に対し業者から苦情が申し立てられるはずであるのに、同被告人に苦情があったという事実もないことなどからすると、不正な経理処理を業者に依頼したのは被告人晴美で、被告人杉晃は、そのことについては何も知らず、社内への牽制として請求書にも十分目を通し点検していることを社員に示していたにすぎなかったのであるから、原判決の右説示は誤っている、というものである。

しかしながら、<1>内野正敏の検察官に対する昭和五九年三月一二日付供述調書(原審弁護人請求証拠番号二三号、写し)によると、被告人杉晃は、支払いについて甚だ厳しく、まともな注文であっても値切るのが当然との考えを持ち、一旦決定された発注でも、後日「まともに払うやつがいるか。」と言って、決まっていた値段を値切っていたことが認められるから、そのような被告人であれば、取引業者に不正経理を依頼していながら、その業者からの請求書の請求金額の端数を削ったり、値切ったりすることも十分あり得ることと考えられるし、<2>被告人晴美の検察官に対する昭和六〇年一月二七日付供述調書(原審検察官請求証拠番号三四〇号)によると、被告人杉晃には、請求金額を値切る癖があり、値切ったものを会計が支払う場合は、予め相手業者に連絡して納得してもらうこともあるし、値切った金額を送金し、後に相手業者から問い合わせがあった際に、社長の決済でそのようになった旨説明していたこともあったことが認められるから、被告人杉晃に対し直接苦情がなかったからといって、そのことが同被告人が取引業者に対し不正な経理処理を依頼していないことの証左であるともいえないのであるから、所論は採用できない。

(二)  自宅建築費用の被告会社経費への付け込みについて

(1)  株式会社金幸関係

所論は、原判決は、刑訴法三二一条一項二号により採用した井上幸夫の検察官調書その他の関係証拠により、株式会社金幸の代表取締役であった井上幸夫は、被告人杉晃らが自宅建築費用の一部を被告会社の費用で賄っていることを察知していたことから、同被告人らに被告会社の経費で落とす話をもちかけたと認定しているが、井上は、原審では、被告会社の経費で落とす話をもちかけたことは間違いないが、誰にその話をしたか記憶がなく、検察官から取り調べられた際も、その点についてあやふやな記憶しかなかったと供述していることからすると、井上の検察官調書は、あやふやな記憶による供述を断定的な供述として作成されたもので、信用性及び特信性を欠くものであり、このような証拠に基づく原判決の右認定は、事実を誤認したものである、と主張する。

そこで検討すると、井上の検察官に対する昭和六〇年一月二九日付供述調書(原審検察官請求証拠番号四七七号)には、原判決の右認定に添う供述記載が存するのに対し、同人は、原審(第一八回公判)では、所論のような供述をしていることは確かであるが、関係証拠によると、同人は、株式会社金幸の代表取締役で、同社は木材の販売等を業務とし、昭和五五年三月ころから度々高価な木材を被告人杉晃に売却して利益を得ていたものであって、井上としては、それまでの取引の関係等から、同被告人の面前では、同被告人に不利益なことを供述し難いような状況にあったと思われること、同人の検察官調書は、格別不自然と思われる供述記載はないのに対し、同人の原審供述は、時間の経過により記憶があいまいになっている部分がある上、全体として被告人杉晃を庇っていることが窺われることなどを総合すると、所論の指摘する、井上の検察官による取調べ状況等の点を検討しても、同人の検察官調書の方が同人の原審供述よりも信用性があり、特信性も認められるのであって、同検察官調書その他の関係証拠に基づく原判決の前記認定に誤りはなく、所論は採用できない。

(2)  高津屋関係

所論は、原判決は、建具製造販売業者高津屋の経営者中田雅之の原審供述により、被告人杉晃は、昭和五六年七月ころ、高津屋に自宅の建具を代金二三五〇万円で発注し、昭和五六年一一月末ころ、中田から内入金の支払いを請求された際「会社の経理として内入金では通らないから、請求書を送ってほしい。そのときは明細を適当につけ、請求金額にも端数をつけてほしい。」とか、「領収書の宛て先を被告会社にしてほしい」などと依頼した旨認定しているが、<1>中田の被告会社宛の昭和五八年三月二五日付の請求書には、端数のない三〇〇万円の請求金額と、「第3回内入金トシテ」との記載があり、もし、中田が被告人杉晃から原判決の右認定のような依頼をされたのならば、右のような請求書を作成するはずがないこと、<2>(イ)中田は、原審において、中田作成名義の額面二八七万円の昭和五六年一二月二五日付領収書について、金額がチェックライターで印字されていることからみて、その日に被告会社から小切手を受け取って自分の店に戻り、そこで右領収書を作成して被告会社に郵送したものである旨供述しているが、額面二八七万円の小切手が渡されたのに、その場で領収書が授受されないということは通常考え難いこと、(ロ)中田は、原審において、当初、被告会社事務室で被告人杉晃から領収書には草竹コンクリート工業株式会社と書いてくれと言われ、額面二八七万円の小切手を受け取って領収書を作成したと供述していたが、その後、現金を送ってきた時に領収書を郵送してくれというメモが入っていたので領収書を郵送したと供述を変え、同被告人から被告会社事務室で領収書の宛て先を会社にしてほしいと依頼されたとの前記供述を否定する供述をしていることなどに鑑みると、中田の原審供述は信用できず、したがって、右供述に基づく原判決の右認定は事実を誤認したものである、と主張する。

そこで検討するに、右<1>については、中田が、被告会社宛の昭和五八年三月二五日付の請求書(原審検察官請求証拠番号四一二号、抄本)に所論のような記載をしたことは認められるが、それは、同人の原審供述(第五回公判)によると、昭和五六年一一月ころ、被告人杉晃から「内入金では通らない。」「請求金額に端数をつけてほしい。」と言われていたが、右請求書は被告人杉晃から右のように言われてから一年以上も経過していたことから同被告人の言ったことを忘れていたためそのような記載になったことが認められるから、原判決の右認定が不合理であるとはいえない。

次に、右<2>の(イ)については、額面二八七万円の小切手が交付されたからといって、必ずその場で領収書が授受されるとは限らず、両名の関係等から後に領収書が持参あるいは郵送されることも十分あり得ることと考えられる。

更に、右<2>の(ロ)については、中田が、原審(第五回公判)において、当初検察官の質問に対しては、被告会社事務室で被告人杉晃から額面二八七万円の小切手を受け取り、その場で領収書には草竹コンクリート工業株式会社と書いてくれと頼まれたので領収書にその旨記載してそれを同被告人に交付した旨の供述をしていたが、弁護人の反対尋問では、右領収書は郵送したと供述を変えていることは確かであるものの、所論の、中田の原審供述中における、「現金を受け取った時に領収書を郵送してくれとのメモが入っていたので領収書を郵送した。」とする領収書は、その供述の前後の趣旨からすると、額面二八七万円の前記領収書を意味するものではなく、その後に中田に現金が送金されてきた際に郵送した別の領収書に関するものと認められるから、所論は、前提において誤っており、中田が、原審において、当初領収書をその場で交付したと供述していたのに、その後領収書は郵送したと供述をかえていることも、被告会社事務所において被告人杉晃から領収書を被告会社宛にしてくれと頼まれたとの中田の原審供述そのものの信用性には影響を与えないというべきである。

(3)  株式会社西川銘木店関係

所論は、原判決は、株式会社西川銘木店の従業員安井正生の原審供述により、被告人杉晃は、昭和五七年一月ころ、株式会社西川銘木店に自宅用の天井板(代金六五〇万円)を発注したが、その際、同店従業員の安井に対し、「西川銘木店と取引をしたことがお互いにわからないようにしてほしい。請求書には銘木店ということを出さず、明細の記載もしないで欲しい。また、金額を分けて請求して欲しい。」などと依頼した旨認定しているが、安井は、原審において、検察官の質問に対しては、原判決の右認定に添う供述をしているが、弁護人の反対尋問に対しては、被告人杉晃から依頼されたとは断定できない旨供述を変更しているのであるから、同人の原審供述による原判決の右認定は誤っている、というものである。

そこで検討すると、安井は、原審(第四回公判)において、被告人晴美から原判決の右認定のような内容の依頼があったか否かについては、ややあいまいな供述をしているものの、被告人杉晃から右のような依頼があったことは、主尋問及び反対尋問においても一貫して供述しているところであり、その供述の信用性に疑問を入れる余地はないから、所論は採用できない。

(4)  太陽電機工業関係

所論は、原判決は、刑訴法三二一条一項二号により採用した守岡貞夫の検察官調書その他の関係証拠により、被告人杉晃らは、昭和五六年三月ころ、太陽電機工業(代表者守岡貞夫)に対し、自宅の電気工事を発注し、守岡は、出来高に応じて宛て先を「草竹邸」とした請求書を送付していたが、同年暮れころに工事の打合せをした際、被告人杉晃から、「これから自宅の工事分の請求書や領収書の宛て先は会社にしてくれ。」と依頼されたので、昭和五七年七月二五日以降、自宅工事代金の請求書を被告会社宛にし、被告会社から支払いを受けた旨認定しているが、守岡は、原審では、草竹邸の工事代金の請求書の宛て先を草竹コンクリート工業株式会社宛に変更したのは、工事現場の入口のところに「草竹コンクリート工業株式会社研究所」という看板が立っていたので、ここが会社の研究所になると思ったためである、検察官の取調べの際も、被告人杉晃から請求書等の宛て名を会社にしてくれと依頼されたことはないと供述していたが、調べが長時間になるとともに、他の工事会社の社長も皆請求書の宛て先を会社にするよう被告人杉晃から依頼を受けたと述べている旨言われたため、同被告人から依頼されたことを認める旨の調書となったと供述しており、守岡の検察官調書は信用性、特信性を欠くのであるから、そのような証拠に基づく原判決の右認定は事実を誤認したものである、というものである。

そこで検討するに、守岡の検察官に対する昭和六〇年二月二日付供述調書(原審検察官請求証拠番号四七〇号)には、原判決の右認定に添う供述記載が存するのに対し、同人は、原審(第一五回、第一六回公判)では、所論のような供述をしていることは認められるけれども、同人は、太陽電機工業の名称で電気工事業を営むもので、昭和五六年ころ、被告人杉晃の新築の自宅や被告会社の電気工事を請け負い(右新築の自宅分の請負代金は一一〇〇万円)、工事の進行の都度請負代金の支払いを受けていたのであって、同人としては、それまでの同被告人との取引の関係等から、同被告人の面前では同被告人に不利益なことを供述し難いような状況にあったと考えられること、同人の検察官調書には、格別不自然、不合理な供述記載はないのに対し、同人の原審供述によると、工事現場に会社の看板が立っていたことから、請求書の宛て名をそれまで草竹邸としていたのを被告会社に変えたが、そのことを予め被告人杉晃らに連絡しなかったというのであるが、そのようなことは不自然であること、同人の原審供述等によると、同人は、被告人杉晃の自宅の電気工事分と被告会社の電気工事分の代金請求について、請求書控えの綴りを別々にして保管していたところ、自宅分の請求書は、昭和五七年七月二五日分以降、宛て名を草竹コンクリート工業(株)としていたが、昭和五八年一月二〇日分の請求書は、金額九二万九〇八〇円、宛て名は草竹コンクリート工業(株)と記載した上、明細部分では、草竹邸として三五万二〇八〇円、草竹コンクリート工業(株)として五七万七〇〇〇円と二つに分けて記載していたことが認められ、もし、同人が被告人杉晃の自宅を会社の研究所だと思ったのであれば、右請求書の明細部分に右のような草竹邸といった記載をするとは考えられないことなどを総合すると、同人の検察官調書の方が同人の原審供述よりも信用性があり、特信性も認められるのであって、同検察官調書その他の関係証拠に基づく原判決の前記認定に誤りはなく、所論は採用できない。

(5)  株式会社瓦宇工業所関係

所論は、原判決は、株式会社瓦宇工業所取締役小林俊一の原審供述その他の関係証拠により、被告人杉晃らは、昭和五四年秋ころ、自宅の瓦葺き工事を株式会社瓦宇工業所に発注したが、昭和五八年六月二一日ころ、被告会社二階事務所において、被告人杉晃と小林との間で残代金の清算の話合いが行われ、その際、被告人杉晃は、小林に対し、工事に不満があるとして値引きを要求し、その代金を減額させたのち、被告会社振出の小切手で支払った旨認定しているが、小林は、昭和五九年七月一七日付査察官調書では、昭和五八年六月二一日午後一時三〇分ころ、被告会社に行き、被告人杉晃から、額面五五万円の小切手を貰ったが、この時以外の代金の回収は、会社の従業員に行かせたと供述しているのに、原審では、昭和五五年一二月二〇日に二一九万八〇〇〇円を自分が受け取ったことは間違いないと供述を変えており、同人の原審供述の信用性は乏しいと考えられるから、その供述による原判決の右認定は誤っている、というものである。

そこで検討するに、小林は、原審(第五回公判)において、検察官の主尋問に対し、原判決の右認定に添う供述をしており、それは弁護人の反対尋問でも揺らいでおらず、その内容からみても右供述は十分信用できると考えられ、所論のような供述の変遷はその信用性に影響を与えないということができるのであって、右供述その他関係証拠に基づく原判決の前記認定に誤りはない。

(6)  西村雄司関係

所論は、原判決は、西村雄司の原審供述その他の関係証拠により、西村は、昭和五七年六月ころ、被告人杉晃らから、自宅の格子天井にはめ込む板に干支を二組(合計二四枚)彫刻することを代金八八万円で依頼され、同年一二月末か翌五八年一月末ころ、残代金五八万円を被告人杉晃から現金で受領したが、その際、同被告人から依頼されて、被告会社宛ての昭和五七年一二月三一日付請求書と昭和五八年一月三一日付領収書を作成、交付した旨認定しているが、<1>西村の原審供述によると、右領収書を作成する時、被告人杉晃から言われて、宛名を「草竹コンクリート株式会社」と書いたというのであるが、被告会社の名称は草竹コンクリート工業株式会社であるから、代表者である被告人杉晃が、西村に草竹コンクリート株式会社と指示するとは考えられず、また、被告人杉晃がそのような誤った記載のある請求書を受け取るかどうか疑問があること、<2>西村は、原審では、納品の日や原判決の右認定のような依頼をされた日、あるいは代金を受領した日について、昭和五七年一二月末日か同五八年一月末日のどちらであるのかについて、次から次へと供述を変遷させている上、当初、右のような依頼をしたのは被告人杉晃で、被告人晴美からは依頼されていないと供述していたのに、弁護人からの反対尋問では、被告人晴美からも依頼されたような気もすると供述を変えていることなどに鑑みると、西村の原審供述の信用性は乏しく、そのような供述に基づく原判決の右認定は誤りである、というものである。

そこで検討するに、右<1>については、西村の原審供述(第一七回公判)によると、西村は、被告人杉晃から請求書や領収書の宛名を会社にしてくれと頼まれ、被告会社の正式名称が草竹コンクリート工業株式会社であったのに、誤って「草竹コンクリート株式会社」と記載したというのであるが、同人が被告会社の名称を右のように誤ることも、また、そのように誤って記載された請求書等を被告人杉晃がそのまま受領することもあり得ることと考えられるから、請求書等の宛名の記載が右のように誤っていることをもって、西村の供述の信用性がないことの理由とすることはできない。

次に、右<2>については、西村は、原審において、所論のように、納品の日や請求書を作成した日、あるいは代金を受領した日について、不明確な供述に終始していることは確かであるが、請求書等の宛名を会社にするよう依頼した人物については、検察官の主尋問に対し、被告人杉晃から依頼されたと供述しており、弁護人の反対尋問でも、被告人晴美が依頼するようなことを言ったかどうかについては、あいまいな供述をしているものの、被告人杉晃から依頼があったとの右供述は維持していることなどに照らすと、西村の原審供述に右のようなあいまいな点があることをもって、それが被告人杉晃から依頼されたとの供述部分の信用性に影響を及ぼすものとは考えられず、原判決の前記認定に誤りはない。

(7)  荒井左官工業所関係

所論は、原判決は、荒井左官工業所の経営者荒井稔の検察官調書及び原審供述により、被告人杉晃らは、自宅の左官工事を荒井左官工業所に請け負わせ、昭和五八年五月二五日ころ、被告会社二階事務所において、被告人晴美が被告人杉晃の面前で被告会社振出の小切手と支払期日が三か月位先の株式会社大林組振出、被告会社裏書の約束手形で工事代金を支払おうとしたところ、荒井が、その場で「職人の手間賃を支払うのに手形では困る。」と不服を言ったのに対し、被告人杉晃が、「今度から気をつけるから。」と答えたため、荒井は、仕方なく約束手形等を持ち帰り、後日、これらを取り立てに回して支払いを受けた旨認定しているが、被告会社の関連会社の役員である西野達治作成の黒表紙のノートには、被告人杉晃が、昭和五八年五月二五日、西野と共に午前九時から午後七時一〇分までの間、奈良警察署で内野正敏を告訴した件で事情聴取を受けた旨の記載がある上、被告人杉晃が使用していた昭和五八年の手帳にも、同年五月二五日は一日中警察にいた旨の記載があり、被告人杉晃及び西野も、原審において同旨の供述をしているのであるから、同被告人は、その日に被告会社の事務所には行っておらず、同被告人が荒井と会社事務所で会うことはあり得ないのであって、被告会社事務所において被告人杉晃から「今度から気をつけるから。」と言われたとの荒井の検察官調書の記載及び原審供述は、信用性がなく、そのような証拠による原判決の右認定は誤っており、被告人杉晃には、被告会社の修繕費として付け込んだとされる昭和五七年七月期分の一八五万円と同五八年七月期の二六八万三〇〇〇円についてほ脱の犯意に欠けていた、というものである。

そこで検討すると、荒井は、検察官に対する昭和六〇年一月三〇日付供述調書(原審検察官請求証拠番号四七五号)及び原審(第六回公判)において、領収書の日付である昭和五八年五月二五日に被告会社の事務所に行き、前記の小切手と手形を受け取ったと供述しているところ、荒井左官工業所作成の領収書(右検察官調書末尾添付のもの)の日付は、「五八年五月二五日」となっており、同工業所作成の昭和五八年四月二五日付請求書には、被告会社の昭和五八年五月二五日の日付の入った「支払済」の印が押捺されていることが認められるから、荒井が右小切手と手形を受領したのは昭和五八年五月二五日に間違いないと思われる。

そして、被告会社の関連会社である草竹セラミック株式会社常務取締役の西野達治の原審供述(第八回公判)及び同人作成の黒表紙のノート一綴(当庁平成六年押第一八五号の九)によると、西野は、被告会社の元社員の内野正敏が昭和五八年一月に急に辞職願を提出して被告会社に出社しなくなったことから、同人が行ったと思われる不正行為を調査するなどし、その経過等を右ノートに記載していたが、右ノート中には、「58 5、25(水) 午前9:00~午后7、10分、中くぼ係長、奈良ケイサツ 内野、告訴、手続出頭、訴状作成(2F 8号、調室で)草竹社長、西野出頭、口頭訴状」との記載があり、また被告人の当審公判廷における供述及び一九八三年(昭和五八年)の手帳一冊(当庁平成六年押第一八五号の六一)によると、右手帳は被告人杉晃が使用していたものであるが、その五月の予定表欄には、「25日水 9ケイサツー1日中」との記載があり、右のノートと手帳の記載に特に作為が加えられたことを窺わせる事情が認められないことなどを総合すると、荒井が被告会社事務所で右の小切手と手形を受領した昭和五八年五月二五日は、被告人杉晃は、午前九時ころ、内野を告訴した件で奈良警察署に行き、同日午後七時一〇分ころまで警察官から事情聴取を受けていたため、被告会社事務所にいなかった蓋然性が高く、したがって、その日に同被告人と被告会社事務所で会ったとの荒井の右供述の信用性は乏しいというべきである。

そうすると、荒井の右供述に基づく原判決の前記認定は誤りであるといわざるを得ないが、原判決が被告人杉晃の本件ほ脱の犯意及び被告人晴美との共謀の認定の根拠として掲げた間接事実のうち誤認しているのはこの荒井左官工業所関係のみであり、その他の間接事実により、右犯意及び共謀は優に認定できるのであるから、原判決の右の誤認は、被告人杉晃の本件ほ脱の犯意や被告人晴美との共謀の認定に影響を及ぼすものではないというべきである(なお、虚偽過少申告による法人税ほ脱犯の故意としては、真実の所得に比して過少な所得額に基づいての過少の税額を算出し、その記載のある確定申告書を提出することの認識があれば足りると解する。)。

(8)  上板正明関係

所論は、原判決は、刑訴法三二一条一項二号により採用した銘木商の上板正明の検察官調書その他の関係証拠により、被告人杉晃らは、昭和五六年夏から同年一〇月ころに上板から杉の原木を買うことにしたが、同年一一月中旬ころ、被告会社事務所において、上板と被告人杉晃及び同晴美との間で代金等の打合せをし、代金を二四〇〇万円とすることに取り決め、その際、前回の査察で裏取引にしていたことがばれていたことから、上板が被告人杉晃らにこれからの請求書の記載方法等を尋ねたところ、被告人晴美は、被告人杉晃の面前で、被告会社が購入したように品名を「松パレット」に書き換えた上、被告会社に請求するように指示したのであり、上板は、その後も自宅建築用の木材を被告人杉晃らに販売し、請求書の名目をどうするか被告人晴美に確認したうえ、従来どおり、品目を松パレットと記載した請求書を送付して被告会社から支払を受けていたが、その中には被告人杉晃自身がそのように指示した取引もあった旨認定しているが、<1>上板は、原審では、被告人晴美が請求書の品目を「松パレット」に書き換えるよう指示した際、被告人杉晃が同席していたかどうかはっきりしないし、検察官の取調べの時も、同じように答えていたが、長時間いろいろと理論的に追及されたため、やむを得ず被告人杉晃が同席していたことを認める内容の検察官調書が作成されてしまったと供述していること、<2>検察官調書には、上板が、前回の査察が入った後に被告人杉晃らに今後の請求書の記載方法等を尋ねたとの記載があるが、前回の査察があったのは、昭和五六年一〇月二八日であるところ、同人が初めて品目を松パレットと偽って被告会社に送った請求書には、発行日昭和五六年一〇月二〇日、金額八二五万円と記載され、一一月二日付の被告会社の受付印があり、上板の原審供述によると、発送日とは商品を発送した日のことを指すが、日にちを遡らせて記載することはないということであるから、上板が品目を松パレットとして原木代金を請求することは昭和五六年一〇月二〇日以前に決まっていたことになり、したがって、検察官調書の右記載は客観的な事実に反することになること、<3>更に、検察官調書には、(イ)本件杉の原材すべてが被告人らの新築の家に使われているとの記載があるが、上板の原審供述によると、半分以上は余って半製品で納めているし、スライスしてベニヤ板に貼ったものは被告会社の社屋に使用されているということであり、また、(ロ)二四〇〇万円分のパレットを一度に納入するのはおかしいので、三回に分けて請求書を出す形をとることにしたとの記載があるが、同人の原審供述によると、金額が多額であったためと、商品の材料を加工するなどして納入するのに時間がかかったため、三回に請求書を分けたということであり、このように検察官調書には上板の記憶に反する供述記載部分がかなりあることなどに鑑みると、同人の検察官調書は、信用性、特信性を欠くものであり、このような証拠による原判決の右認定は誤りである、というものである。

そこで検討するに、上板は、木材業を営むものであるところ、昭和五四年三月ころから被告人杉晃に対し度々高価な木材を売却してその代金の支払いを受けてきたもので、その取引の関係等から、同被告人の面前では、同被告人に不利益なことを供述しづらい状況にあったと思われること、右<1>については、上板が原審(第二〇回、第二一回公判)において所論のような供述をしていることは確かであるが、同人が検察官の取調べを受けたのは昭和六〇年一月二六日であるところ、その約半年前の昭和五九年七月二七日にも大蔵事務官による取調べを受けており、その際にも被告人晴美からメモを渡され品目を書き換えることを依頼された時被告人杉晃も同席していたことを認める旨の供述をしていることなどに照らすと、検察官による取調べ状況についての上板の右供述は信用できないこと、右<2>については、検察官調書に、所論のような、前回の査察が入った後に被告人杉晃らに今後の請求書の記載方法等を尋ねた旨の記載があることは間違いないところ、上板は、原審においても、同様の供述をしている上、同人の原審供述によると、被告会社に送付した請求書中の発送日等の記載は同人がいいかげんに書いたもので、正確なものではないというのであって、所論の指摘する請求書の記載から、検察官調書の右記載が客観的事実に反するものであるとはいい難いこと、右<3>については、上板は、原審において、所論の(イ)や(ロ)のようなことを供述しているのであるが、たとえ、そのようなことがあったとしても、それらの事柄の性質からして、上板の検察官調書全体の信用性が低下するとは考えられないことなどを総合すると、同人の検察官調書の方が同人の原審供述よりも信用性があり、特信性も認められるのであって、同検察官調書その他の関係証拠に基づく原判決の前記認定に誤りはなく、所論は採用できない。

(三)  滋賀工場セラミック機械設備の費用を経費として仮装計上したことについて

(1)  有本工業関係

所論は、原判決は、有本工業代表者の有本良三及び内野正敏の各原審供述により、被告会社は、有本工業にセラミック設備の泥漿前処理装置一式工事を請け負わすことになり、昭和五六年一〇月六日、被告人杉晃と有本工業代表取締役有本良三との間で、総工費二五〇〇万円、契約締結時に内金六五〇万円を支払う等の内容の契約を締結したが、内野は、被告人杉晃から、右代金を型枠製造代金のように装って支払うよう指示され、有本に対し、予め右契約当日に白紙の請求書を持参するように依頼していたが、右契約締結の際、請求書に記載する品目を変えてほしいと依頼して、六五二万円に相当するコンクリート型枠の個数、単価を記載したメモを渡したので、有本は、被告人杉晃の面前で、メモのとおり請求書に記載し、それを同被告人に渡して同被告人から六五〇万円の約束手形を受け取った旨、その後、有本工業は、被告会社から昭和五七年五月、同年六月及び同年九月に残代金の支払いを受けたが、内野は、被告人杉晃の指示に基づき、その都度有本に連絡して白紙の請求書を送付させたり、品目を型枠と記載した請求書を送付させるなどした旨認定しているところ、<1>有本は、原審において、原判決の右認定に沿う供述をしているが、昭和五六年一〇月六日に成立した契約書には、契約時に六五〇万円を支払う旨記載があるのに対し、有本が同日作成したと供述している請求書には、請求金額が六五二万円、品名等がL型水路型枠H-二〇との記載があり、しかも、右請求書には被告人杉晃が使用する検印(日付は五六年九月一六日)が押捺してあることからすると、右請求書は右契約の成立以前に作成されたことが明白であり、内野から有本に対し、右契約書作成以前の段階でそのような記載をするよう指示していたと思われるから、これに反する有本の原審供述は信用できず、<2>内野も、原審において、原判決の右認定に沿う供述をしているが、同人は、被告会社に就職するに際し、横浜工業大学卒業等と学歴を偽り、また、熱工学の専門家で博士号まで持っているとか、弁理士の資格を持っている等と詐称しただけでなく、被告人杉晃を裏切り取引業者から巨額のリベートを騙取し、しかも、それが同被告人に発覚しないようにするため、同被告人と取引業者を会わせないように工作していたもので、被告人杉晃は、内野が辞職し、その違法行為が分かった後、直ちに奈良警察署に被害届を出して内野を告訴した結果、同人は、有印私文書偽造、同行使、詐欺罪により懲役三年の実刑判決を受けて服役した人物であるから、同人の供述の信用性は全くないというべきで、同人は、被告人杉晃に相談することなく、単独で有本に請求書に型枠と虚偽の記載をさせていたものであり、それは、もし自分がリベートを取っていることが発覚した場合に、被告人杉晃に同被告人が脱税行為をしていると脅し、同被告人に警察に被害申告をさせまいと考えていたものであって、被告人杉晃は請求書の書き換えには全く関与していなかったのであるから、原判決の右認定は誤っている、というものである。

しかしながら、有本が、原審(第二一回、第二二回公判)において、所論のような供述をしており、右請求書(当庁平成六年押第一八五号の一〇)には所論のような記載、押印がなされていることは認められるが、有本の原審供述によると、同人は、内野からメモを渡され、それに基づいて金額等を記載したというのであるから、契約書に記載されている金額と右請求書に記載されている金額が僅かに異なっていることをもって、右請求書が右契約書と同じ機会に作成されたことを否定する根拠とすることはできないし、内野の原審供述(第二四回公判)及び被告人晴美の当審供述その他の関係証拠によると、右請求書に押捺されている印は被告人杉晃が検査する際に使用するものであるが、右印の日付は同被告人が押捺した日ではない日付が表わされていたこともままあったことが認められるから、右請求書に押捺されている印の日付が五六年九月一六日となっているからといって、そのことから直ちに、右請求書が右契約書が作成された昭和五六年一〇月六日より先に作成されたものと見ることはできないというべきであり、その他所論の指摘する点を検討しても、有本の原審供述の信用性に疑問を差し挟む余地はない。また、関係証拠によると、内野が所論<2>のような人物であることは認められるが、取引業者から送付されてきた請求書は必ず被告人杉晃の元に提出されて同被告人によりその内容を検査される上、同被告人はほとんどの場合取引業者に値引きさせており、同被告人自身が電話をして値引きの交渉をすることもあったのであるから、所論のように、内野が取引業者の請求書を被告人杉晃に無断で書き換えさせていたのであれば、同被告人に請求書の記載が虚偽であることに気付かれ、ひいては内野が業者から多額のリベートを取っていることまで発覚してしまう虞があったのであるから、内野があえてそのような危険を犯すとは考え難いこと、内野の右供述が信用性を是認できる有本の右供述に合致していることなどに照らすと、内野の右供述の信用性も是認できるというべきであり、これらの供述に基づく原判決の前記認定に誤りはなく、所論は採用できない。

(2)  林正産業関係

所論は、原判決は、内野の原審供述により、被告会社が林正産業に注文したスプレードライヤー用煙突等につき、内野が、被告人杉晃の指示により、昭和五七年一月ころ、林正産業の経営者小林正勝に対し、請求書の品目をブロック型枠等に書き換えるよう依頼したと認定しているが、内野の原審供述が信用できないことは前記(1)で述べたとおりであり、小林に対しても、内野が被告人杉晃に無断で依頼したことであるから、原判決の右認定は誤っている、というものであるが、内野が被告人杉晃に無断で同被告人が必ず目を通す請求書に業者に虚偽の記載をさせるとは考え難いこと、並びに同人の原審供述の信用性を是認できることは前記(1)で説示したとおりであって、所論は、採用できない。

(3)  有本鉄工関係

所論は、原判決は、内野及び加藤茂の各原審供述により、被告会社が昭和五七年五月に有本鉄工に発注したセラミック機械設備につき、内野が、被告人杉晃の指示により、有本鉄工代表取締役の有本幸弘に対し、ブローカーの加藤茂を介して請求書の内容を型枠代と記載して再発行してほしい旨依頼し、これを受けて有本は、右依頼の趣旨に従った請求書を作成して加藤に交付した旨認定しているが、加藤は、原審では、内野から、請求書の品目を型枠に書き換えるよういつも社長から指示されているということを聞いていたが、内野以外の者からは、そのようなことを聞いたことはないと供述しており、内野の原審供述に信用性がないことは前記(1)で述べたとおりであるから、有本に対しても内野が被告人杉晃に無断で請求書の書き換えを行わせたものというべきであり、原判決の右認定は誤っている、というものである。

しかしながら、内野が被告人杉晃に無断で同被告人が必ず目を通す請求書の書き換えをさせていたとは考え難いことは前記(1)で述べたとおりであり、このことに、加藤の原審供述(第五〇回公判)を併せ考慮すると、有本鉄工の請求書の書き換えも被告人杉晃の指示があったものというべきであり、所論は採用できない。

(四)  被告人杉晃の指示によるコンピューター使用の中止等について

所論は、原判決は、(1)被告会社において、昭和五七年一月からコンピューターによる業務管理が廃止されたのは、前年一〇月の査察時に九州工場において被告会社の売上高が記載された資料が発見され、売上除外が発覚したことから、被告人杉晃の指示によりなされた旨、(2)従前の部長会議では、毎月の売上高等の報告がなされていたが、右査察を契機として、被告人杉晃が「社外の者に見られてはいけない。」と言って、同年一〇月の右会議から、売上高等の具体的な数字を出さず、受注目標額等の何パーセント達成といった形の報告に改めた旨認定しているが、右(1)については、コンピューターの容量や能力が小さく、買掛金や給与の入力ができず、また、各工場では、コンピューターの導入で作業量が増えたとか、仮名ばかりで見にくいといった不満、苦情があったため、コンピューターによる業務管理を止めたのであり、右(2)については、その一年前ころから営業担当者から金額で発表しては都市と地方で不公平が生ずるといった苦情が出てきていたため、報告の形を改めたものであって、原判決の右各認定は誤っている、というものである。

しかしながら、被告会社の元社員であった出雲昭憲の検察官に対する昭和六〇年二月六日付供述調書(原審検察官請求証拠番号四八九号)には、原判決の右各判示に沿う記載が存するところ、右供述記載は内容自体自然で不合理な点がない上、右調書の内容は、同人が被告会社が査察を受けた約一か月後である昭和五六年一一月二七日付で被告会社に対し、会社の重要な秘密を洩らし多大の迷惑をかけた旨の始末書を提出しているといった客観的事実に符合していることなどに鑑みると、その信用性を是認できるものと考えられ、右供述調書に、被告人晴美(昭和六〇年二月九日付、原審検察官請求証拠番号三四五号)及び清水勝利(同日付、同四九八号)の各検察官調書その他の関係証拠を総合すると、原判示の右(1)、(2)の事実を優に認定することができ、これに対し、所論に沿う、吉田善弘の検察官に対する昭和六〇年二月四日付供述調書抄本(同四五二号)及び同人の原審供述(第六五回公判)、山本武の原審供述(第六八回公判)、被告人杉晃の検察官に対する同月九日付供述調書(同三二六号)及び原審供述(第八八回公判)は、昭和五六年一〇月までの部長会議議事録一綴(当庁平成六年押第一八五号の四七)には、コンピューターが不便で廃止すべきであるとか、売上高の報告は不公平であるとかの不満があるので報告のやり方を変えるべきであるとの意見が出たというような記載がまったくないことや、コンピューターの使用中止及び部長会議での報告の変更が前回の査察のすぐ後になされていることなどに照らして、採用できないというべきである。

二  固定資産除却損及び評価損について

所論は、原判決は、機械設備等の固定資産の除却は、現に解撤、破砕、廃棄等を行なった場合に、その時点で処分見込価額を控除した未償却残高を除却損として計上するのが原則であるが、解撤等に多額の費用を要するためそのまま放置するような場合等には、例外的に現状有姿のまま帳簿上除却処理をすること(有姿除却)が認められているところ、有姿除却は、本来、使用価値がまったく失われた場合に行われるものであるから、それに伴う損失を計上するに際しては使用価値がないことが客観的に確認される必要があるとした上で、被告会社は、昭和五八年七月期において、セラミック製造プラントを廃止あるいは断念していたものではなく、その後も機械設備の改良等を重ね、製造プラントの実現に努めていたことは明らかであり、昭和五八年七月期において、検察官が除却損の計上を認容したもの以外の機械設備は、正常に機能するものであったり、不良箇所があっても改良又は補強することによって使用可能になったり、あるいは、当初予定していたセラミック設備に供することができなくても、補強のうえ、セメントサイロ等に転用した結果、タンクとしての機能を発揮できたものであるから、これらの機械設備については、固定資産除却損として計上することはできない旨説示しているが、(1)<1>いわゆる有姿除却については法人税基本通達七-七-二があり、右通達によると、たとえ当該資産につき解撤、破砕、廃棄等をしていない場合でも、「その使用を廃止し、今後通常の方法により事業の用に供する可能性がないと認められる固定資産」については、除却損として計上することを認めるというのであり、右固定資産は、必ずしも当該固定資産の使用価値がまったく失われた場合のみをさすのではなく、客観的に使用価値が存しても、その固定資産が事業の用に供される可能性がない場合には、有姿除却損の計上が認められると解すべきであるから、有姿除却は当該固定資産に使用価値がまったく失われた場合に行なわれるものであるとする原判決の右説示は誤っており、また、<2>本件セラミック製造計画は内野が仕切っていたところ、同人が昭和五八年一月に突然被告会社を退職した時点で、右計画が全く杜撰なもので、購入していた各種機械が性能不良品であることが分かったため、被告会社は、右時点で、本件セラミック製造計画を放棄、断念する旨決定したのであるから、検察官が除却損の計上を容認したもの以外の機械設備(原判決別紙3(固定資産除却損・昭和58年7月期)において除却損を否認されているもの。ただし、暁工業所のプレスを除く。以下、暁工業所の右プレスを除くその余の機械設備を「本件係争物件」という。)については除却損の計上が認められるべきであり、更に、(2)仮に、除却損が認められないとしても、法人税法施行令六八条三号によると、固定資産について、(イ) 当該資産が災害により、著しく損傷したこと、(ロ) 当該資産が一年以上にわたり遊休状態にあること、(ハ) 当該資産がその本来の用途に使用することができないため他の用途に使用されたこと、(ニ) 当該資産の使用する場所の状況が著しく変化したこと、(ホ) (省略)、又は(ヘ) 右(イ)から(ホ)までに準ずる特別の事実が生じた場合には、固定資産の評価損を計上することができる旨規定されているところ、<1>本件係争物件のうち、有本鉄工製造の原料タンク一基は補強のうえセメントサイロに、同じく攪拌タンク一基は水ガラスタンクにそれぞれ転用されているのであるから、右(ハ)に該当し、<2>たとえ、右原料タンク及び攪拌タンクが右(ハ)に該当しないとしても、右物件を含め本件係争物件はすべて、昭和五八年六月末の段階では、客観的に重大な瑕疵のある不良品で、そのままでは本来の用途に使用できないものであり、右(ヘ)に該当し、評価損の計上が認められるべきであって、以上の点で、原判決には、事実の誤認ないし法令の解釈、適用の誤りがある、というものである。

そこで、まず右(1)の<1>のいわゆる有姿除却に関する所論について検討すると、有姿除却については、法人税基本通達七-七-二が、当該固定資産につき解撤、破砕、廃棄等をしていない場合であっても、「その使用を廃止し、今後通常の方法により事業の用に供する可能性がないと認められる固定資産」については、現状有姿のまま除却処理を認めるとしているところ、有姿除却について原判決が説示するところは正当であると考えられ、所論のように、当該固定資産に使用価値が残っているような場合には、当該企業が今後もこれを本来の用法に従って使用する可能性がないとはいえないし、また、当該企業がその使用を断念していたとしても、それに客観的に使用価値が残存している以上それを中古資産として他に売却することも考えられるのであるから、当該固定資産に客観的にみて使用価値が残っているような場合には、それについて有姿除却は認められないと解すべきである。

次に、右(1)の<2>の所論については、証人西野寿雄の原審供述(第二八回、第四〇回、第四一回公判)、証人若松盈の当審供述及び部長会議議事録謄本(昭和五九年四月二七日から同六〇年一月二八日までの分、原審弁護人請求証拠番号七六号)その他の関係証拠によると、(イ)被告会社は、滋賀工場において、山土から砂利を採取して、これを用いてコンクリートブロック等を製造していたが、被告人杉晃は、かねてより右砂利採取の際に生ずる泥を利用して盲人誘導板等のセラミック製品を製造することを考え、研究、準備を進めていたこと、(ロ)同被告人は、昭和五五年三月に入社した内野がセラミック原土を購入する会社があるなどと言葉巧みにセラミックプラントの建設や設備の拡大を勧めたため、同年一一月に同人を製造技術課長に任命し、その後、同人が中心となって機械設備の購入、設置等を進めていたこと、(ハ)ところが、同五八年一月五日、同人が急に辞表を提出して被告会社に出社しなくなったので、被告人杉晃は、同月二五日ころ、滋賀工場のセラミック設備の建設を進めるため、清水勝利を技術部長に、西野寿雄を技術課長に任命し、その後、同人らが滋賀工場長の古川彪と共に、内野が購入し同工場や本社工場に設置するなどしていたセラミック機械設備を確認、点検したところ、正常に作動したものもあったが、使用不可能なものや改良工事等の必要なものもあったため、西野課長らは、そのことを被告人杉晃に報告し、その指示により各メーカーと協議をして改良工事等を進め、同被告人から早く完成させるよう督励されていたこと、(ニ)被告会社では、毎月二七日に同社の幹部が集まって経営方針等を話し合う部長会議が開かれていたが、同五九年七月の会議では、上山某が、セラミック関係の販売ルートを確立しておいてもらいたい、生産が始まれば大量に出荷出来る旨発言し、出席者にセラミック製品の製造工程を説明しており、同年九月の会議では、滋賀工場長の古川が、セラミック関係の設備が一〇月一一日に完成し、同月一五日より試運転を行なう予定であり、セラミック関係の夜間作業に関する規定を作ってもらいたい旨発言し、同年一〇月の会議では、同人が、一一月一一日、セラミックのトンネル窯の試運転を行なう旨発言し、同年一一月の会議では、同人が、セラミック関係が遅れて申し訳ない旨述べて陳謝しており、同年一二月の会議では、総務部次長の吉田善弘が、新年度事業計画を発表しているが、その第一番目に、セラミック関係を軌道に乗せることが掲げられていたこと、(ホ)被告会社では、セラミック設備について改良工事を行なうなどして、同五九年六月ないし八月ころ試運転にこぎつけ、同年一二月ころから試作品を作れるようになったが、不良品も多く出たため、更に改良を重ねたものの、予期した成果が得られず、結局、同六二年ころ、滋賀工場のセラミック設備の稼働を一応中止するに至ったこと、(ヘ)しかし、被告人杉晃は、同六二年末ころ、セラミック関係の研究者である若松盈に対し、セラミック製品製造を試みたがうまくいかない、セラミック関係の仕事をどうしても成功させたいので、うまくいかない原因と改良の可能性等を判定してほしいと依頼し、同六三年一月ころ、同人に滋賀工場等に設置されていたセラミック関係の諸設備を検査してもらうなどしたが、結局、同人が、セラミック焼成用トンネルキルン及び白生地乾燥装置がセラミックの焼成用には不適当な構成であり、改良も不可能であるとの判定を下したこともあって、被告会社は、セラミック製造を断念し、これから撤退したことが認められる。

以上の事実からみると、被告会社は、セラミック製造計画の中心人物であった内野が昭和五八年一月に突然辞表を提出して出社しなくなった後、同人が担当して購入設置していた諸設備を調査したところ、多数の不良品等があったものの、それらの改良工事等を行なってセラミック製造計画を推進し、同六二年ころまで機械を稼働させるなどして製品の製造に向けて努力していたが、同六三年ころになりセラミック製造計画から撤退したことが認められ、同五八年七月期においては、被告会社がセラミック製造計画を廃止あるいは断念していなかったことは明らかであり、これに反する証人清水勝利、同森井義則、同古川彪の各原審供述、被告人杉晃の捜査段階並びに原審及び当審における供述はいずれも信用することができず、したがって、被告会社が昭和五八年一月の時点でセラミック製造計画を放棄、断念する旨決定していたとの所論は採用できない。

更に、右(2)の評価損についての所論について検討すると、商法上資産の評価については取得原価主義が採られていることから、法人税法でも、資産の評価換えによる評価損は、原則として損金に算入されないことになっているが(法人税法三三条一項)、例外的に、政令で定める特定の事実が生じた場合、資産の評価換えをして損金経理をしたときは、時価を限度として評価損が認められているところ(同法三三条二項、固定資産については同法施行令六八条三号)、所論の有本鉄工製造の原料タンク一基及び攪拌タンク一基が法人税法施行令六八条三号のハにいう「本来の用途に使用することができないため他の用途に使用されたこと」に該当するとの点については、同号のハは、当該固定資産について、本来の機能を生かすことなく、別の使用方法に変更したことによって、その価値が減損した場合をいうと解すべきところ、関係証拠によると、有本鉄工製造の原料タンク一基(代金八五〇万円のもの)は、購入当初一応使用可能であったものの、将来継続して使用する場合には、強度に問題が生ずる恐れがあったことから、昭和五八年六月ないし七月ころ補強工事がなされて強度に問題がなくなったが、セラミック設備の関係上不要となったので、セメントを貯蔵するセメントサイロに転用され、また、同社製造の攪拌タンク三基(代金合計一〇〇〇万円)のうち、一基は廃棄され、残りの二基は、仕様上の要求を満たしており使用可能と判断され、うち一基はセラミック設備にとりつけられたが、他の一基は不要となったため、同五八年夏ころ水ガラスタンクに転用されたことが認められるのであって、右のとおり転用された右原料タンク一基及び攪拌タンク一基は、セラミック設備には使用されなかったとはいえ、いずれもそのままの状態で、もしくは補強工事がなされた上、一応本来の用途として予定されていたタンクとして使用され、転用によって価値の減損を生じたと認めるべき証拠もないのであるから、右原料タンク一基及び攪拌タンク一基の転用が法人税法施行令六八条三号のハにいう「本来の用途に使用することができないため他の用途に使用されたこと」には該当しないと考えられ、更に、右物件を含め本件係争物件が同法施行令六八条三号のヘの「イからホまでに準ずる特別の事実」が生じた場合に該当するとの点についても、同号のヘは、評価損が法人税法上認められている趣旨からすると、固定資産が事故により著しく損傷した場合のように、固定資産を取得した後予想することができなかったような特別な事情が発生したため価値の減損を生じた場合をいい、購入した機械が当初から性能不良であったような場合はこれに当たらないと解すべきところ、前記のとおり、有本鉄工製造の原料タンク一基(代金八五〇万円のもの)は強度に問題があったものの、昭和五八年六月ないし七月の補強工事によって問題が解決されてセメントサイロに転用され、また、同社製造の攪拌タンク二基も仕様上の要求を満たしており使用可能なものであったし、関係証拠によると、バーナー技術センター製造のトンネルキルン一式は、同五七年六月に被告会社に納入されたが、同五八年七月期には、他の設備が完成していないこともあって、試運転することができず、その性能に問題があるか否か不明であったこと(なお、前記のとおり、右トンネルキルンは、昭和六三年一月の時点では、改良の可能性のない不良品であることが確認された。)、林正産業製造の鉄筋曲機一台は、正常に作動し、中部熱工業製造のスプレードランヤーは、被告会社に納入の時点では問題はなかったが、その後、プラント建設に関与した他の会社の工事のため正常に作動しなくなったものの、同五八年七月の改良工事により正常になったこと、林正産業製造の原料タンク二基は、一応使用可能であったが、将来継続して使用する場合は強度に問題が生ずる恐れがあったことから、同五八年一一月ころ補強工事が行なわれ、強度にも問題がなくなったことが認められ、これらの事実によると、昭和五八年七月期においては、本件係争物件のうち正常に作動した機械は勿論のこと、その他の機械も、性能不良のため改良工事が予定されていたもの、もしくは改良工事により本来の性能を発揮することができたもの、あるいは性能が不明であったものであって、被告会社がそれらの機械を取得した後に予測し得なかった特別な事情が発生したためその機械の価値の減損が生じたものとはいえないから、本件係争物件は、いずれも法人税法施行令六八条三号のヘにいう「イからホまでに準ずる特別の事実」が生じた場合に該当しなかったというべきであり、評価損に関する所論もまた採用できない。

その他の固定資産除却損等に関する被告人杉晃及び同晴美の犯意に関する所論にかんがみ、更に記録を検討しても、これらの点に関する原判決の認定に誤りは認められない。

各控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、被告人らに対する原審の量刑が重過ぎると主張し、特に、被告人杉晃に対しては刑の執行猶予が相当である、というものである。

そこで検討するに、本件は、被告会社の代表取締役であった被告人杉晃と同被告人の妻で経理を担当していた取締役の被告人晴美が、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、二事業年度において、合計三億円余の法人税を免れたという事案であるが、ほ脱額は巨額であり、ほ脱の方法も、巧妙で悪質である上、被告会社は、昭和五六年一〇月に大阪国税局の査察調査を受け、同五七年六月、被告会社及び被告人杉晃が、奈良地方裁判所に、同五四年七月期から同五六年七月期までの三事業年度にわたる、ほ脱所得額合計一九億九六八三万円余り、ほ脱税額合計八億一六二七万円余りの法人税法違反の罪で起訴され、同五七年九月、被告会社が罰金一億四〇〇〇万円に、被告人杉晃が懲役三年に処せられ、同被告人は四年間刑の執行を猶予されたが、被告人らは、右査察が開始されて間もない同五六年一一月ころから、新築中の自宅の建築用材等の経費を被告会社の経費に仮装するなどの所得隠匿工作を再開し、同年一二月ころからは、それまで大阪市内に取引銀行がなかったのに、同市内の多数の銀行に簿外の預金口座を開設して売上から除外した手形等を右口座で取り立てるなどし、また、同五九年四月に本件査察調査が入るや、被告人杉晃は、同五八年七月期の振替伝票や無記名債権等を持ち出して所在をくらまし旅館やホテルに宿泊するなどし、被告人晴美は、知人の森井義則らに、被告会社が造成工事を発注して多額の代金を支払った外形を作出するため、架空の請求書や領収書を作成させたりし、更に、被告人らは、査察調査に関して想定問答集を作成し、関係者に渡して口裏を合わせたりし、原審公判中にも、弁護人請求の証人取調べの前日にその証人に一〇〇万円を渡すなど様々な証拠隠滅工作を行なっていることなどに照らすと、被告人杉晃、同晴美及び被告会社の各刑責は軽視できず、被告会社が、更正等により納付を通知された税額のうち、税額を争いながらも本税等を納付していること、被告人杉晃及び被告会社は、これまで特許権、意匠権等多数の工業所有権を有し、それにより社会に貢献していること、被告人晴美に前科前歴がないことなど被告人らに有利な事情を考慮しても、原判決が、被告会社を罰金一億円に、被告人杉晃及び同晴美を各懲役一年六月に処し、被告人晴美に対し四年間その刑の執行を猶予したのは相当であって、それが不当に重いとはいえない。

しかしながら、当審における事実調べの結果によると、原判決後、被告人杉晃らは、平成七年一一月に更生保護団体である財団法人「至徳会」に二〇〇〇万円を、重度身体障害者通所授産施設「たんぽぽの家」を運営する社会福祉法人「わたぼうしの会」に二〇〇〇万円をそれぞれ寄付をしたことが認められ、これらの事実に被告人杉晃と同晴美の現在の反省状況等を併せ考えると、被告人杉晃に対して刑の執行を猶予するのは相当ではないものの、同被告人及び被告人晴美の各刑期の点では原審の右量刑はやや重過ぎると思われる。

そこで、刑事訴訟法三九七条二項により原判決中被告人杉晃及び同晴美に関する各部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決することとし、原判決が認定した罪となるべき事実にその掲げる各法条(ただし、「刑法」とあるのは、「平成七年法律第九一号による改正前の刑法」と改める。訴訟費用の負担については当審分も含める。)を適用し、また、被告会社の本件控訴は刑事訴訟法三九六条により棄却することとし、当審における訴訟費用の負担については同法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 梶田英雄 裁判官 東尾龍一)

控訴趣意書(第一部)

目次

第一 杉晃被告人の、業者からの請求書に対する値引き指示行為についての事実誤認・・・・・・四九六

第二 自宅建築費用を被告会社の経費に付け込んだ行為に杉晃被告人が関与したとする事実誤認(株式会社金幸関係)・・・・・・五〇九

第三 同右(高津屋関係)・・・・・・五二四

第四 同右(株式会社西川銘木店関係)・・・・・・五三三

第五 同右(太陽電機工業関係)・・・・・・五三九

第六 同右(株式会社瓦宇工業所関係)・・・・・・五五六

第七 同右(西村雄司関係)・・・・・・五六二

第八 同右(荒井左官工業所関係)・・・・・・五七六

第九 同右(上板正明関係)・・・・・・五八五

第一〇 日本楽器製造株式会社関係について・・・・・・六〇六

第一一 「滋賀工場セラミック機械設備の費用仮装計上」に杉晃被告人が関与したとする事実誤認(有本工業関係)・・・・・・六〇七

第一二 同右(林正産業関係)・・・・・・六二七

第一三 同右(有本鉄工関係)・・・・・・六三一

第一四 杉晃被告人が売上高隠蔽等のためコンピュータ使用の中止を指示したとする事実誤認及び部長会議における売上高報告方法変更についての事実誤認・・・・・・六四二

第一五 杉晃被告人に売上除外に関し故意があったとする事実誤認・・・・・・六五七

第一六 杉晃被告人の性向及び前記各事実につき杉晃被告人に法人税ほ脱につき過失は認められても故意は認められないこと・・・・・・六七七

控訴趣意書(第一部)

被告人 草竹コンクリート工業株式会社

同 草竹杉晃

同 草竹晴美

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。

平成七年三月三〇日

右弁護人

弁護士 平田友三

弁護士 髙野嘉雄

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、控訴人らに対する法人税法違反の事実を認定しているが、被告会社及び被告人草竹杉晃(以下杉晃被告人という)に関する左記諸認定は明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認があるので、その破棄を求める。

第一 原判決は、(争点に対する判断)一、2、「被告人杉晃の犯意等について」において、杉晃被告人が本件各確定申告が虚偽過少のものであったことを同被告人が知らなかったとする同被告人の供述はそれ自体まったく信用しがたいとし、特に同被告人が業者からの請求書について、請求金額の端数を赤鉛筆で削って値引きを指示していた事実に照らすと、同被告人は、不正経理であることを十分知りながら支払いを指示していたことは明らかである、としている。

しかしながら、杉晃被告人の右値引きを指示していた行為は、同被告人が業者からの請求書にも十分目を通し点検しているということを社員に示すための社内牽制のための行為に過ぎず、個人の費用が被告会社あてに請求されていたこと等には同被告人は当時、真実気付いていなかったものである。

この点について以下述べる。

一 原判決は、杉晃被告人の右行動に関し、一二丁裏以下二〇丁の間に、次のように判示している。

1 ……また、被告人杉晃は、資材の発注等についても日頃から細かく目を配り、後記のとおり、その支払いについても、業者からの請求書を自ら点検、決裁し、その際、値引きを指示するなどして、経費の節減に努力していた。(一二丁裏)

(中略)

2 被告会社においては、取引先から請求書が送付されてくると、まず、総務部庶務課で収受印(受付印)を押印したうえ、これを各担当部所に回して単価、数量、請求金額等のチェックをさせ、担当者印及び各部長の検印を受けたものを被告人杉晃に回付し、その決裁を受ける仕組みをとっていた。被告人杉晃は、取引先からの請求書を原則としてすべて点検し、値引きを指示すべき場合は、赤鉛筆で金額等を訂正したうえ、検印を押して被告人晴美に回しており、同被告人は、被告人杉晃の検印のある請求書に基づいて支払うようにしていた。……(一三丁表)

(中略)

2 被告人杉晃の犯意等について

(中略)

特に、被告人杉晃は、査察の調査及び検察官による取調べのときから一貫して「自分が業者からの請求書をチェックするシステムをとっていたのは、支払いについてすべて社長自ら目を通しているということを示すためで、いわば社内牽制のためであった。したがって、社長のチェックといっても形式的なもので、個人の費用が被告会社に請求されていたことや、工事代金を型枠等の代金に偽って請求されていたことも気づかなかった。ときに、赤鉛筆で請求金額を訂正したこともあるが、それは請求金額の端数を削って値引きを指示したもので、そのときも請求品目や明細書を見ておらず、前記のような不正経理がなされていることは気がつかなかった。」旨供述するものであるが、関係証拠によれば、同被告人は、日頃から経費節減に注意を払っていたこと、自宅建築用の資材購入に際し、自ら赴いて品質等を吟味し、値引きや支払い方法などの交渉も行っていたこと、その購入先や工事業者の中には被告会社との取引がまったくない者も含まれており、同 被告人は、これらの業者からの被告会社宛ての請求書をそのまま決裁したり、値引きを指示していたこと

(例えば、石切運送株式会社からの庭石購入分、塩野商店からの建築資材購入分、株式会社松山からの総桐箪笥購入分等)、しかも、これらの請求書には相当高額のものも含まれていたことが認められ、これらの事実に照らすと、被告人杉晃の前記供述は到底信用することができず、同被告人は、不正経理であることを十分知りながら支払を指示していたことは明らかである。(二〇丁)

二、1 杉晃被告人が業者からの被告会社宛ての請求書中の請求金額の端数を赤鉛筆で削って値引きを指示した事実は、原判決判示のとおりである。

杉晃被告人が右のようなやり方で値引きを指示した業者は、原審で取調べられた証拠によれば、極めて多数に及んでいるが、篠原啓人の検面調書(検四四九)、杉晃被告人の検面調書(検三二四、三二五、三二八、三三〇)、晴美被告人の検面調書(検三四四)等によれば、右のようにして値引きを指示した業者名として、株式会社上村銘木、太陽電機工業、高津屋、吉川木材株式会社、株式会社塩野商店、有本工業株式会社、有限会社林正産業、上板正明、株式会社西川銘木店等の一部の業者名があげられている。

右の赤鉛筆で端数を削り値引きを指示した事実について、杉晃被告人は、査察官の調査(検三一六、杉晃被告人の昭和五九年八月一七日付質問てん末書問二)、検察官の取調べ(検三二四、杉晃被告人の昭和六〇年二月七日付検面調書第二項、第五項以下)及び原審公判を通じ一貫して、これは右判示のように、「支払いについてすべて社長自ら目を通しているということを示すためで、いわば社内牽制のための行為」にすぎず、個人の費用が被告会社に請求されていることや工事代金を型枠等の代金に偽って請求されていたことに、気づかなかった旨供述して主張している。

杉晃被告人の右主張は、特に同被告人の請求書の金額訂正という前掲行為等から考えると、確かに一見不合理の感を与える。しかしながら、関係証拠を子細に検討してみると、右主張は、合理性のある、また真実を述べている主張と認められる。この点について意見を述べたい。

まず、原判決の前記判示は、杉晃被告人が、「資材購入に際し、自ら赴いて品質等を吟味し、値引きや支払い方法などの交渉も行っていたこと」を、「不正経理であることを十分知りながら支払を指示していたこと」の証拠としている。しかし、請負工事ではなく、材料購入であるから、資材の品質等の吟味、値引きや支払い方法などの交渉を行うことは、当然のことであり、知情の証拠となしうることではない。

2 原審で取調べられた、中田雅之証言(原審第五回公判調書一四丁、二〇丁ないし二四丁)、安井正生証言(原審第四回公判調書九丁裏、一〇丁表)、守岡貞夫証言(原審第一六回公判調書一〇丁)、上板正明検面調書(検四七八)一四項、二〇項、有本良三証言(原審第二二回公判調書二丁ないし五丁)、小林正勝証言(原審第二六回公判調書一〇丁裏)並びに昭和六〇年二月一一日付杉晃被告人の検面調書(検三三〇)三項、同日付同被告人の検面調書(検三二八)七項等によれば杉晃被告人は、本書末尾添付の別紙「請求金額訂正等一覧表」(以下「一覧表」という)記載の1ないし6の業者からの請求書記載の請求金額についても、自らその端数を赤鉛筆で削っている事実が認められるので、この点について検討したい。

3 まず、別紙「一覧表」の番号1、の高津屋(中田雅之)関係について述べると、原判決は、次のように判示している(二一丁裏以下)。

……そして、被告人杉晃は、昭和五六年一一月末ころ(高津屋経営者)中田(雅之)から内入金の支払いを請求された際にも(右中田に対し)「会社の経理として内入金の名目では通らないから、請求書を送ってほしい。そのときは明細を適当につけ、請求金額にも端数をつけてほしい。」……などと依頼した。

すなわち、右判示どおりの事実ならば、杉晃被告人は、昭和五六年一一月末ころ、中田雅之に対し、「請求書の請求金額に端数をつけてほしい」と依頼したというのである。

ところが、右のような杉晃被告人の依頼により、中田雅之がわざわざ端数をつけて請求したという金額を、別紙「一覧表」の番号1、によれば、杉晃被告人は、その一か月足らず後の請求書決済の際、自らその端数四、四〇〇円を赤鉛筆で削り、その端数を削って値切った金額二八七万円が昭和五六年一二月二五日高津屋に支払われているのである。

請求書の金額に端数をつけてくれと頼んだ人間と、赤鉛筆で端数を削った人物、すなわち被告人とが同一人物ならば、一か月足らずという短時日の間に、このように、行動に一貫性を欠いた、矛盾した行動をとるとは到底考えられない。更に、番号1、の中田からの第二回目、第三回目の請求金額についても、杉晃被告人はその端数を削ってしまっている。

前記原判決の、杉晃被告人が中田に対し端数をつけて請求してくれと頼んだという判示は、二二丁表に掲示している中田雅之証言(原審第五回公判期日)に基づくものと認められる。同証人の証言は、杉晃被告人から端数をつけて請求してくれ等と依頼されたという点について、信用性のないものであることについては項を改めて後述するが(第三、高津屋関係)、右の点からみても信用できない。

請求金額に端数をつけてくれと頼んだのは後に第三高津屋(中田雅之)関係の五、に掲記する晴美被告人である(検三四六、晴美被告人の検面調書第二〇項)。そこには次のように録取されている。

問 たとえば、(高津屋の中田雅之に対し)請求書や領収証の宛先を草竹コンクリート工業宛にしてもらったことはないか。

答 私は、そのようなことは頼んでおりません。

ただ、今思い出しましたが、請求金額がちょうど切りの良い数字であったときに端数をつけてもらったことはありました。

後日再び税務調査を受けたとき、きりの良い数なのでは不審に思われ、そのような不正を行っていることがばれかねないと思い頼んだのです。

このように、晴美被告人が、中田に対し、会社の経費で処理するため、請求金額に端数をつけてくれくれるよう頼んでいるのである。

杉晃被告人は、晴美被告人から、端数をつけてくれと中田雅之に依頼したことを打明けられていなかったため、依頼事実につき全く与り知らなかった。そこで、杉晃被告人なりに、いつものとおり社内牽制のため、高津屋(中田雅之)の請求書の請求金額の端数も削ってしまったのである。

右事実からみても、杉晃被告人が、赤鉛筆で値引きをしたのは社内牽制のためであり、不正経理がなされていることに気づかなかったと供述するのは、事実に即した、事実の主張であるといえる。

従って、この点からも原判決の杉晃「被告人は、不正経理であることを十分知りながら支払いを指示していたことは明らかである」という事実認定は事実を誤認したものと言わざるを得ない。

4(一) 杉晃被告人は、別紙「一覧表」のとおり、高津屋分のみならず、<2>上板正明、<3>有本工業株式会社(同社代表役有本良三)、<4>有限会社林正産業(経営者小林正勝)、<5>太陽電機工業(経営者守岡貞夫)、<6>株式会社西川銘木店からの被告会社宛請求書(自宅建築費用の被告会社経費への付け込みがなされていると原判決が認定している請求書)の請求金額の端数も、前記同様赤鉛筆で削っている。

この点につき考えると、原判決の判示によれば、杉晃被告人は、前記業者に対し、被告会社経費へ付け込むため、次のように依頼したというのである。すなわち、

(二) 原判決は、上板正明関係につき、二四丁裏以下に次のように判示している。

その後、被告人杉晃らは、昭和五六年夏から同年一〇月ころに上板から杉の原木を買うこととしたが、同年一一月中旬ころ、被告会社本社事務所において、上板と被告人杉晃及び同晴美との間で代金等の打合せをし、代金を二四〇〇万円とすることに決まった。その際、前回の査察で裏取引にしていたことがばれていたことから、上板が被告人杉晃らにこれからの請求書の記載方法等を尋ねたところ、被告人晴美は、被告人杉晃の面前で、被告会社が購入したように品名を「松パレット」に書き換えたうえ、被告会社に請求するように指示した。そこで、上板は、右依頼に応ずることとしたが、二四〇〇万円分の松パレットを一度に納入するのもおかしいことから、被告人晴美とも相談のうえ、適当に三回に分けて被告会社宛てに請求書を送付し、被告会社から支払いを受けた。

すなわち、昭和五六年一一月中旬ころ、晴美被告人が杉晃被告人の面前で請求書には、自宅建築用の杉の原木を被告会社が購入したように、品名を「松パレット」に書き換えたうえ、被告会社に請求するよう指示し、自宅建築用経費を被告会社の経費に付け込んでくれるよう、不正経理への協力を依頼したというのである。

ところが、原判決の判示どおりならば、別紙「一覧表」番号2、記載のように、杉晃被告人は、前記不正経理への協力を依頼したという上板正明の昭和五六年一二月二四日付請求書の請求金額につき、端数の一、〇〇〇円を赤鉛筆で削って訂正してしまっている。そして、杉晃被告人は、前記「一覧表」の番号2、記載のように、上板からの請求書記載の請求金額の端数をそれぞれ七、五〇〇円、一〇、〇〇〇円、二〇、〇〇〇円と削っている。

杉晃被告人が、このように端数を削っているのは、上板に対する場合だけでなしに、以下述べるように、不正経理の協力を依頼したという、有本工業、林正産業、太陽電機工業、西川銘木店についても同様である。一社に対してだけならとも角、不正経理を依頼したという全取引先からの請求金額を削っているのである。杉晃被告人が、真実協力を依頼したならば、不正経理の協力依頼先であり、そう簡単に忘れ去る筈はないから、協力に対する礼の意味で、少なくとも請求金額どおり通してやるのが当然である。原判決の判示する杉晃被告人の不正経理依頼行為なるものの存在に疑念が湧かざるを得ない。

(三) また、原判決は、有本工業関係につき、二六丁以下に次のように判示している。

内野は、被告人杉晃から右代金(被告会社滋賀工場のセラミック設備の泥漿前処理装置一式工事請負代金)を型枠製造代金と偽って支払うよう指示され、有本良三に対し、予め、右契約当日に白紙の請求書を持参するように依頼していたが、(昭和五六年一〇月六日)右契約締結の際、請求書に記載する品目を変えてほしいと依頼して、六五二万円に相当するコンクリート型枠の個数、単価を記載したメモを渡した。そこで、有本良三は、被告人杉晃の面前で、メモのとおり請求書に記載し、その請求書を同被告人に渡して同被告人から六五〇万円の約束手形を受け取り、被告会社宛ての領収書を作成、交付した。なお、被告人杉晃は、同年九月一六日付で右請求書の金額を二万円値引きし、六五〇万円とする旨の決裁をした。その後、有本工業は、被告会社から昭和五七年五月、同年六月及び同年九月に残代金の支払を受けたが、内野は、被告人杉晃の指示に基づき、その都度有本良三に連絡して白紙の請求書を送付させたり、品名を型枠と記載した請求書を送付させるなどした。

すなわち、杉晃被告人は、経費として落ちない滋賀工場の設備工事の請求代金を、経費として落ちる型枠製造代金と偽って支払うよう、当時被告会社技術課長であった内野正敏に対し指示したということは有本良三は内野から渡されたメモに基づき、杉晃被告人の面前で、メモに記載されているとおり、請求書に記載する品目を変え、型枠の個数、単価を請求書に記載し、その虚偽記載の請求書を杉晃被告人に渡した旨判示されている。

ところが、原判決の判示どおりならば、杉晃被告人は、別紙「一覧表」番号3、記載のように、有本に右不正経理を依頼したという昭和五六年一〇月六日当日、不正経理の協力を依頼した相手方である有本良三から渡された有本工業の請求書記載金額につき、端数の二〇、〇〇〇円を赤鉛筆で削って訂正し、六五〇万円の約束手形を渡していることになる。

(四) また、原判決は、林正産業関係につき二七丁表以下に、次のように判示している。

後記のとおり、林正産業は、被告会社からの注文により、スプレードライヤー用煙突、原料タンク及び鉄筋曲機を製造、納入して請求書を送付したところ、内野は、被告人杉晃の指示により、昭和五七年一月ころ、林正産業の経営者の小林正勝に対し、請求書の品目をブロック型枠等に書き換えるように依頼した。そのため、小林は、同年四月ころ、スプレードライヤー用煙突一本分(代金五七〇万円)及び原料タンク二基分(代金合計一〇五〇万円)について型枠等と記載した請求書を被告会社に改めて送付した。

すなわち、杉晃被告人は、経費として落ちないスプレードライヤー用煙突、原料タンク等を経費として落ちるブロック型枠等に書き換えるよう前記内野正敏に対し指示したということ、内野は、昭和五七年一月ころ小林正勝に対し、その旨依頼したため、同人は同年四月ころ、原料タンク二基分(代金合計一、〇五〇万円)等について型枠等と虚偽の内容を記載した請求書を被告会社に送付した旨判示されている。

ところが、杉晃被告人は別紙「一覧表」番号4、記載のように、不正経理につき協力を依頼したという、小林正勝からの原料タンク二基分についての請求書記載の請求金額につき、昭和五七年三月二五日付請求書記載分につき、端数の三六、〇〇〇円、同年四月二五日付請求書記載分につき端数の二五、〇〇〇円を赤鉛筆で削って訂正しているのである。

(五) 更に原判決は、太陽電機工業(経営者守岡貞夫)関係につき二二丁裏以下に、杉晃被告人は昭和五六年暮れころ、電機工事の打合せをした際、右守岡に対し「これから自宅の工事分の請求書や領収書の宛て名は会社にしてくれ」と依頼し、これを受けて守岡は同五七年七月二五日以降杉晃被告人らの自宅工事代金の請求書を被告会社宛てにし、被告会社から支払を受けた旨判示している。

ところが、杉晃被告人は別紙「一覧表」番号5、記載のように不正経理につき協力を依頼したという、守岡貞夫からの昭和五七年一〇月二〇日付請求書の請求金額の端数一四〇円を、赤鉛筆で削って訂正しているのである。

(六) 更に原判決は、株式会社西川銘木店(同社従業員安井正生)関係につき二二丁表以下に、杉晃被告人は昭和五七年一月ころ、株式会社西川銘木店に、自宅用の天井板(代金六五〇万円)を発注した際、同店従業員安井正生に対し「西川銘木店と取引をしたことがお互いにわからないようにしてほしい。請求書には、銘木店ということを出さず、明細の記載もしないで欲しい。また金額を分けて欲しい」などと依頼し、これを受けて安井は架空の「株式会社西川」名義で金額二九五万円と三五五万円の二通の請求書(代金合計六五〇万円)を作成、送付し、被告会社から支払いを受けた旨判示している。

ところが、杉晃被告人は、別紙「一覧表」番号6、記載のように不正経理につき協力を依頼したという、西川銘木店からの昭和五六年一〇月二〇日付請求書記載分の端数六三、六〇〇円、同五七年一月一八日付請求書記載分の端数四〇、〇〇〇円、同五八年三月二四日付請求書記載分の端数五〇、〇〇〇円を赤鉛筆で削って訂正しているのである。

5 以上述べたように、現判決の判示どおりならば、杉晃被告人は、自分自身が不正経理のための協力の依頼をし、協力してもらった相手業者からの請求書記載の請求金額の端数を削り、値切ってしまっていることとなる。杉晃被告人は通常商業人として考えられない、相手方の期待に反し、苦情を申し立てられることが当然予想される、不合理な行動をとっていることとなる。若し、杉晃被告人が関与していたならば、同被告人に対し当然申立てられるべき苦情、不満が同被告人に申立てられ、同被告人がそれに対処したという、関係者の記憶に残るであろう特異な事実が当然あった筈である。しかし、そのような特徴的な事実は、関係者の検面調書の記載、公判証言を子細に検討しても、どこにも見当たらない。苦情申立は、杉晃被告人には報告されずに担当者が話をつけていた。このことは後記被告会社総務部次長吉田善弘の証言のとおりである(第一五、3(一))。

前記原判決判示の不正経理への協力依頼をしたというのは、後に、第二、から第九、において述べるように、真実は晴美被告人が杉晃被告人に相謀ることなしに独断で行ったことである。杉晃被告人は全く関与していない。だから、同被告人に対し苦情の申立が行われなかったのである。

この点につき、晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)三八項には、総括的に次のように録取されている。

ただ言いたいのは、それら(脱税の事実)は、いずれも私の一存でしたことであって、夫は何も知らないということであり、また、私が一部相談した清水さんについても、私が頼んでしてもらったことであって、清水さんには責任がないということです。

原判決判示のように、被告会社において、取引先からの請求書は、社内の担当部所、担当者、各部長のチェックを受けた後、杉晃被告人に回付され、杉晃被告人の決裁を受ける仕組みがとられていたこと(一三丁表)は事実である。

しかしながら、前記のように、杉晃被告人が「業者からの請求書を自ら点検し、決裁し」、「赤鉛筆で金額等を訂正」等をしていたというのは、同被告人の社内牽制のための、極めて形式的、外形的行為にすぎず、同被告人は請求書等につき実質的な点検、決裁は行ってはいない。実質的な点検、決済は、原判決の前記認定のように、社内の担当部所、担当者、各部長によってなされているのである。

原判決は、杉晃「被告人は、日頃から経費節減に注意を払っていたこと、自宅建築用の資材購入に際し、自ら赴いて品質等を吟味し、値引きや支払方法などの交渉も行っていたこと、その購入先や工事業者の中には被告会社との取引がまったくない者も含まれており、同被告人は、これらの業者からの被告会社宛ての請求書をそのまま決裁したり、値引きを指示していたこと(例えば、石切運送株式会社からの庭石購入分、塩野商店からの建築資材購入分、株式会社松山からの総桐箪笥購入分等)、しかも、これらの請求書には相当高額のものも含まれていたことが認められ、これらの事実に照らすと……同被告人は、不正経理であることを十分知りながら支払を指示していたことは明らかである」(二〇丁)と認定している。

しかし、個人の費用が被告会社に請求されていることや、工事代金を型枠等の代金に偽って請求されていることも、杉晃被告人は気づいていなかったという供述は、二、1(五ページ)からここまで述べてきた事実だけからみても、十分納得できる主張であり、真実の主張であると考える。なお、資材の品質等の吟味、値引きや支払方法などの交渉ということのもつ意味については前述した(七ページ)。このようにして、前記原判決が判示している杉晃「被告人は、不正経理であることを十分知りながら支払を指示していたことは明らかである」(二〇丁裏)という判示は、事実を誤認したものである。また右判示の( )内の、石切運送株式会社分の値引き指示は、杉晃被告人の指示ではなく、晴美被告人の行為であり(検三四四、晴美被告人の昭和六〇年二月八日付検面調書八項。検三二四、杉晃被告人の同月七日付検面調書一三項等)、株式会社松山からの請求書については値引きは指示されていない(検二四九請求書参照)。

6 このようにして、杉晃被告人が、別紙「一覧表」番号1、ないし6、の業者からの請求書記載の端数を削って支払った金額が会社経費に付け込んである業者については、右に述べた点からみても、後に項を改めて述べる点から見ても、杉晃被告人の全く関知しないほ脱行為による金額である。法人税法一五九条一項は、「偽りその他不正の行為により法人税を免れた場合には」と規定し、偽りその他不正の行為という、特別の方法によって免れた部分に限って責任を問うているのであり、前記部分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第二 杉晃被告人が、自宅建築費用の被告会社経費への付け込みに関与していたと原判決が認定している点(二〇丁裏以下)について以下順次、第一〇まで検討するが、原判決の右認定は事実を誤認したものである。

まず、株式会社金幸関係について述べる。

一 原判決は、株式会社金幸関係につき、二一丁表以下に次のように判示する。なお、原判決は、判示末尾の括弧内に記載した証拠は、当該事実の認定に当たり、特に使用した証拠である、としている(以下同じ)。

被告会社は、株式会社金幸とは取引関係がなく、被告人杉晃らが、昭和五五年三月ころから、自宅建築用の材木を購入していたものであるが、被告人杉晃は、前回の査察前に檜の丸太を自宅用に購入した際、同社代表取締役の井上幸夫に対し、帳簿に載らない裏取引にしてくれるよう頼んでいた。そして、被告人杉晃らは、昭和五六年一〇月ころ、自宅用の敷居等を代金五八万円で購入したが、井上は、同被告人らが自宅建築費用の一部を被告会社の費用で賄っていることを察知していたことから、被告会社の経費で落とす話を持ちかけ、相談の結果、請求書の宛て先を被告会社にするとともに、材木と記載する納入品目も被告会社の経費として処理できる檜桟木とすることとした。こうして、井上は被告会社宛てに右のとおり記載した請求書を送付し、被告会社から支払いを受けた。

(井上幸夫証言〔第一八回公判期日〕、井上幸夫の検察官調書〔検477〕、同人作成の確認書〔検469〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕)

二 右判示は、「株式会社金幸代表取締役井上幸夫は、杉晃被告人らが、昭和五六年一〇月ころ、自宅用の敷居等を代金五八万円で購入した際、被告会社の経費で落とす話を持ちかけ、相談の結果、請求書の宛て先を被告会社にするとともに、そこに記載する納入品目も被告会社の経費として処理できる檜桟木とすることとした」としている。前掲井上幸夫作成の確認書(検四六九)によれば、請求書の宛て先が被告会社とされ、納入品目が桧桟木とされていることは明らかであるが、右井上が右代金を被告会社の経費で落とす話を持ちかけた相手を杉晃被告人らである、と認定している点は事実を誤認したものである。

三 右認定の点につき、井上幸夫の昭和六〇年一月二九日付検面調書(検四七七)には次のように記載されている。

その後、私は草竹社長からの注文の品について、宛て先を草竹コンクリート工業とし、しかも納品した品物も実際とは異なる請求書を書いたことがありました。それが売上簿の写にもあるように昭和五六年一〇月一五日の取引でした。このような請求書を出したのは、このとき一回だけですので、その内容についてはよく覚えております。売上簿の写しでは、その日の取引は「桧桟木」となっておりますが、実際には草竹社長の建築中の自宅に使う敷居や鴨居などの材料でした。私は、それまでの取引で草竹社長の自宅がかなり大金のかかった建物であるのが分かりましたし、そのような家が草竹社長個人のお金だけで建てるのは大変であろうと思いましたので、建築費用の一部は草竹コンクリート工業株式会社のお金で賄っているのではないかと思いました。中小企業などの場合、個人と会社がちゃんと区別されず、個人の経費を会社の経費にすることなどよく見聞きすることでした。それで私は草竹社長の気持ちを考え、確か私の方から会社の経費にするよう話してあげたと思います。草竹社長から持ちかけられたのではないかとお尋ねですが、確か私のほうから気をきかせてそういったと思います。(六項)

何分三年余り前のことになりますので、詳しい状況までは覚えておりませんが、そのころ私の方から草竹社長に電話をかけて「今度の品を何か経費になるようなものにしましょうか。」と言って納品する品物の名目を変えようと言いました。と言いますのは、敷居や鴨居では、家の一部になるので、経費にならないことが分かっていたのでそう言ったのです。その結果、草竹社長と相談し、そのような桧桟木とすることに決まったのです。

それで私が更に草竹社長に「宛て先は会社の方にしておきますわ。」と言って、会社の経費になるように請求書の宛て先を草竹コンクリート工業にしておくと言いましたら、草竹社長の方も「そんならそうしてくれ。」と言いました。(七項)

(中略)

いくら商売とはいえ、相手の了解も得ないのに勝手に納品した品の中身を書き替えたり、宛て先を会社にしたりすることはなく、草竹社長との間でそのように会社宛の桧桟木の請求書にすることを決めたことは間違いありません。このような交渉は、草竹社長と行っており、奥さんということはありません。(八項)

四 検面調書の作成時期及びその記載内容について

まず、井上幸夫の供述の対象となっている自宅建築用材の代金請求を会社宛てにすること等を相談したというのは昭和五六年一〇月である。そして、検面調書の作成されたというのは同六〇年一月二九日であり、原審法廷証言は同六二年五月二二日である。右のような時期関係からみて、原審検察官の平成元年二月一七日付証拠調請求書記載のように、井上幸夫に対する検面調書が法廷証言に先行しているからといって、記憶内容に質的相違が生ずるとは考えられず、検面調書に高い証明力を認める理由とはなりえないことである。そして、このことは、右検面調書の記載内容自体から明らかである。検面調書七項には、前掲のように「何分三年余り前のことになりますので、詳しい状況までは覚えておりませんが」そのころ私の方から草竹社長に電話をかけて……と言う断り書きが付いているのであり、検面調書作成時においても、既に井上の記憶は薄れていたのである。薄れた記憶に基づく事実であるにもかかわらず、「草竹社長と相談して決まった」と検面調書は断定的に記載されている。このような調書の記載内容自体からみても右検面調書の記載は信用できない。

五 次に井上幸夫は、昭和六二年五月二二日原審第一八回公判において、この点に関し、検察官の質問に対し、次のように証言している。

あなたは株式会社金幸の代表取締役をされていますか。

はい。

(中略)

会社の業種は何ですか。

木材業、製材業を主たる業務にしております。

木材を販売されるわけですか。

ええ、そうです。

現在、従業員は何人ぐらいおられますか。

十四、五名だと思います。(以上一丁)

(中略)

自宅に使う木材なのに、どうして草竹コンクリート工業宛てにしているわけですか。

というのは、我々よくあることで、会社と個人となかなか分離できない要素、こういうことをしたらいかんねんけれども、なかなか我々中小企業はこういうことで、家計費のある程度会社払いということでするわけなんですけれども、その一環ですわ。

あなたのほうで会社宛てにするということは考え出したんですか。

はい。

どうしてそういうことを考え出したんですか。

どうしてと言うより、こうして現金でお支払いなさるより、会社の経費で落とされたほうがいいんのと違いますかということで、だれに相談したのか、私はこれは自分でやったんと思いますわ。

あなたの話では、それ以前は帳簿外の取引にしておったということなんですね。

そうです。

今回は会社宛ての取引にしたというのは、どうしてそういうふうに変えたわけですか。

いつまでも、そういう現金いただいてもなかなか使いみちもないし、いずれまた帳面に載せやんならん状態にあるので、こういうふうにしたわけなんです(以上七丁裏、八丁表)。

(中略)

あなたのほうで、そういうふうに会社の経費で落ちるようにしてやろうというふうに考えたということですけれども、それについては草竹のほうに相談されたんですか。

草竹さんに相談……、どなたかに言ってやと思いますけれども、どなたに相談したかちょっと存じませんけれども。

だれかにそういうふうにするというふうに言ったことは間違いないですか。

会社で落としときまひょというのは、どなたかに言ってるはずですわ。

(中略)

だれに宛て先を会社にしますということを言われたんですか。

こちらから言ったわけですけれども、どなたに言ったんか、ちょっと記憶にございません。

(以上八丁裏、九丁)

(中略)

それから、あなたは前に(検察官の)取調べを受けたときに、五六年一〇月一五日の五八万円の取引について、あなたが草竹社長に電話をかけて、今度の品を何か経費になるものにしましょうかとか、宛て先は会社の方にしておきますわというふうに言ったというふうに供述されているんですけれども、そうではないんですか。

ちょっと記憶にございません。

あなたがそのように言うと、草竹社長のほうもそんならそうしてくれと言いましたというふうに検察官に対しては述べられてるんですけれども、そうではありませんか。

その調書の記憶が、どういう調書だったか、その記憶ございませんね。

このような交渉は草竹社長と行って、奥さんということはありませんと、そういうふうに話されたんではありませんか。

社長であるか、大工であるか、奥さんであるか、ちょっと記憶にございません。

大工は会社と直接関係ないじゃないですか。

ほぼ全面的に、この家ではしきってましたから。

家のほうはそうかもしれませんけれども、会社の経費にするかどうかということで大工と相談するというのはおかしいんじゃないですか。

なにぶん社長は忙しい方で、私ども会ったと言っても二、三回ですんで、まあ、金額も少ないさかいに、ちょっと五八万円ということに対しても、私記憶にございませんねんけれども、こういううちの帳面見ながらでしたら、桟木になっておるとか、帳面見ながらそういうことの記憶はよみがえってきますけれども、取引に対してどうのこうのはちょっと記憶にございません。

要するに、だれかに言ったけれども、だれが相手だったかということは今ちょっと記憶にないということですか。

はい。(以上一三丁、一四丁表)

六 このように、井上幸夫のほうから、昭和五六年一〇月に請求書の書替えをもちかけたということは、井上は、検察官に対しても、原審の法廷においても、供述しているのであるが、それを了解した相手が、社長の杉晃被告人であったっか、大工の西園棟梁であったか、晴美被告人であったか、記憶がないと証言しているのである。

七 井上幸夫の前記検面調書には、昭和五六年一〇月一五日の取引について、このような請求書を出したのはこのとき一回だけですので、杉晃社長との遣り取り(井上幸夫が草竹社長に電話で話した内容、と取引が敷居や鴨居の材料であるなど)をよく覚えている、と録取されている。

しかし、井上は、原審公判廷では、前掲のように、杉晃被告人とは、全取引を通じて二、三回しか会ってないことや、金額(五八万円)も少ないさかいに、取引に関しては記憶ございませんと証言している。井上の株式会社金幸は、従業員を一四~一五人も抱える相当規模の木材製材販売会社であるから、売上高五八万円程度の取引は日常茶飯事であり、かつ井上自身も中小企業などにおいて個人と会社が(経理上)なかなか分離できない要素のあることも日常見聞きしているとの認識があったくらいである。このようなことに照らしても、井上自身にとって、三年以上も前の、格別の意味も感じられない、日常的な一取引の内容と経過や、その際の顧客との遣り取りなどを、具体的に覚えていたとしたら、むしろ覚えていることのほうが不思議である。このような請求書を出したのはこのとき一回だけであるから、そのためいちいち顧客との話しをよく覚えていると理由づけしている検面調書の供述は不自然に過ぎる。むしろ、当時の記憶の曖昧なことを素直に述べる原審公判証言の方がよほど自然であり信用できる。

右のことは、井上幸夫が検察官調べの際に、前項の取引の際に電話で交渉した相手方が誰であったか記憶していたか否かについても同様である。前項に述べたとおり、三年以上も前の、金額も少額であり、請求書の宛て先や内容を変えること自体もさして格別のこととおもわれない日常茶飯的な一取引に関して、何らかの顧客との遣り取りを覚えていることの方が不思議である。ましてや本社事務所内の管理職や社員でさえ多数を数える被告会社に、電話で、何らかの話を三年以上も前に誰にしたか、ということなど、覚えているはずなどないであろう。とりわけ、井上は杉晃被告人とは、全取引を通じてせいぜい二、三回しか会ってないのであるから、その電話の声などを明確に判別し記憶できるはずがないといえる。

だから井上は、前記のように検面調書第七項で「何分三年余り前のことになりますので、詳しい状況までは覚えておりませんが」とわざわざ断っているのである。

井上が、原審公判廷で、草竹との右取引の件について(被告人会社の)誰に相談したかは覚えてないし、検察官取調べ当時も記憶はあやふやであったと供述するのは、素直な記憶をそのまま証言した自然な内容として十分措信するに足りる。

八 そして、井上の検面調書の作成状況について、井上は原審公判において、検察官の質問に対し、次のように答えている(一四丁裏ないし一六丁表)。

昭和六〇年一月二九日付、井上幸夫の検察官に対する供述調書末尾の署名指印部分を示す。

これは、あなたが名前を書いて指印したものですか。

はい、私の署名です。

取調べを受けたとき、調書は、書いてもらった後、読んで聞かしてもらいましたか。

はい。

当時の記憶では、記憶どおり話されたんですか。

ちょっと幾分作文みたいなところがあるなということで聞いてましたけれども、まさかこんな裁判になると思いませんでしたんで、そのまま指印押しました。

あなたが作文みたいだなというふうに感じたのはどういうところですか。

ちょっと草竹さんに不利になるようなのを強調して書かれているような、幾分我々感じました。

例えば、どういうところが不利になるように感じたわけですか。

まあ、例えばより、大体すべてそのようにも思いましたけれども。

でも、検察官のほうは、要するに、草竹社長のほうから請求書の宛て先を会社宛てにしてくれというふうに言われたんじゃないかと、そういうふうに取調べを受けたんでしょう。

はい。それはもう全然、私どもしたさかいに、それは完全にこうですということを言いました。

要するに、あなたの言うとおりに調書を作成してるわけでしょう。

はい、その分はなっておりますけれども、大体ほかの面見ててもそういう嫌いがあるなと思いながら、まさかこういう法廷に私出るとは思いませんでしたので、もう時間も遅くなってきましたんで、署名指印した次第で。

要するに、どこか違うところとかいうのがあったわけですか。

総体的にそういう嫌いがありましたんでね。

具体的にどういう点が違ってるのかというのは、はっきりしないんですか。

まあ、文章一つ見ても、ちょっと強調せんでもいいようなところを強調したり。

事実と違うということを書かれたということはないんでしょう。

事実には間違いないといったらそれまでですけれども、文字のテクニックというのが、そういう面がございます。

イエスかノーかで違うということを書かれたという記憶はあるんですか。

ノーかイエスかという中間やったら、こっち側にというふうに、記憶がもうひとつあやふやな場合やったら、この調書を取られた方の本意に書かれてるような嫌いが、ちょっとそれを見ておったら、あるなと思いながら、見やしていただきました。我々としては気楽な気持ちで、当初半時間で済むさかいに来てくれということで行きましたら、延々三時間、四時間。もう次の段取りあるのにはよしてもらわれへんかなということでしたんですけれども。

何時から何時まで調べを受けたんですか。

三時から八時ぐらいまでです。当初は一時間で済むさかいにということだったんです。一時間で済むさかいに、とにかく出て来てくれということで、お伺いしたんですけれども。

終わったのが午後八時ですか。

八時ごろだと思います。えろう長い間あるなと思って、こんなものかなと思って書いたんですけれども。こういうの初めてですんで。

その長くなったというのは、要するに、草竹さんのほうから宛名の書替を指示されたんじゃないかという点で長引いたということじゃないんですか。

まあ、そういうものもありますね。

要するに、そこがよく一番聞かれたことでしょう。

はい。

九 次に、井上は、弁護人の質問に対し次のように答えている(二八丁裏ないし三一丁表)。

先程検察官から示された検察官に対する調書ですが、あなたが一昨年の一月二九日に奈良の検察庁へ行って、述べられたことが、調書にできてますね。その調書では(請求書の宛て先を)会社あてにすることについての交渉というのは、社長としたように述べられておられますね。しかも奥さんとはしていないんだというふうに述べておられますね。そういう調書になってますが、それは記憶しておられますか。

もう現在は、どなたと交渉したかちょっと記憶にございません。

調書がこうなっているのは知っているかという尋問ですが。

金額的に五八万ですし、七年も八年も前のことは現在記憶ございません。

この調書ができた当時はどうだったんですか。

調書にどない書いたというのも、今ちょっと分かりません。

調書の要旨は、今私が言ったとおりです。

そうかも分からないということです。調書どない書いたか現在記憶ないわけです。

調書で述べられておるんですが、その調書が作成された当時は、そういう記憶であったのか、その書いていること自体がはっきりしないのにそう書かれておるのか、その点を聞いておるんです。

あやふやです。

そのときからあやふやですか。

はい。

あなたの調べというのは、相当長時間であったということを言われましたね。一時間で済むから来てくれというふうに言われて行ったところが、午後三時ごろから八時ごろまで掛ったということですね。

はい。

そのようにわずか調書を作るのに、時間が掛ったというのは、やはり交渉を奥さんとしたのか社長としたのかというような点が問題だったんですか。

含めてです。

それで時間が掛ったということですか。

はい。

それで大分検事さんと、押し問答があったわけですか。

押し問答はございませんけれども。

はっきりしませんよということをあなたは言っておったわけですか。

はい。

そうしますと最終的にそのことをあなたは認めたわけですか。

そうです。調書ではそうなってますね。

調書がそうなっているというのは、あなたが言わないのに調書を作っていかれたということですか。

そんなことはないです。ノーはノー、イエスはイエスです。

けれども、中間的なこと、あやふやなことは、やはり調書の場合は、分かりませんでは済みませんので。

はっきりしないことを断定したかのごとく表現されているということですか。

多少ね。

検事さんにははっきりと、はっきりといたしませんという答えをしておったわけですね。

はい。

一〇 前記証言内容からみて、井上は、長時間にわたる取調べが続き時間を気にして調べを早く終えたいことや、検面調書の刑事裁判上の法的重要性に殆ど無知であったことから、自己のあやふやな記憶を敢えて断定的な供述内容として作成された検面調書に安易に応じて署名したことが窺える。そのため、前記検面調書の内容には、取調べ検察官の予断に基づき意図的に、井上の取調べ当時の記憶が歪められて、断定的な内容として録取されており、前記検面調書の記載内容は井上の記憶を正確に再現したものではない。

一一 杉晃被告人は、本件以前から毎月末の支払い時期の経理書類に関し、ダンボール箱一杯になる程で、積み上げると一メートル近くにもなる、多数の請求書や支払い伝票を、いろいろの仕事の合間に一~二日でチェックし、決済しなければならず、また、売上に関する赤伝票に注意を払い、被告会社の製品が返品される場合その理由、即ち、会社製品の技術的欠陥を知り、製品の改善向上を図るべく留意するなどし、極めて多忙な職務に就いていた。更に、実際の会社内の請求書の受け取りから支払いに至るまでの会計事務処理は、晴美被告人及びその他の経理事務職員に全てを委ねていた(原審証人宮川和子の第六九回公判調書八丁裏ないし一二丁表、一九丁ないし二一丁。同吉田善弘の第六五回公判調書二八丁裏ないし三四丁等)。従って、一件五八万円程度の支払いについて一々、取引先の電話に出て応対し、個人の支出を会社経費にするような話をすることはあり得ないことであった。

一二 井上は、検察官取調べの際も原審公判証言当時も、前記の各取引については、あやふやで曖昧な記憶か、むしろ殆ど記憶がなかったのである。それにも拘らず、検察官による取調室での非公開の密室で、同人が証言するような前記取調べ情況のもと、社長の杉晃被告人も会社経費へ付け込みの事実を知っている筈である、という検察官の予断による特定の捜査目的に沿うべく、全体が断定的な内容の供述調査が作成された。かかる検面調書の作成は、全体として到底信用すべき状況下でなされたものとは言い難い。これに反して、井上は公開の公判廷において、現在は全く取引関係の存しない(井上第一八回公判調書三一丁裏など)被告人らに配慮する必要もない情況下において、各取引の事実経過を詳細かつ率直に証言しており、その内容は全体としてごく自然なものである。

このようにして、井上の本件検面調書は信用性がなく、また、いわゆる特信性の要件を欠くものであり、このような調書を証拠とした原判決は、刑訴法三二一条一項二号に違反する証拠により事実を誤認したものである。

一三 杉晃被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(三二七)一三項には次のように記載されている。

次に建築中の自宅の用材の一部を入れてもらった、

金幸木材

のことについてお話します。

昭和五五年ころ西園の紹介で金幸木材の井上さんを知りました。西園と共に何度も金幸木材へ足を運び木材を見たりしました。昭和五六年一〇月査察前に桧の丸太を自宅用に買ったのが最初の取引でした。その時私は井上さんに私方との取引については帳簿に出さない裏取引にしてくれるよう頼みました。その後査察が入り井上さんには今後は裏取引にせず、きちんと取引をしたいと申し出ました。

問 昭和五六年一〇月ころ、金幸木材から敷居などを買っているがその時、君と井上の間で請求書の宛名を会社にするとか納入品目について経費で落ちるものに書き替えるというような話をしなかったか。

答 敷居などは買った事実はありますが、そのようなことは一切ありません。

金幸と当社の間には取引がないことは当初から判っていました。

すなわち、杉晃被告人は、被告会社と金幸との間に取引がないことは当初から分かっていたが、敷居等を購入する際、会社の経費で落とす話などは一切していない旨供述している。

一四 この点につき、晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)第一八項には、晴美被告人が自宅の敷居や鴨居の材料だったと思うが、金幸の社長さんに請求書の内容を会社の経費としてくれるよう頼んだ旨記載されている。

杉晃被告人は、自宅敷居等が会社経費として処理されていることに気付いていなかったのである。

以上述べたように、原判決は刑訴法三二一条一項二号の要件を満たさず証拠能力のない検面調書を証拠とするなどして、事実を誤認しているものである。

一五 従って、金幸関係で被告会社の昭和五七年七月期の消耗器具費へ付け込んだ五七万九、二〇〇円(五八万円から振込料八〇〇円を差引いた金額)については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意がみとめられない。

なお、原判決書の修正損益計算書(一)(二)の勘定科目消耗器具費、修繕費、外注工賃、工場消耗品費、広告宣伝費等の金額は、原審検察官の昭和六〇年三月一日付冒頭陳述書の修正損益計算書(一)(二)の勘定科目の金額どおり認定されている。

一六 また、当時杉晃被告人、晴美被告人夫婦両名の年間収入は約一億円程度であったが、杉晃被告人は会社の金銭管理のほか、同被告人個人に帰属する金銭管理、夫婦の備蓄等も結婚以来すべて妻晴美被告人に一任していた。杉晃被告人は自分の月給も直接手にすることがなく、必要に応じて妻からもらい、外出するときは一〇万円か二〇万円程度受取っていた(検三一三、杉晃被告人の昭和五九年五月二日付質問てん末書問五、同被告人の原審第八九回公判調書六丁裏以下等)。

右のような家計の実情も、杉晃被告人が自宅建築費用の被告会社経費への付け込みに気付き得なかった一理由と思われる。

本件当時における被告人夫婦の備蓄状況、年間収入の内訳明細等については、控訴審において立証予定である。

第三 高津屋関係

一 原判決は、高津屋関係につき、二一丁裏以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、昭和五六年七月ころ、建具製造販売業者の高津屋(経営者中田雅之)に自宅の建具を代金二三五〇万円で発注したが、被告人杉晃は代金の交渉を自ら行ったうえ、着手金を支払う際、中田に対し、帳簿には着手金の一部しか載せないでほしいと依頼した。そして、同被告人は昭和五六年一一月末ころ、中田から内入金の支払いを請求された際にも「会社の経理として内入金の名目では通らないから、請求書を送ってほしい。そのときは明細を適当につけ、請求金額にも端数をつけてほしい。」とか、領収書の宛て先を被告会社にしてほしいなどと依頼し、自ら右内入金を被告会社の小切手で支払った。こうしたことから、中田は、その後も端数をつけた被告会社宛の請求書を送付し、被告会社振出の小切手や他者振出、被告会社裏書の約束手形等で残金の支払いを受けた。

(中田雅之証言〔第五回公判期日〕、高津屋調査書〔検412〕、小松茂作成の確認書〔検131〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕)

二 高津屋調査書(検 四一二)小松茂作成の確認書(検 一三一)によれば、原判決判示のように、高津屋が被告会社振出の小切手や他者振出被告会社裏書の約束手形等で残代金の支払いを受けたことは明らかである。

しかし、前記判示中に「被告人杉晃は、昭和五六年一一月末日ころ、中田から内入金の支払いを請求された際にも『会社の経理として内入金の名目では通らないから……』とか、『請求金額にも端数をつけてほしい』と依頼し」と認定されているのは事実を誤認した疑いがある。

この点について述べると、右中田の被告会社宛の昭和五八年三月二五日付の三〇〇万円の請求書(検 四一二 高津屋調査書中の請求書、本書末尾添付(一)の請求書)には、「第三回内入金トシテ」と、しかも、端数をつけない金額が記載されている。大切な継続取引先の杉晃社長から、若し、昭和五六年一一月末ころ、「会社の経理として内入金の名目では通らないから」とか、「端数をつけてほしい」とか、頼まれたというのが事実ならば、中田がその一年余り後に、これに従わず、「第三回内入金トシテ」と書き、端数をつけずに請求したということとなる。中田は杉晃社長の折角の依頼を無視して、金銭の支払いを請求したこととなるのである。大切なお得意先である杉晃社長に対してこのような態度をとって代金を請求するであろうか。しかも、「内入金」として請求後、杉晃社長ないし草竹側から内入金という記載では困る、書き直してくれとも言われていないというのである(中田雅之との原審第五回公判調書四六丁表)。

このような事実からみて、杉晃被告人が前記のような依頼をしたということは極めて疑わしいことである。明細を適当につけ、請求金額にも端数をつけた請求書を送ってほしいという理由づけの事実の存在が疑わしいのであるから、ひいては杉晃被告人が前記判示のような内容の依頼をしたということ自体も疑わしいものと考えざるを得ない。

杉晃被告人からの依頼などなかったからこそ、中田は同人の商売の慣例上いつもどこにでも出している「内入金」と書き、端数もつけた請求書を被告会社宛てにも出したのであろう(前回公判調書四五丁裏)。原判決には事実誤認の疑いがある。

三 なお、検一三一の小松茂作成の確認書中の手形、小切手には「草竹コンクリート工業株式会社草竹杉晃」の記名印が捺印されているが、杉晃被告人自身が記名捺印したものではない。通常の業務に従い同社会計担当者が記名捺印したものである。(株式会社金幸関係一一<四ページ>参照)。

四 次に、前記判示中に被告人杉晃は、昭和五六年一一月末ころ中田から内入金の支払いを請求された際にも……「領収書の宛て先を被告会社にしてほしいなどと依頼し」と認定されている。これは、中田証人が検察官からの質問に対し、杉晃社長から、被告会社事務室で、二八七万円の領収書の宛て先を草竹コンクリート宛てにしてくれ、と頼まれた旨証言した(前同調書一六丁裏ないし一七丁)ことなどに基づくものと思われる。

右判示の領収書、即ち高津屋中田雅之作成名義の昭和五六年一二月二五日付額面二八七万円の領収書(検四一二、高津屋調査書中の領収証、本書末尾添付(二)のもの。昭和六〇年押第二号符号一五中の昭和六〇年検領第六六号符号二〇-五)の右金額はペン書きでなく、チェックライターで印字されていることから、右領収書は、中田が被告会社から受け取った小切手を持ち帰り、その受領金額をチェックライターで打ち、自分の店から郵送したものであると、中田自身が証言する(前同調書三四丁裏、五三丁裏)。

しかしながら、商売人同志が二八七万円もの支払いをしてその場で領収書が受授されないというようなことがあるだろうか。右中田の証言は信用できない。

また、領収証の郵送という点につき、弁護人から中田に対し次のような質問がなされた。

「そうしますと、五六年の一二月二五日にこの二八七万の領収証というのは、今日よく考えてみると、後で郵送したように思われるということですね。

はい、そうです。

そうしますと、先程検察官からお尋ねのあったように、草竹杉晃社長が、宛名は草竹コンクリートにしてくださいと言ったというのは、郵送になればそういうことはなかったわけですね。

社長さんから草竹コンクリート工業株式会社と書いてくれということは聞きませんけれども、私自身、……いや、やっぱり聞きましたね。そういうように聞いて私が書いたんです。

郵送というのはどういうことですか。郵送というといつ聞かれますか。

向こうから現金を送ってこられたときにメモが入ってまして、領収証を郵送してくれということを書いてあります。」(前同調書三五丁裏ないし三六丁)

前記問答について検討すると、

二八七万円の領収書が中田から被告会社宛てに郵送されたというならば、杉晃社長から被告会社事務室で領収書の宛て先を会社宛てにしてほしいなどと依頼され、被告会社事務室で額面二八七万円の小切手を杉晃社長から受取り領収書を作成した(前同調書一四丁裏ないし一七丁表)ということはあり得ない。

中田証人は、弁護人から質問されてこの矛盾する事実に気付き、前記のように「現金を送ってこられたときにメモが入ってまして、領収証を郵送してくれということを書いてあります」と証言を変更した。

即ち、被告会社事務室で杉晃社長から領収証の宛て先を会社宛てにしてほしいと依頼があった旨の証言に矛盾し、これを否定する証言をしているのである。

次に、前記の「領収証を郵送してくれということを書いてある」というメモについて検討すると、中田証人は、検察官から質問された際には、次のように証言している。

昭和六〇年押第二二号符号一六中、昭和六〇年検領第六六号二〇六-九を示す。

この中に、昭和五八年四月二二日付で高津屋中田雅之名義の額面金額三〇〇万円の領収証がありますが、これがその領収証ですか。

はい、そうです。

これについてもあて先が草竹コンクリート工業株式会社になっておりますが、宛て先については何か指示があったんでしょうか。

いや、別にその当時は、もう指示はありません。

どうして草竹コンクリート工業株式会社の宛て先にしたんですか。

そういう領収証を欲しいというメモはもらってあります。

そのメモはだれからもらわれたんですか。

小切手や約束手形を郵送してきた封筒に同封してありました。(前同調書一九丁ないし二〇丁表)

しかし、弁護人からの質問に対しては次のように証言している。

三〇〇万について小切手で郵送してきたと。

はい。

そのときにその封筒の中に、宛名を草竹コンクリート工業株式会社にしてほしいというメモが入っていたんですか。

ほしいというより、会社の用せんに、領収書を折り返し送ってください。というふうに書いてあったもんですから、草竹コンクリート工業株式会社と書いて送りました。

送り状というのがありますが、そこに書いてあったんですか。

そうです。

それを見て、単に領収書を送ってほしいというふうに書いてあったから、あなたのほうで会社宛てにしたんですか。

会社の用紙でしたから、会社宛てにしました。(前同調書五一丁裏ないし五二丁表)

会社の用紙に、領収書を折り返し送って下さい、と書いてあったから、証人自身の判断で会社宛ての領収書にしたにすぎないというのである。

このようにして、原判決の「杉晃社長が中田に対し、「領収書の宛て先を被告会社にしてほしいなどと依頼した」という前記認定は証拠に基づかない認定であり、原判決は事実を誤認している。

五 中田は前記のような客観的事実に反する証言をしつつ、同日の証言中に、杉晃社長が中田に対し、自宅建築費用の被告会社経費への付け込みを依頼した旨証言しているのである。このような中田証言は、全体的に信用できない。

杉晃社長が中田に対し、右のような不正経理のための協力を依頼したことなどないことは、杉晃被告人が昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三二七)一八項以下において、次のように供述しているとおりである。

次に新築中の自宅用建具を納入してもらった。

高津屋

の中田さんとの取引についてお話します。

高津屋と当社の間に取引がないことは自宅用建具を注文した時から知っていました。

昭和五六年春ころ、西園の紹介で高津屋を知りました。

自宅用建具の見積を出してもらい、七月ころ自宅に来てもらい発注しました。場所は、はっきりしませんが、三階の会議室で私、妻、西園、中田の四人で話し合い発注しました。

値段交渉は、いつもどおり私がし、二、三〇〇万円余りで話がまとまりました。

その場で中田さんの方から着手金の支払の請求がありました。

金額までは覚えていませんが、この時は妻が私の横で中田さんに現金をわたしておりました。

問 金を渡したのは君ではないか。

答 妻でした。

問 その時、君達の方から中田に中田の帳簿には着手金の一部しか載せないでくれと頼まなかったか。

答 そのようなことは一切ありませんでした。

その後、中田さんの方からは、仕事の進行に合わせて内金の支払の請求がありました。

問 昭和五六年一一月末ころ、中田から内金の請求があり、それに対し君の方から納入先を草竹邸としない請求書を入れるよう指示したことはないか。

答 そのころ内金の支払の請求があったとは思いますが、そのような指示をしたことはありません。

その年の一二月暮ころ、中田が会社へやってきて私、妻、西園、中田の四人で建具の話などをしました。

場所は、はっきりしませんが、会議室だったと思います。

この時は、建具の形などの話をしていたと思います。

内金の話までしたかどうかまでは記憶にありません。

問 その時、君が会社の小切手で中田に内金を払ったりしなかったか。

答 そのようなことはありませんし、そのようなことがあったとしたら妻がしたことだと思います。

問 中田の出す領収証の宛名などについても話にならなかったか。

答 そのようなことはありませんでした。

いずれにせよ代金支払方法について私が中田さんと話をしたことはありません。

問 その後君の方から中田に対し請求書の金額には端数をつけてくれと頼んだりしたことはないか。

答 そのようなことはありません。今回査察後、妻に聞き、妻が中田さんにそのような指示をしていたことを知りました。高津屋さんからの請求書については、支払前に私のところへまわってきたものを見たことが何度かあります。

六 他方、自宅建築費用の被告会社経費への付け込みに関し、晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)第二〇項には次のように録取されている)。

次に、

高津屋

のことについて話します。

高津屋は、建築中の自宅の建具類を納入してもらっております。これも本来は私や夫が個人で支払うべきものですが、会社の経費として処理しました。ここも西園さんの紹介でした、取引を始めるときには、西園さんが高津屋の主人である。

中田雅之さん

を会社事務所に連れてきましたので、会社三階の会議室で注文について打合せました。そして、高津屋に注文をお願いしたのです。この時には、別に請求書の書き変えなどは頼みませんでした。ただ、当初は私の方で一方的に経費として処理していたのです(なお、この点につき、晴美被告人は原審第九〇回公判調書三九丁表で「そんなことはありません」と検面調書の記載を否定している)。ただ、一度だけ中田さんに頼んで白紙の請求書をもらったことがありました。時期的には、はっきり覚えておりませんが、前回昭和五六年一〇月に大阪国税局の査察が始まったあとであったのは覚えております。初め、高津屋さんから、

草竹邸の新築工事

という名目で請求書が送られて来ました。

私は、それを見て会社の経費で処理するのには、そのままでは具合が悪いので社宅への納入に変えて処理しようと思いました。そこで、そのころ、私は会社事務所から高津屋さんに電話をかけて、

社宅にしたいので、白紙の請求書が欲しいんですが。

と頼みました(なお、白紙の請求書をくださいと頼んだという点につき、晴美被告人は前同公判調書三八丁裏ないし三九丁表で「そんなこともありません」と検面調書の記載を否定している)。

すると、中田さんは承知してくれ、それから問もないころに白紙の請求書を郵送してくれました。それで私は白紙の請求書に娘の宏子に言って元の請求金額などを写させ、それを会社の請求書綴に綴りました。そして、元の請求書は高津屋さんに送り返したのです。

問 そのほか、中田さんに何か依頼したことはないか。

答 何もなかったと思います。

問 たとえば、請求書や領収証の宛先を草竹コンクリート工業宛にしてもらったことはないか。

答 私は、そのようなことは頼んでおりません。

ただ、今思い出しましたが、請求金額がちょうど切りの良い数字であったときに端数をつけてもらったことはありました。

後日再び税務調査を受けたとき、きりの良い数なのでは不審に思われ、そのような不正を行っていることがばれかねないと思い頼んだのです。

このように、晴美被告人が、中田に対し会社の経費で処理するため、請求金額に端数をつけてくれるよう頼んだことが認められる。

七 なお、第一、一、3、において述べたところであるが、原判決の認定どおりならば、請求書の金額に端数をつけてくれと頼んだ人物と、一か月足らず後に右端数を削ってしまった人物とは同一人物である杉晃被告人ということになるが、同一人物がこのような前後矛盾した、人格分裂的行動をとるとは考えられず、この点からも杉晃被告人が昭和五六年一一月末ころ中田に対し前記依頼をしたという中田証言は信用できないものである。

八 これらの事実が認められるにもかかわらず、中田証言に基づいて前記判示事実を認定している原判決は事実を誤認したものである。

九 従って、高津屋関係で被告会社の昭和五七年七月期の修繕費二八七万円、同五八年七月期の外注工賃二七三万円、修繕費五二五万一、〇〇〇円として付け込んだ金額合計一、〇八五万一、〇〇〇円分については杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意が認められない。

第四 株式会社西川銘木店関係

一 原判決は、株式会社西川銘木店関係につき、二二丁表以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、昭和五六年ころから株式会社西川銘木店(以下「西川銘木店」という。)から自宅建築用の高級資材を購入していたが(なお、被告会社と同店との間に取引関係はなかった。)、昭和五七年一月ころ、自宅用の天井板(代金六五〇万円)を発注し、これは昭和五七年四月に納入された。そして、右発注に際して、被告人杉晃自身が代金額の交渉を行い、その際、同被告人は、同店従業員の安井正生に対し、「西川銘木店と取引をしたことがお互いにわからないようにしてほしい。請求書には銘木店ということを出さず、明細の記載もしないで欲しい。また、金額を分けて欲しい。」などと依頼した。そこで、安井は、架空の「株式会社西川」名義で、品名を記載しない金額二九五万円(同年三月二五日付)と三五五万円(同年四月二四日付)の二通の請求書を作成、送付し、それぞれ被告会社から支払いを受けた。

(安井正生証言〔第四回公判期日〕、(株)西川銘木店調査書〔検413〕)

二 株式会社西川銘木店調書(検四一三)によれば、現判決判示のように、架空の「株式会社西川」名義の二通の請求書が作成、送付され、被告会社から支払いを受けた、という事実は明らかである。

しかし、原審第四回公判において、株式会社西川銘木店従業員安井正生証人は、前示の「請求書には銘木店ということを出さないで欲しい等と依頼をした人物」について、検察官の質問に対し判示事実に添う次のような証言をしており、原判決も前示認定をしているが、右認定は事実を誤認したものである。

名義の点はどうなんですか。株式会社西川銘木店ではなくて、株式会社西川名義の請求書や領収証になっている点ですけれども。

銘木店という名前が入ったら具合が悪いようにおっしゃったと思いますけれども。

銘木店という名前を入れないようにということを言われたということですか。

そうです。

その点はだれの指示によるんですか。

草竹さんです。

草竹さんというと、どなたですか。

草竹杉晃さんです。

(中略)

それは、先程お尋ねしたように、草竹さんのほうで代金を会社名義の小切手などで払っている関係から、今度の天井板の取引についても会社の使用するものか、個人の自宅で使用するものか分からなくするためだと思ったわけですか。

はい、そうです。

そのようなやりとりですけれども、それは、その場には、ほかに草竹社長の奥さんの草竹晴美さんや、西園さんはおられたんですか。

おられました。

二人とも、あなたと社長とのやりとりは聞いておられたんですか。

それは、恐らく聞いておられないと思います。

それは、少し離れたところにおられたという趣旨ですか。

と思います。

三 この点に関し、安井証人は、弁護人の質問に対しては、次のように証言している。

先程の請求書や領収証の名前を株式会社西川というようにしたのはどうしてですか。

それは草竹社長から確か銘木店の名前を消すように言われたと思います。

これは奥さんの晴美さんのほうから、『西川銘木店というふうに書かれたら、ちょっと具合が悪いんだけどもね』というようなことを言われなかったですか。

私は、それは覚えありません。

記憶ありませんか。

奥さんからは何もなかったように思います。

それで証人が株式会社西川という会社にしましょうというようなことを言いませんでしたか。

それは分かりません。言ったかもわかりませんが。ちょっとそれは覚えてないです。(三七丁裏以下)

四 右のように、安井証人は、検察官の質問に対しては、「銘木店という名前が入ったら具合が悪いようにおっしゃったと思うのは草竹杉晃さんです」と答えながら、弁護人から、晴美被告人から、「西川銘木店というふうに書かれたらちょっと具合が悪いんだけれどもね」と言われなかったか、そして証人が「株式会社西川という会社にしましょう」と答えたのではないか、と記憶喚起のための質問をされると、「それは分かりません。言ったかも分かりませんが、ちょっとそれは覚えないです」と答えている。

このように、安井証人は、晴美被告人は、「安井証人と杉晃社長とのやりとりは恐らく聞いていない」、「少し離れたところにいたと思う」と証言していたにもかかわらず、晴美被告人が言ったかも分からない、と証言し、杉晃被告人から言われたとは断定できない旨証言を変更している。

五 更に、安井証人は、弁護人の質問に対し次のように証言している。

代金を決める時居合わせた四人が一緒に話をしておったんですか、あるいは、ばらばらに離れておったんですか。

私の記憶では社長一人だったという覚えがあるんですが、はっきりしません。

代金の額について西園氏がどういう話をしていた、あるいは奥さんがどういう話をしたかという記憶はありますか。

私が社長に代金を申した時に、それは社長が言われたから皆さん知っておられるかどうか、ということはあるかも分かりませんけれども、皆の前で、もしその時言われたら、言っているかも分かりませんけれども、はっきり確信したことは覚えておりません。

代金の折衝の時に、奥さんのほうが、その代金について、何か意見をおっしゃった記憶はありませんか。

覚えてません。

西園が代金のことについて、何か意見を言った記憶はありますか。

覚えてません。

そうすると、だれがどういうような話をしたかということについては、それほど正確に記憶していない場面もあるわけですね。

代金の場合は覚えてることと、覚えてないとこがありますから。

前示のような安井証言の内容から見て、自宅建築用の天井板の購入に際し、その費用を被告会社経費へ付け込むよう依頼したのは杉晃被告人であると断定することはできないと思われる。安井証言は、捜査段階における検察官の予断による誤導によって形成された記憶に基づくものである。

六 この点につき、杉晃被告人は、昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三二七)第二五項において、安井正生と、自宅建築現場で天井板の購入の交渉をした際、値段の交渉はしたが、代金支払いの話はなかったこと、この代金支払いについても査察後、妻が会社の金で払っていたことを知った旨供述している。

そして、晴美被告人は、右同日である昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)第六項、第七項において、安井に依頼したのは自分である旨供述している。すなわち、

……一度だけ安井さんに頼んで請求書や領収証に細工をしてもらったことがありました。正確な時期は覚えておりませんが、西川銘木から天井板を購入したときでした。その日、安井さんが自宅の建築現場まで天井板を届けてくれました。そのとき、私と夫と西園さんの三人が安井さんとともにその天井板の善し悪しを確認しておりました。このとき私は、安井さんを少し離れた場所に呼んで夫や西園さんに聞こえないように、

取引の内容が分からないようにお宅の会社の名前が出ないようになりませんか。

と言いました。

私はその代金も会社の経費として会社のお金で支払うつもりでしたので、それならば「銘木店」という名前の請求書や領収証では具合が悪いと思ってそう言ったのです。

すると安井さんは、

うちの関連会社に株式会社西川という会社があるので、そこの名前にしますわ。

と言ってくれました。

それで結局そのとおり株式会社西川名義の請求書や領収証を貰い、会社の経費として処理したのです。

問 他の請求分はあなたが一方的に会社の経費として処理しているのに、どうしてそのときだけ請求者の名義を書き替えてもらったのか。

答 いつもは代金の支払いは電話で話し合っており、直接会うことはないのですが、そのときには、安井さんと直接会って支払いの交渉をしましたので、そのように頼んだのです。

七 なお、第一、二、4、(六)において述べたところであるが、原判決認定のとおりならば、杉晃被告人は不正経理への協力を依頼したという西川銘木店(安井正生)からの請求書記載の請求金額の端数を、三回にわたり削り、値切っていたという前後一貫しない、不合理な行動をとったことになる。この点からも右のような協力依頼をしたのは晴美被告人であり、杉晃被告人から依頼されたという安井証言はこの点からも信用できない。

八 以上のような事実からみて、安井正生に対し、前記依頼をしたのは晴美被告人の単独行動であることが認められ、これを杉晃被告人とした原判決は事実を誤認したものである。

九 従って、西川銘木店関係で、被告会社の昭和五七年七月期の工場消耗品費三五五万円で、同期の修繕費四五三万円、同五八年七月期の修繕費一〇四万二、〇〇〇円へ付け込んだ金額合計九一二万二、〇〇〇円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第五 太陽電機工業関係

一 原判決は、太陽電気工業関係につき、二二丁裏以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、昭和五六年三月ころ、太陽電気工業(経営者守岡貞夫)に対し、自宅の電気工事を発注したが、その際、同被告人は、工事代金を一一〇〇万円まで値切った上、工事の条件を細かく指示した被告会社作成の注文書を守岡に交付した。そして、守岡は、出来高に応じて宛て先を「草竹邸」として請求書を送付していたが、同年暮れころに工事の打合せをした際、被告人杉晃は、守岡に対し、「これから自宅の工事分の請求書や領収書の宛て名は会社にしてくれ。」と依頼し、これを受けて守岡は、昭和五七年七月二五日以降、自宅工事代金の請求書を被告会社宛てにし、被告会社から支払いを受けた。

(守岡貞夫証言〔第一五回、第一六回公判期日〕、守岡貞夫検察官調書〔検470〕、同人作成の確認書二通)〔検467 468〕)。

二 右判示中、杉晃被告人が昭和五六年三月ころ、太陽電気工業経営者守岡貞夫に対し、前記のような被告会社作成の注文書を交付した、という点について一言すると、本件起訴対象年度は昭和五六年八月一日以降分であるが、右交付はそれ以前の行為であるところ、守岡に対し、被告会社作成の注文書が交付されても、右判示のように、守岡は宛て先を「草竹邸」とした請求書を送付し、それで了解され異議なく代金は支払われていたのであり、自宅建築費用の被告会社経費への付け込みという点に関し、杉晃被告人の行為が問題とされる余地はない。

また、前掲守岡貞夫作成の確認書二通(検四六七、四六八)によれば、守岡が請求書の宛名を「草竹邸宅」から被告会社宛に変えたという原判示事実は認められる。

三 次に、原判決は、「被告人杉晃は、守岡に対し、『これから自宅の工事分の請求書や領収書の宛て名は、会社にしてくれ。』と依頼し、これを受けて守岡は……自宅工事代金の請求書を被告会社宛にし……」と、右守岡の検面調書(検470)第七、八項に基づいて認定し判示しているが、右認定は事実を誤認したものである。

守岡が、草竹邸の工事代金の請求書の宛て先を草竹コンクリート工業株式会社宛てに変更したのは、守岡が原審第一五回公判(一四丁)において、検察官の質問に対し、明確に証言しているように「確か、現場の入口のところに、「草竹コンクリート株式会社研究所」という看板が立っておったからです」ということに尽きるのである。

守岡が、検面調書に記載されているように、請求書の宛名を会社宛にするよう杉晃被告人から言われたという、自己の記憶に反する内容虚偽の検面調書を作成されたいきさつについては、後述するように、守岡が具体的詳細に証言しているところである。守岡の検面調書に特信性は認められない。

四 検察官は、原審公判で、昭和六二年六月一九日付証拠調請求書において、守岡の検面調書に特信性があるとして証拠調請求をし、弁護人は同年八月一三日付右証拠調請求に対する意見書において、検察官の挙げた理由各個について、その理由のないことを一つひとつ述べているので、右意見書に述べたところを、概ね再録し、原判決が刑訴法三二一条一項二号に違反し、特信性の要件を欠く検面調書を採用して事実を誤認した理由を明らかにしたい。

1 前記意見書において検察官は、「守岡貞夫は、昭和五六年ころから、被告人草竹杉晃(以下「杉晃」という)から自宅および被告人会社の電気工事を請け負ってきたもので、公判廷において杉晃らの面前で証言した際は、従来からの取引先である杉晃との取引上の関係から、杉晃をかばって、十分な供述ができない状況にあったことは明らかである。」としている。

(一) 守岡貞夫証人(以下守岡という)が、被告人方の電気工事を請け負ったことは事実であるが、守岡が、工事請負の取引先であり、あるいは取引先であったという事実から杉晃被告人をかばい、公判廷で真実を述べない理由とすることは、独断的見解であって、論理の飛躍があると思われる。取引が一回あったが故に、かえって相手方に不快感を抱くということもありうるであろう。また、数多くの取引先の一つに過ぎず、しかも新築の家の電気工事という一回限りの将来性のない取引先である杉晃被告人に対し、偽証罪に問われる危険まで犯して公判廷で、杉晃被告人をかばって虚偽の証言をするなど、到底考えられないことである。従って取引上の関係というような前記事実は、守岡が公判廷において検面調書の供述内容を変更せざるを得ないような精神的圧迫を受けるということの根拠たり得ないのである。

(二) そして、草竹方は守岡に対し、原審第一五回公判当時は四二、三万円の支払未了の残代金があり(一一丁)、原審第一六回公判当時には全額支払済みとなって取引は終了しているが(一五丁)、右両公判間の守岡の証言内容には何ら変化が認められないのであり、この事実からみても、取引上の関係から、守岡が杉晃被告人をかばい十分な供述ができない状況にあったというが如きことは、事実の裏付けのない主張といえよう。

取引の有無、また、更に一層密接な関係といえる支払残代金の有無というようなことは、守岡の証言内容に何ら影響を及ぼしていない。このことは、原審第一六回公判における工事代金に関する弁護人の質問に対する守岡自身の次のような証言からも明らかである。

証人は前回の法廷で、検事さんから、あなたはまだ工事代金をもらっていない分があるんで、言いにくいことがたくさんあるのかというふうに聞かれてますが、工事代金をもらった、もらわないということが、証人の証言に影響があるんですか。

ありません。

工事代金をもらってないから、社長の不利なことを言うともらえない虞があるから、わざと嘘の有利なことを言おうというような気持ちはあるんですか。

ありません。

今度もその工事代金を値切られてるわけですか。

少し。 (二〇丁表)

(三) 更に、取調検察官自身が守岡に対し、被告人側との接触を禁じているが、被告人側からも守岡に対し、何らの働きかけ、接触をしていないことはもちろん、本件が話題にすらされていないことは、原審第一六回公判における前記証言に続く、弁護人の質問に対する守岡の次のような証言内容からも明らかであり、守岡は法廷において良心に従って真実を述べているのであり、取引上の関係から杉晃被告人をかばって虚偽の証言をするというような状況は全く認められない。

この草竹さんの新築の家のことで証人が、法廷ではああ言ってくれとか、こう言ってくれとか人から頼まれたことなどはありませんか。

ありません。

六〇年の二月二日の検察庁の検事さんの調べの後で、何か注意されませんでしたか。

ありません。

このことで会社の人とはいろいろ話したりなんかしたりしてはいけませんよというようなことを言われましたか。

言われました。

どんなことを言われましたか。

検事さんが言ったことですか、この裁判のことについて話したり、この書類を消したり書き加えたりしてはいかんと。

裁判のことで話したりしてはいかんということは、それはだれとと言うことですか。

社長さんや奥さんと思いますけれども。

要するに、草竹さんの会社の方の人ということですか。

はい、そうと思います。

検事さんからそういう注意もあったし、こういうことについては、社長、奥さんはもちろんのこと、会社の人となんかは何も話してないわけですね。

はい。 (二〇丁表ないし二二丁表)

2 検察官は、また、「守岡の証言内容をみても、請求書等の宛名を被告人会社宛に変えたことにつき、第一五回公判においては、『自ら考え出したのか、他からの指示があったのか覚えていない。』旨証言しながら、第一六回公判では『自ら考えて宛名を変えた。』旨証言して、その内容に変遷がある」としている。

(一) この点については、請求書等の宛名を会社宛てに変えた理由につき、守岡は原審第一五回公判において、検察官の質問に対し、次のように証言している。

どうして、五六年一一月の請求書まで「草竹邸」としていたものを、五七年七月二五日の請求書から「草竹コンクリート工業(株)」宛に変えているんですか。

確か、現場の入口のところに、「草竹コンクリート株式会社研究所」という看板が立っておったからです。だから、そのころからと思います。

看板が立っていたからどうだということになるんですか。

会社の研究所になったのかなと思ったんです。 (一四丁)

そして、原審第一六回公判においても、検察官の質問に対し次のように証言している。

請求書の宛て名を会社のほうに変えた理由は何ですか。

先程からも申し上げたとおり、入口に、「草竹コンクリート工業株式会社研究所」という看板がありまして、それで、私は初め個人の家かなと思ってたんですけれども、ここが会社の研究所になるんかなと思って、それで変えたんですけれども。

看板はだれが立てたものですか。

それは分かりません。 (三〇丁裏ないし三一丁表)

このように、守岡は「草竹コンクリート工業株式会社研究所」という看板を見て請求書の宛名を会社宛にした旨明確に証言しているのであり、原審第一五回公判の証言と原審第一六回公判の証言との間に証言内容に何ら変遷は認められない。守岡が、右のように看板を見て、会社の研究所になるのかと思って変えた、とその理由を明確に証言しているにもかかわらず、検察官は原審第一五回公判において(一四丁裏)、「そうすると、あなた自身の判断で変えたということですか。」「あなたが考え出したんですか。それともだれかからそのような指示があったんですか。どちらですか。」と、看板を見て変えたと答えている者にとって、質問の真意をはかりかね、あるいは何れをも選択しようのないような質問をした。そのため守岡は、返答に窮し「よく覚えてないんですけれども。」あるいは「……どっちだったか、そこのところが僕、よくわからないんですけれども。」と返答しているのである。

そして、原審第一六回公判においては、検察官から「あなたは(宛名を変えることを)勝手にやったということですか。」と質問され「はい。その看板に書いてあるとおりに変えました。」(三一丁裏)と答えているのであり、その供述内容に何らの変遷も認められず、検察官の主張は不当なものと考える。

3 検察官は、また守岡は、「請求書の宛名を変えるにつき支払先の了解も得ていない、という極めて不自然不合理な供述に終始している。」としている。

(一) しかし、守岡は請求書を提出しスムーズに支払を受けていたのであり(原審第一五回公判調書七ないし九丁)、また守岡は「いや、私は請求書送って代金もらってたから、別にそれでいいと思ってました。」と証言しており、(原審第一六回公判調書三一丁裏ないし三二丁表)、このことは宛名を変えることについて支払先が了解していたから、支払いがなされたということであって中小企業間の商取引においては、通常請求書の宛名の記載などにはこだわらないのであって、これを極めて不自然不合理な供述に終始しているとする検察官の主張は理解しがたい。

4 検察官はまた「(守岡が)看板を見て、建築中の建物が被告人会社のものと思った。」と証言しながら、その後、昭和五八年一月二〇日付で「草竹邸」宛ての請求書(明細書)を作成したことにつき、合理的説明をせず、矛盾にみちた証言内容である。」としている。

この点については、昭和五八年一月二〇日付で「草竹邸」宛ての請求書(明細書)を作成したことについて、検察官の質問に対し守岡は次のように証言している(原審第一五回公判調書一五丁表)。「はい。会社のほうと家のほうさしてもらってるので、請求書の宛名が重複したかと思います」。即ち、守岡は、草竹コンクリート工業株式会社」」分を、請求書の明細書で特定し、区分した上、両者を併せて宛先を「草竹コンクリート工業(株)」として請求しているだけのことであって、その理由は明確であり、証言内容に矛盾など認められない。

5 検察官は、更に以上のことは、「守岡が、杉晃をかばおうとの考えから、その場しのぎの供述をしたことを如実に物語るものである。」としている。

(一) 本件守岡証言の最重要争点である、請求書の宛名を会社宛てにするよう杉晃被告人から言われたのか否か、すなわち、杉晃被告人をかばおうとの考えから、その場しのぎの公判供述をして、これを否定したのか否か、という点につき、守岡が自己の記憶に反する内容虚偽の検面調書を作成されたいきさつを、守岡は原審第一五回公判において、検察官の質問に対し次のように証言している。

あなたは以前検察庁で先程お聞きした請求書を草竹邸としていたのを、草竹コンクリートの会社に変えたことについて、昭和五六年の暮れごろ草竹社長が私に直接これから自宅の工事分の請求書や領収書のあて名を会社あてにしてくれ、と言ってきたということを述べておられているんですが、記憶ないですか。

そういうことはありません。

検察庁でそのように話したんじゃありませんか。

僕はそれはないと申しました。そうしたら四人ほどおったと思うんですがほかの業者もそう言っているからそうに違いないんだろうということになって、それで私は、寒いし夜九時ごろだったと思いますが時間も遅くなるし、人も待たしていたので、もうみんながそう言っているのやったらそういうふうにしてもらっていいと申しました。

検察庁で、ほかの者が社長から言われたと言っているからあなたもそうでないかというふうに聞かれたということですか。

はい、確かそのようだったと思います。

そのように言われてあなたは、うそを言ったということなんですか、それとも隠し通せないから話したということですか、どっちんですか。

よく分かりません。

うそを言った記憶はあるんですか。

うそは言っておりません。 (一九丁裏ないし二〇丁)

更に、守岡は原審第一六回公判においては、弁護人の質問に対し次のように証言している。

証人はそのように、社長から会社あてにしてくれと頼まれたことはない、と言ったのに、どうして調書のほうは違うように書いてあるんですか。

あの日は雪の降る寒い日でした。私は一時だったか二時だったか、はっきり分かりませんが、呼出しを受けた時間どおりにきちっと検察庁に行きました。

そして、六時頃に終わるという内容の文書で送ってきていましたので、下に人を待たしてあったんですが、六時過ぎても、七時過ぎても、八時になっても取調べがあって、その間、かつどんか何かとみそ汁を食べるように言われて断ったんですが、食べさせられて、その後九時まで一応取調べがありまして、「社長さんが言ったんじゃないか」と言われて、私は今申し上げたとおり、「聞きません」と言ったんですけれども、そのとき、初めは検事さんと事務官と二人がおったんですが、そこへまた二人入って来まして「みんなが社長が言ってるということで認めてるんだから君もそうだろう」と言われて、もう、九時になってくるし、下に人も待たしているので「それやったら、そのようにしてもらって結構です」と言って、そのようなことで認めました。

(中略)

当日は寒かったんですか。

はい、雪が降っておりました。

検察庁へ行ったのが一時か二時頃ですか。

多分、そんな時間じゃないかと思います。

何時までかかったんですか。

九時までです。

その間かつどんを食べたんですか。

かつどんか、玉子と肉が入っていたか、そこは忘れましたけれども、どんぶりみたいなものです。

それは証人がお金を出したんですか。

お金は払いませんでした。

検察庁のほうで払ってくれたということですか。

多分、そうじゃないかと思います。

かつどんの代金を立て替えたから、払ってくれ、ということは言われなかったですか。

言われませんでした。

この日の旅費とか日当みたいなものは、幾らかもらいましたか。

はい、私は結構です、と言ったんですけれども、受取ってもらわんとあかんということで、二千七百何ぼか受け取りました。 (一六丁ないし一八丁)

(二) 検察官が、事実を認めようとしない参考人に対し、食事提供という利益誘導を疑わせる行為をしていることは甚だ釈然としない取調方法であるが、それはともかく、守岡の証言内容は具体的詳細で迫真性に富み、現に体験した者でなければ、到底供述し得ない内容である。

守岡の右証言により、守岡が請求書の宛名を会社宛てにするよう杉晃被告人から言われた、という自己の記憶に反する供述を強いられ、内容虚偽の検面調書を作成されるに至ったいきさつは明らかである。検察官は、前記のように法廷では守岡は取引先である杉晃被告人をかばって十分な供述ができない状況にあったから、検面調書の記載と異なる証言をした旨主張するが、そのような検察官の想像による一般論によって検面調書と法廷証言とが食い違っているのではない。その理由は守岡が法廷で前記のように具体的詳細に供述しているとおりであり、検面調書に証拠能力も証明力も認められず、検察官の主張は不当である。

6 更に、検察官は「これ(法廷供述)に対し、検察官に対する供述調書は、比較的記憶の新しい時期に作成されたもので」あることを本件検面調書に特信性を認める一理由としている。

右の点については、刑訴法三二一条一項二号の「その供述者が公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異なった供述をしたとき」という文理から明らかなように、公判期日における供述後に作成された検面調書の証拠能力は、本号によって認められず、本号の対象となるのは、すべて法廷供述前の検面調書である。従って本号の検面調書がすべて具有する法廷供述に先行するという点をとらえて、記憶の新しい時期に作成されたものであるからとして、検面調書の特信性を理由づけることはできないであろう。

7 検察官は、更に守岡は検面調書において「当時の状況を積極的かつ具体的に供述し(特に、杉晃から請求書の宛名を被告人会社に変えるよう指示された時期については、守岡自ら積極的に供述したことは明らかである。)」としている。

(一) この点について、原審第一六回公判における弁護人の質問に対する守岡の証言内容は次のとおりである。

そこで、先程検事さんから、あなたは検事調書では、五六年の暮れごろの夕方に会社で社長から直接頼まれたように言っておられると。そこまで日をきちっと言っておられるのは、あなたが言わん限りは検事の方では分からんじゃないかという趣旨のお尋ねでしたね。

はい。

ところで、その時に既にあなたのほうからは、請求書や領収証のコピーは全部検事さんのお手もとにいってるわけでしょう。

それは分かりません。

検事さんは、そういうコピーを見ながらあなたに尋ねられたんじゃございませんか。

そうだったように思います。

今、その日までにできておるあなたの確認書なんかから見ますと、昭和五六年一一月三〇日付けの請求書の宛先は「草竹邸」となってる。そして、その次の五七年七月二五日付けの請求書は「草竹コンクリート工業株式会社」宛になってる。そういうことから検事さんとしては、この間にそういう話があったんじゃないかというふうに聞かれたんじゃありませんか。

そうです。

そうしますと、五六年暮れだというふうに、その中間で日を決めたのは誰なんですか。

私、言ったような記憶ありません。 (三九丁)

守岡に対する右のような弁護人の質問及びこれに対する守岡の証言内容からみて、杉晃被告人から請求書の宛名を被告に会社に変えるよう指示された時期について、守岡自ら積極的に検面調書において供述したことは明らかである、とする検察官の主張は失当である。

(二) 更に、検察官がいわれるように、守岡が検面調書において当時の状況を、即ち事案の真相を積極的かつ具体的に供述している点など、守岡の法廷証言と同人の検面調書の記載内容を比較検討してみても、全く見当たらない。

一例をあげれば、守岡の検面調書二項に「昭和五五年一〇月ころ……草竹社長の会社へ行き……草竹社長から新築中の草竹邸の電気工事を見積もるよう言われました。」と記載され、いかにも草竹邸新築工事の電気工事につき杉晃被告人が右工事に中心的、積極的役割を果していたような印象を与える記載となっている。

これに対して、原審第一五回公判における検察官の質問に対する守岡の証言は次のとおりである。

最初、あなたは西園さんからどういうふうに言われたんですか。

数奇屋風の建築をするから、見積りをしないかということでした。

西園さんのほうで数奇屋風の建築を請け負ってるということですか。

そうです。

(中略)

あなたは、そのときすぐに草竹さんに会ったんですか。

会いませんでした。

西園さんからの話で、まず見積りをしたということですか。

そうです。

見積りというのは、図面か何かに基づいてされたということですか。

そうです。

あなたは、いつの時点で草竹さんのほうと会ったんですか。

よく覚えておりません。五六年の見積書を出してしばらくと思います。

(二丁裏ないし三丁表)

原審第一六回公判においても、弁護人の質問に対し守岡は次のように証言している。

その西園さんから頼まれて、草竹さんの新築の家の電気工事の見積りをしたんですね。

そうです。

その工事現場へは見積書を作る前に行きましたか。

行ってないと思います。図面をもらって、それに基づいて見積りしたように思います。

(中略)

見積書を作る時の図面は、だれからもらいましたか。

西園さんからです。

(中略)

証人は前回、草竹社長と会ったのは見積書を出してしばらくしてからだというふうに証言されましたが、そうですか。

そうです。

草竹社長と会う前に、見積書作成について西園さんと何回ぐらい会いましたか。

少なくとも、四-五回は会ったと思います。 (一丁ないし三丁表)

守岡は工事の見積もりを西園棟梁から言われた旨公正な立場に立って証言しており、その証言内容からみて、法廷においてこそ、真相が具体的に供述されていることは明らかである。検面調書に真相は記載されていない。

8 検察官はまた、検面調書の「供述内容に一貫性がある」として特信性の存在を理由づけている。

この点については、本件検面調書は、一般の例にならい、いわゆる要約調書である。しかも、公判廷における速記録のように、質問とこれに対する返答を一々そのまま記録したものではない。国家機関ではあるが、当事者の一方である検察官が取調の対象者から聞き取ったところを、要約の名のもとに、自ら取捨選択し、整理したうえで筆記者である検察事務官に口授し筆記させたものである。法的知識を持ち捜査技術に長じている検察官において、その口授の過程で供述に自然さ、合理性を装わせ一貫性を持たせることは極めて容易なことである。

右事実から考えて、一貫性があるというような理由で検面調書に特信性が付与されるならば、およそ検察官の作成した調書はすべて証拠能力を具有することとなり、伝聞法則を定めた憲法及び刑訴法の精神は没却されてしまうのであろう。

9 検察官は、また「守岡自身、『供述調書を読み聞かされて、間違いないということで署名した。検察官にうそを言っていない。」旨供述していることから見ても、検察官に対する供述の方が公判廷における供述より一段と信用すべき特別な状況が存在することは明らかである。」としている。

この点については、検察官に対する供述内容ないし調書の読み聞かせについて守岡は、第一六回公判において弁護人の質問に対し次のように証言している。

検事さんは、この前にも調書をみせてもらったように、調書を呼んで下さって、あなたはそれについて署名捺印したんですか。

しました。

署名捺印するときに、検事さんが読んでくださったことが実際と違うということは承知しておったわけですか。

はい。

承知しながらも、先程言われたように、もう時刻も遅くなるし、外で人を待たせておるし、寒いしということから、仕方なく署名捺印したということですか。 (二五丁)

そうです。

(中略)

それじゃ、草竹社長から、今後会社名にしてくれと言われたんじゃなくて、その看板を見て私が自分の考えでそのように変えたんですということを検事さんに言いましたか。

はい。

検事さんに言ったのに、そのことがあなたの調書に全然書いてないですね。

そこは僕は分かりませんけれども、書くのは向こうが一方的に書くだけで後でさっと読んで聞かしてもらう時間は、先程の説明のとおりですけど。

そうしますと、署名捺印をする前に、今読んだとおり書いたんだが、あなたの方で何か変更したり付け加えるようなことがありますかというようなことを検事さんから聞かれましたか。

聞かれなかったように思いますけれども。

そうしますと、さっと読んで、名前書いて判押しなさいということですか。

そうです。

あなたは、裁判所で証人として聞かれておるわけですけれども、裁判で嘘を言ったらいかんということは、よく分かってますね。

はい。

前回と今日とお話になってることは、あなたの現在の記憶に基づいて正確に話しておるんですね。

その積もりですけれども。 (二九丁裏ないし三〇丁表)

まさしく、守岡は検察官に対し、うそは言っていないけれども、うそを内容とする供述調書が作成されたのである。

更に、原審第一六回における裁判官の質問に対する守岡の証言内容は次のとおりである。

取調べのことについてちょっと聞くんですけれども、六時ぐらいの予定が延びて九時ぐらいまでになったというのは、どういうことで延びたんですか。

やはり、いろいろ調べることがあったからと違いますか。

質問が多かったから延びたということですか。

多分そうだったと思います。

あなたのほうで、今出てきた宛名の変更のことなんかについてなかなか認めなかったから延びたということはなかったんですか。

多分そうだと思います。

だから、質問が多くて延びたのと、あなたがなかなか認めないから、重要なことについて認めないから延びたのと質が違うんですけれども。

多分、後者のほうと思います。

そうすると、あなたとしては、ずっと認めないでいたわけですね。

はい。

そして、九時過ぎになって認めたということですか。

はい、そうです。 (三七丁)

10 尚、第一、二、(五)において述べたところであるが、原判決認定どおりならば、杉晃被告人は不正経理への協力を依頼したという太陽電機工業守岡貞夫からの請求書記載の請求金額の端数を削り、値切るという不可解な行動をとったことになる。この点からも守岡の検面調書は信用できないものであるといえよう。

11 守岡の本件検面調書はいわゆる特信性の要件を欠き、刑訴法三二一条一項二号に違反するものであり、このような調書を証拠として、試作被告人が守岡に対し、これから請求書などの宛名は会社にしてくれと依頼した、と認定した原判決は事実を誤認したものである。

12 従って、太陽電機工業関係で、被告会社の昭和五八年七月期の修繕費へ付け込んだ三、三二二、〇〇〇円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第六 株式会社瓦宇工業所関係

一 原判決は、株式会社瓦宇工業所関係につき、二三丁裏以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、昭和五四年秋ころ、自宅の瓦葺き工事を株式会社瓦宇工業所(以下「瓦宇工業所」という。)に発注し、昭和五五年暮れころから工事が着手されたが、被告人杉晃が屋根の葺き方にクレームをつけたため、工事が中止され、代金の一部の支払いも停止された。その後、昭和五八年六月二一日ころ、被告会社二階事務所において、被告人杉晃と瓦宇工業所取締役小林俊一との間で残代金の精算の話合いが行われたが、その際、被告人杉晃は、小林に対し、工事に不満があるとして値引きを要求し、その代金を減額させたのち、被告会社振出の小切手で支払った。

(小林俊一証言〔第五回公判期日〕、小林茂作成の照会事項回答書〔検131〕、(株)瓦宇工業所調査書〔検418〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕)

二 小林茂作成の照会事項回答書(検 一三一)添付の額面五五万円の小切手のコピーによれば、被告会社振出の右小切手が、株式会社瓦宇工業所に交付されていることは明らかであるが、前記判示中に、杉晃被告人が右会社取締役小林俊一に対し、残代金を被告会社振出の小切手で支払った、と認定されているのは事実を誤認したものである。

三 小林俊一証人は原審第五回公判において、右判示の趣旨の証言をしているが、同証人の証言内容を見ると、同証人は必ずしも正確に記憶しているとは思われないことを、断定的に証言しているのではないかと疑われる点がある。例えば、右小林俊一は、(株)瓦宇工業所調査書(検四一八。検一〇と同一のもの)添付の昭和五九年七月一七日付査察官調書には、昭和五八年六月二一日午後一時三〇分ころ草竹コンクリート工業(株)に行き、草竹杉晃さんと会い、

……額面五五万の……小切手も草竹杉晃さん本人から受取りました。申し遅れましたが、このとき以外の代金の回収は、会社の従業員に行かせましたので誰から受け取っていたのかは、知りません。

すべて現金でした。

と供述した旨録取されている。

ところが、右小林は原審第五回公判において、弁護人から質問され次のように証言している。

昭和五五年一二月二〇日に、小林さんの方から草竹のほうに請求された、二一九万八〇〇〇円というお金をもらったことはありますか。

ございます。

それは誰れがもらったんですか。

私が行ってもらいました。

証人は去年の七月一七日に、証人の会社の応接室で、査察官の調べを受けたことがありますか。

はい、お会いしました。

そのときには、御自分の記憶どおりに話をされましたか。

はい、しております。

検第一〇号証によりますと、証人はこの小切手は草竹社長から受け取ったけれども、それ以外の代金の回収は会社の従業員に行かせたので、だれから受け取ったか知りませんというふうに、査察官に答えておられるんですが、それが今の話と違いますので。今の証人のお話ですと、五五年一二月二〇日の二一九万八〇〇〇円は証人がもらったという話だったんですけれども、この査察官の質問てん末書では、それは自分ではないというふうに証言しておられますので、それでお尋ねするわけです。

確か言ったような記憶がするんですが、そのときの領収書がございましたら、一目で分かるわけなんですが。

領収書がないものですから、だれがどういうふうに受け取ったかということに対して、証人は前おっしゃったことと違うようなことをおっしゃるものですからお尋ねするんですが、どっちが本当かよく分かりませんか。

今述べさしてもらったほうが、正しいと思います。

今と申しますと。

私が受け取ったというほうが正しいと思います。

以前の供述のほうが、二一九万八〇〇〇円を受け取ったときに接近しているんだから、記憶が正確じゃなかろうかと思うんですけれども。

記憶を呼び返してみると、今証言さしてもらったほうが、事実だったと思います。

(九丁裏ないし一一丁表)

小林俊一の原審第五回公判証言によれば、被告会社からの入金は合計四回にすぎないところ(三丁)、小林俊一は、調査段階では、昭和五八年六月二一日に額面五五万円の小切手は自分が集金したが、この時以外の代金の回収は会社の従業員に行かせたと供述しながら、公判では、昭和五五年一二月二〇日の二一九万八〇〇〇円の集金も自分が行った、と、多額の金額の受領事実について供述を変更して断言して証言するなど、同証人の証言内容には必ずしもそのまま信用し難い点が見受けられるのである。

四 杉晃被告人が被告会社振出の前記額面五五万円の小切手を小林に交付していないこと、支払関係は晴美被告人にさせていることなどについては、杉晃被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三二七)第一〇項、第一一項に、次のように供述しているとおりである。

次に新築中の自宅の材料の納入業者や工事人に対する支払関係について知っている事をお話します。まず新築中の自宅の瓦ですがこれは奈良市内の「瓦宇工業所」という所から納めてもらいました。昭和五四年秋、私が瓦宇の「小林さん」に自宅用瓦の見積を依頼しました。出された見積を検討し気にいりました。それでその年の暮れころ、私、妻、西園の三人で瓦宇へ行き注文しました。その後、瓦宇から瓦が納められ、瓦宇の職人が、瓦葺きを始めてくれました。

ところが、瓦宇の職人が、冬の寒い日、瓦葺き用の土が凍っているのに瓦を葺きました。それで私が、瓦宇クレームをつけ、以後、瓦宇からは瓦を買うだけで仕事は別の職人にやらせました。

その後瓦宇から残代金請求があったようですが、瓦葺きが終わるまで支払ませんでした。

昭和五八年六月ころ、そろそろ残金の精算の話と支払をしようと思いました。それでそのころ、小林さんに会社に来てもらいました。社内で小林さんと二人でいろいろ話し合いをし、私としては瓦宇の工事に不満を持っており値引を要求しました。結局五〇万円余りで話がまとまりました。

その間二人で話しており、妻は同席していなかったと思います。

話がまとまったので、確か私が妻を呼びに行き、後の支払関係は妻と小林さんで話をしてもらいました。

問 この時君が直接小林に会社振出の小切手の形で代金を支払ったのではないか。

答 そのようなことはありません。私は支払いの時は同席しておらず、どのような形で支払ったのかも知りませんでした。

今回の査察後、妻が会社の小切手で支払ったということを妻から聞いて知りました。もちろん瓦宇と当社の間に取引がないということは当時から知っておりました。

五 他方、自宅建築費用の被告会社経費への付け込みに関し、晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検 三四六)第一六項には、次のように録取されている。(杉晃被告人と同一日に調書が作成されているが、当時右両被告人の身柄は勾留され、接見禁止中であり、通謀して供述する余地はなかった)。

次に、瓦宇のことについて話します。瓦宇というのは、東大寺の屋根を葺いたこともあり、奈良では有名な瓦屋でした。それで、自宅の瓦を瓦宇に頼んだのです。

ところが、瓦宇では、瓦の葺き方がまずく、途中、工事が中断したりしました。そのため、最終代金を支払ったのは、昭和五八年七月期の期末に近いころでした。

このころ、瓦宇から四〇歳前後の男性がやって来て、二階事務所の玄関のところで夫と最終代金の支払額のことで話し合っておりました。

そのうち、夫が事務所内の私の事務机のところにやってきて、

これ払っとけ。

と言って、請求書を渡しました。請求金額は一〇〇万円までであったのを覚えております。

夫は請求書を私に渡すと、事務所から出て行きました。

それで私はこの際その代金も会社の経費として処理すればよいと思い、会社振出名義の小切手を切りました。

そしてその小切手を二階事務所の玄関で集金に来た人に渡したのです。

そして確か会社の修繕費として処理したのです。

問 相手の人は、あなたの夫から小切手を受け取ったと言っているがどうか。

答 いいえ、私が渡しました。

夫は日頃個人の経費と会社の経費をきっちり区別しろと口やかましく言っておりましたから、私が瓦宇への支払に会社の小切手を充てたと知れば、私を叱りつけるのは目に見えておりますので、夫が事務所から出て行ったのを見て、こっそりと渡したのです。

夫が支払ったとすれば、個人と会社の支払いを混同しかねない小切手で支払うことはなく、現金で支払った(う?)筈です。

このように晴美被告人が、小林俊一に対し会社の経費で処理するため、被告会社振出の小切手を交付したことが認められる。

六 以上のような事実から見て、小林俊一証人は、捜査段階等において、他の業者の場合と同様、査察官、検察官の強い誘導を受け、小切手を交付したのは、工事残代金を値切られなどして印象に残っていた杉晃被告人であると誤った記憶を形成し、思い込んだままの記憶を、原審第五回公判で維持して証言したものと思われる。

その他、草竹邸の屋根の状況を調べるために屋根に登ったのが、小林証人一人だったか、杉晃被告人、西園棟梁と共に三人であったか、という記憶違いをしそうにない事実についても、供述に変遷がある。(原審第五回公判調書一一丁以下)。

このようにして、小林証言にのみ基づいて、前記判示事実を認定している原判決は事実を誤認したものである。

七 従って、株式会社瓦宇工業所関係で、被告会社の昭和五八年七月期の修繕費へ付け込んだ五五万円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第七 西村雄司関係

一 原判決は、西村雄司関係につき、二四丁表以下に次のように判じしている。

西村雄司は、昭和五七年六月ころ、被告人杉晃らから、自宅の格子天井にはめ込む板に干支を二組(合計二四枚)彫刻することを代金八八万円で依頼され、手付金として三〇万円を受け取ったのち、昭和五七年一二月末か昭和五八年一月末ころ、完成品を被告会社事務所まで届け、被告人杉晃及び同晴美に見せて確認を受けたうえ、これを引き渡した。そして、西村は、残代金五八万円を被告人杉晃から現金で受領したが、その際、同被告人から依頼されて、被告会社宛ての昭和五七年一二月三一日付請求書と昭和五八年一月三一日付領収書を作成、交付した。

(西村雄司証言〔第一七回公判期日〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕)

二 原審第一七回公判期日における西村雄司証人の証言中に、前記原判示事実に添う証言が見られるが、西村雄司が残代金五八万円を受領した際、杉晃被告人から依頼されて、被告会社宛ての請求書と領収書を作成、交付したという原判決の認定は事実を誤認したものである。そのような事実はなく、西村が前記のような請求書と領収書を作成したのは、杉晃被告人らの自宅を建築した大工棟梁西園知治の指示に基づくものである。

三 西村雄司証人の第一七回公判期日における、前記代金受領状況、その際における杉晃被告人からの依頼状況について、西村証人の証言内容の変遷の状況は次のとおりである。

すなわち、西村証人は検察官の質問に対し、

五七年の年末ごろ、出来上がった品物を持って行ったときに、このときはどちらと会われたんですか。

そのときは奥さんもいてはりました。

社長さんもいたんですか。

はい。

(中略)

彫刻代の支払いについては、どのようにされたんですか。要するに、あなたが彫刻したわけでしょう。

はい。

お金をもらうわけでしょう。

はい。

どのようにしてもらいましたか。

持って行った時点で、その場でいただきました。

持って行った時点で幾らもらったんですか。

全額です。

代金は後日もらったんじゃないんですか。

いや、そのときにもらったはずですわ。 (四丁)

(中略)

検第二五三号証中、昭和五八年一月分領収証綴に綴られた昭和五八年一月三一日付西村雄司作成の領収証一通を示す。

(中略)

一月三一日に品物を持って行って、そのときに領収証を切ったということですか。

そういうことですね。

すると、請求書はどういうことになるんですか。

請求書切ったかな……。

はっきりしませんか。

はい、ちょっとね。日にちが違うから、多分送るか何かしてるはずですわ。

品物を収めに行って、後日、またお金をもらいに行ったという記憶はないですか。

やっぱり、品物持って行った時点でお金はもらいました。そのとき領収証切りました。

そうすると、その前に請求書だけ送ったという記憶はあるんですか。

その記憶が、もうはっきりしないんです。

ところで、その請求書とか領収証は、宛名が「草竹コンクリート株式会社」と書いてありますね。

はい。

これは、どういう理由からですか。

一応、領収証を切るときには施主に聞くわけです。そしたら、そない書いてくれと言われたから。

あなたはだれに聞いたんですか。

やっぱり社長さんですね。

社長さんからそのように書いてくれというふうに言われたわけですか。

はい、そうです。

あなたは、個人の家なのに会社宛てにするのはおかしいとは思いませんでしたか。

別に、個人の家とかそういうこと聞いてたわけじゃないから。

言われるとおりにしたということですか。

ええ、そうです。

会社宛てにしてほしいと言われたのは、社長本人に間違いありませんか。

はい、間違いありません。

奥さんのほうではありませんか。

社長さんです。

西園さんでもありませんか。

ええ、ないです。

あなたは、この件に関して検察庁で事情を聞かれたことがありますね。

はい、あります。

そのときあなたが話したことによると、五七年の年末ごろに品物を届けて、そのときに請求書を書いたというふうに言われてるんですけれども、そうではないですか。

そういうように言ってますか。じゃあ、そうだと思います。 (六丁表ないし七丁表)

その、請求書とか領収証の宛名の件なんですけれども、その点についてあなたは検察庁では、五七年の末ごろ品物を持って行ったときに社長のほうから、請求書は草竹コンクリート宛てにしてくれるかと言われたというふうに話されてるんですけれども、請求書を出す時点で言われたんではないんですか。領収証のときではなくて、請求書のときに言われたんではないんですか。

じゃあ、間違いないですわ。

請求書のほうが日にちが先ですから、そっちで間違いないですか。

ええ、そうですね。 (七丁裏ないし八丁表)

このように西村証人は検察官の質問に対し、最初は、昭和五七年の年末ごろに、被告会社事務所へ品物を持って行った時、代金を全額もらった、と答えた後、昭和五八年一月三一日付領収書を示されて、品物を持っていった一月三一日に領収書を切った時に代金をもらったと証言を変え、また、請求書切ったかな、請求書は多分送るか何かしているはずだ、その記憶がもうはっきりしない、と答えた。そして、領収書に宛名が「草竹コンクリート株式会社」と書いてあるのは、当日、すなわち一月三一日に領収書を切る時、杉晃社長本人から書いてくれと言われたことは間違いない。奥さん(晴美被告人)でも西園棟梁からでもない、と証言した。

ところが、更に、検察官から、あなたは検察庁では昭和五七年の末ごろ品物を持って行った時に杉晃社長のほうから請求書は草竹コンクリート宛てにしてくれるかと、言われたと話しているが、その時言われたのではないかと質問されるや直ちに、安直にこれを肯定し、それまでの、一月三一日に領収書を切った時に杉晃社長から頼まれたという前記証言を変更している。しかし、そもそも会社の社長が、請求書に、自分が経営する会社の名前を書くようにと指示する場合、「草竹コンクリート工業」と言わずに、「草竹コンクリート」などと指示するであろうか。また、「草竹コンクリート株式会社」などと書かれた請求書を、社長が納得して受け取るであろうかという疑問も湧くのである。すなわち、真実は杉晃社長は指示などしていないのである。

検察官の質問に対する西村証言の変遷状況、記憶のあいまいさは前記のようであるが、西村証人は同公判期日における弁護人の質問に対して、更に次のように証言しており、その記憶内容はあいまいである。

先程検事さんから示された、五七年一二月末と書かれた請求書はどういう機会にお書きになったんですか。

やっぱり伺ったときに切ったようにも思うんですけれども。

そうすると五七年一二月末にももう一回、草竹のほうへ行っていることになりますね。

金を頂いたときに書いたように思うんです。

つじつまを合わせるとすればその請求書は五七年一二月末になっておるけれども、五八年一月三一日にお金を頂くときに請求書のほうは一二月末付け、それから領収証のほうは五八年一月三一日付けというふうにしたことになりますが、そういうことがあったんでしょうか。

年末には伺ってないですから。 (一九丁)

一二月末で請求書を作り、一月三一日付けで領収書を作るということはあなたが勝手にやったことですか。

もしあったとしたら勝手にじゃないと思います。多分、社長さんらに聞いてやっているはずです。

社長がそんなことをせいと言ったんですか。

それはもう記憶にないです。

検察庁で「一二月末に仕上がり品を持って行った」と述べたことは事実に反するんですか。

………。

一月末に持って行ったということが真実ですか。

お金もらった時点で領収証を切っているから、品物を持ってあがったのもそのときですから一月末です。 (二一丁裏)

今見てもらっておる領収証綴りに綴られておる領収証も請求書のほうも、草竹コンクリート工業株式会社あてになっていますね。

はい。

そのようにしてくれということは、確かに社長が言いましたか。

社長さんから聞きました。西園さんもいてはりました。

西園さんに渡した仮領収証がそういうふうになっておって、あなたはそれに合わせてあて先を会社あてにしたんではございませんか。

そんなことはないです。

その場で改めて社長が、「会社あてにしてくれ」というようなことをあなたに言いましたか。

僕が聞いたら、そのように書いてくれということでありました。 (二四丁表)

草竹さんの奥さんが、証人に一月三一日にお金を渡せるように請求書のほうを一二月末にしたらどうか、というようなことを言われたんじゃありませんか。

指示があったのは間違いないですから、そう言われればそんな気もしますけれども。

奥さんが、うさぎの顔が丸すぎるとか犬の口がどうとか、いろいろ注文をつけられたことを覚えていますか。

それはやっぱりどんなものを作るにしても、先方さんの意向というものがありますので。

現在の証人の記憶では、今言ったように奥さんからそんなことを言われたような記憶があるということですか。

そうです。

…………………

奥さんからそう言われたときに「請求書のあて名を草竹コンクリートあてにしてくれ」ということもそのとき奥さんから言われたんじゃないですか。

奥さんも社長もいてはったし、棟梁もいてはったから。社長も奥さんも一緒と違うんですか。

ちょっとよく考えてみてくれませんか。

重要なことなんですか。領収証を切った時点では、奥さんも社長さんも棟梁もいてはったし、はっきりしないです。

一月三一日付けの検察官調書に書いてあるように「社長から『草竹コンクリートあてにしてくれ』と言われた」というのは、はっきりしないことなんですね。

社長さんが言われたほうが、記憶に濃いように思うんですけれども。

今「はっきりしない」と言われましたけれども、奥さんが言ったかということはどうですか。

そうつっこまれると、そういうことは深く考えてないから。

この調書を取られるときは、そういうことをいろいろ細かく聞かれなかったんですか。

社長さんから言われたと書いてあれば、そういうふうに聞かれたんじゃないかと思うんですけれども。

それは想像ですが、あなたの本当の記憶はどうですか。

社長さんも奥さんも両方から言われたような気もするし、はっきりしません。

請求書にしても、一二月二六日とか二七日にすればいいのに末日となっていますね。

多分、言われたから末日と書いたと思います。

それは奥さんから言われたように思うというんでしょう。

はい。

それでは、あて名をそういうふうにしてくれというのも、奥さんから言われたんじゃないですか。

社長さんも奥さんも両方から言われたような気がするんです。 (二七丁裏ないし二八丁裏)

すなわち、検察官の質問に対し、西村証人は最終的に、請求書の宛て先は被告会社宛てにしてくれと頼まれたのは草竹社長からであり、昭和五七年の年末ごろ品物を届けた時であると証言しながら、弁護人の質問に対しては、年末には草竹方に行っていない、品物を持って上ったのは一月末であると証言を変えた。

更に、請求書のあて名を草竹コンクリートあてにしてくれ、と言われたのは奥さんからではないか、と質問されると、奥さんも社長もいたし「社長も奥さんも一緒と違うんですか」と答え、誰から言われたか、ということは「重要なことなんですか」と感想を洩らすなど、西村は奥さんの言ったことは、即社長の言ったことと考えている向きが認められる。西村は、このような、奥さんと社長を同一視しているような心理状態を是正されないまま、検察官の取調を受け、検察官の誘導通りの、社長から頼まれたという検面調書が作成され、一旦作成されてしまった検面調書の内容に記憶を合致させて、原審公判廷で最初証言したのであろう。しかし、更に一月三一日付けの検察官調書に書いてあるように杉晃社長から草竹コンクリートあてにしてくれと言われたのか、という点について確認を求められると、社長さんが言われたというほうが、記憶に濃いように思うんですけれどもとか、そういうことは深く考えていないからとか、「社長さんも奥さんも両方から言われたような気もするし、はっきりしません」と証言し、検面調書の記載内容が正確なものではないことを明らかにし、頼まれたのは草竹社長であり、奥さんではない、という当初の断言的証言を変更するに至るのである。

この点西村証人は検察官の質問に対しても、率直に次のように証言している。

あなたは今日の法廷でも最初私が質問したときは、社長から聞いたのであって奥さんのほうからではない、というふうにはっきり言われていたようですけれども。

やっぱり突っ込まれればはっきり分かりません。

最初に答えたのが一番率直な気持ちじゃないんですか。

そういうことはないです。やっぱり段階踏んでこられると、ああそうかなと思います。

(三一丁表)

四 西村証言の変遷状況を見ていくと、本件検面調書は検察官の捜査目的に添うように作成されたものにすぎず、当時既に記憶の薄れていた西村証人の記憶どおりに作成されたものではない。この点につき、検察官から質問されて西村証人は次のように証言しているのである。

昭和六〇年一月三一日付け、西村雄司の検察官に対する供述調書末尾の署名押印部分を示す。

これは、あなたが名前を書いて印鑑押したものですか。

そうです。

検察庁で取り調べられたときに、調書を作ってもらったとき、読んで聞かしてもらいましたか。

ええ、一応読み上げはったと思います。

間違いないということで名前を書かれたんですか。

まあ、一応調書取られたというのか……。

内容にどこか違うところがありましたか。

記憶薄れておったから。

当時の記憶では間違いないと思って書かれたんでしょう。

それもあやふやですわね。

どの辺があやふやなんですか。

それも漠然としてます。

一応、帳簿とかを見せられて思い出して話したわけでしょう。

ええ、まあいろいろね。 (八丁)

検面調書作成当時において、既にこのように記憶が薄れていたにもかかわらず、いかにも記憶内容が明確であるような、検察官の捜査目的に添った検察官調書が作成されてしまったため、西村証人はそれに添って証言していたが、弁護人から当時の状況を具体的に質問され記憶が喚起されていくと、今までの証言内容がほんとうはあいまいであることに気づくのである。

すなわち請求書、領収書の宛て先を被告会社宛てにするよう頼まれたのは草竹社長からである、奥さんからでもなく、西園棟梁からでもないと断言しながら、後になると、西村証人は、草竹社長と奥さんの両方から言われたと思うと証言を変更している。しかし、これもそれまでの行きがかりからの証言であり、本当は社長からも奥さんからも頼まれたという記憶はないのだ、ということまでは証言できなかったのであろうと思う。

西村本人が証言するように、昭和六〇年一月検面調書作成当時において、既に西村は記憶が薄れていたのである。それにもかかわらず、杉晃被告人に刑責を負わせようと意図した検察官の誘導、誤導尋問により、検面調書は、断定的な明確な記憶に基づくもののように録取された。そのため、証言の核心部分、争点部分において、西村証言は変遷を重ね、質問されればされる程、その答はあいまいな内容となっていった。

このようにして、西村証人の証言内容は、本件検面調書の作成経過と併せ考えると、全体的に全く信用できないものである。

五 請求書と領収書の宛て先を会社宛てにするよう誰に依頼されたのかという点につき、杉晃被告人の昭和六〇年二月一〇日付け検面調書(検三二七)第二九項には次のように記載されている。

次に新築中の自宅用天井板に十二支のえとの彫刻をしてもらった高槻の

西村さん

との件についてお話します。

昭和五七年になってから、西園の紹介で西村を知りました。彫刻をしてもらおうと思い、会社へやってきた西村さんと話をしました。彫刻の図面なども私が受取り説明を受け、発注しました。昭和五七年暮ころになり西村が完成した品物を持って会社にやってきました。三階の会議室で見せてもらいました。妻や西園がいたかどうかは、はっきりしません。しかし、多分いたと思います。気にいり納めさせました。代金の話などはこの時も私がしました。

話がまとまり支払関係の話は妻にまかせ、私は仕事にもどったと思います。ですから後のことは判りません。

問 代金の話をした後で、君が西村に請求書を会社宛てに出すよう指示しなかったか。

答 そのようなことは一切ありません。もちろん西村と会社の間に取引はありませんし、そのことは当時から判っていました。

六 次にこの点につき、晴美被告人の前同昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)第一三項には次のように記載されている。

次に、建築中の自宅の天井板の彫刻を頼んだ

西村さん

という人への支払いも会社の経費として処理し、会社のお金で支払っております。西村さんには、当初三〇万円位を前金で渡し、仕事が終ったあとに残金を支払いました。西村さんは仕事ができたとき、できあがった天井板を会社事務所に持ち込んで来ましたので、三階会議室で私や夫がその出来栄えを見ました。西村さんに対しては、私は何も頼んでおらず、そのように経費として処理したのは、私が一方的にやったことでした。

晴美被告人は原審第八四回公判においても、右とほぼ同旨供述をしている。

(二二丁裏、二三丁表、二五丁裏、二七丁表)

七 更にこの点につき、草竹被告人らの自宅を建築した大工棟梁西園知治は原審第七五回公判期日において、次のように証言している。

先程の検第四一七号証添付の請求書にはあて名が「草竹コンクリート株式会社様」となっており、次の領収証にも「草竹コンクリート株式会社様」となっていますが、その仮領収証のあて名は記憶ありますか。

多分それと一緒じゃないかと思うんですけれども、はっきりした記憶はないです。

一緒だと思うというのは、なぜですか。

多分これは西村さんを社長に紹介したとき、名刺を頂きましたから、その名刺あてに書けと僕は言ってましたから。

それで請求書あるいは領収証と同じように、仮領収証のあて名も会社あてではなかったろうかと思うということですか。

多分そうじゃないかと思います。 (三丁裏)

西村さんは法廷では、請求書と領収証を書くときに、草竹社長から草竹コンクリート工業あてにしてくれというふうに言われたように思うと言っておられるんですが、どうですか。

それはあり得ないと思います。

どうしてですか。

草竹社長はそういうあれは、西村さんだけじゃないですけど、ほかの業者にも聞いたことないですから。どの業者にも言えますが、はっきり言って、あて先をどこにしなさいとか言ったことはないんです。

社長は言ったことないということですか。

社長も奥さんもないです。それで業者が僕に相談しますから、名刺のとこにしとけというふうな単純な考えといいますか、そういうふうにしてましたから。

そういうことは、会社のほうでは棟梁の西園さんに任せていたということですね。

別段何も言わなかったですから、僕も勝手にといったらおかしいですけれども、名刺のところに書いとけと言う程度やったです。 (八丁裏ないし九丁表)

八 このように草竹被告人らの自宅の格子天井板にはめ込む干支の彫刻代金の請求書、領収書の宛て先が被告会社宛てになっているのは、西園知治棟梁の指示によるものである。また、会社経費への付け込みは晴美被告人のしたことであって、杉晃被告人は関与していない。

杉晃被告人から請求書や領収書の宛て先を、被告会社宛てにしてくれ、と頼まれたのか否かという点につき、西村には、昭和六〇年一月三一日の検面調書作成当時において、既に、あいまいな記憶しか残っていなかったのである。そして更にその後にあたる、同六二年四月二四日の公判期日における西村の証言内容が信用できないことは前記のとおりである。

以上のような事実が認められ、西園証言、晴美被告人、杉晃被告人の供述は、すべてこれを無視し、信用するに足りない西村証言にのみ基づき、前記判示事実を認定した原判決は事実を誤認したものである。

九 従って、西村雄司関係で昭和五八年七月期に被告会社広告宣伝費へ付け込まれた八八万円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第八 荒井左官工業所関係

一 原判決は、荒井左官工業所関係につき、二四丁表以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、自宅の左官工事を荒井左官工業所(経営者荒井稔)(以下「荒井左官」という。)に請け負わせ、その工事代金は被告人杉晃が交渉して決めていたところ、昭和五八年五月二五日ころ、被告会社二階事務所において、被告人晴美が被告人杉晃の面前で被告会社振出の小切手と支払期日が三か月くらい先の株式会社大森組振出、被告会社裏書の約束手形で工事代金を支払おうとした。荒井は、その場で、「職人の手間賃を支払うのに手形では困る。」と文句を言ったところ、被告人杉晃は、「今度から気をつけるから。」と答えたため、荒井は仕方なく約束手形等を持ち帰り、後日、これらを取り立てに回して支払いを受けた。

(荒井稔証言〔第六回公判期日〕、荒井稔の検察官調書〔検475〕、森澤達也作成の照会事項回答書〔検117〕、荒井(稔)左官工業調査書〔検404〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕)

二 森澤達也作成の照会事項回答書(検一一七)、荒井(稔)左官工業調査書(検四〇四)によれば、荒井稔が、原判決判示のように、被告会社振出の小切手、被告会社裏書の約束手形で工事代金(昭和五七年七月期の分で一八五万円、同五八年七月期の分で二六八万三、〇〇〇円)の支払いを受けたことは明らかである。

しかしながら、昭和五八年五月二五日「ころ」、被告人晴美が「被告人杉晃の面前で」、荒井に対し工事代金を支払おうとしたところ、同人から、職人の手間賃を支払うのに手形では困る、と文句を言われ、「被告人杉晃は『今度から気をつけるから』と答えた」という前記原判示中「 」内の判示事実は事実を誤認したものである。

原判決が、右事実を認定した証拠としている前掲荒井稔証言(第六回公判期日)及び荒井稔の検面調書(検四七五)は、いずれも全く信用性のない証拠である。

三 以下のこの点について述べる。

まず、荒井稔の供述によれば、同人が被告会社事務所へ集金に行ったのは、昭和五八年五月二五日付領収証(前記検面調書末尾添付のものを本書面末尾に(三)として添付する)の日付どおり、同年五月二五日である(荒井稔の前記検面調書第七項。なお、同人の前記公判調書一七丁裏ないし一八丁裏)。

請求書や領収証が直接相手方に交付される場合、当然代金請求や代金領収当日の日付が記入される。従って、前記判示中に「五月二五日ころ」とあるのは、「五月二五日」と認定判示されなければならない。

ところが、当時被告会社の常務取締役をしていた西野達治(同人の原審第八回公判調書一丁表)の作成に係る「黒表紙のノート(検第二四六号証)には、昭和五八年五月二五日は、左記のとおり、西野が杉晃被告人と共に、当日午前九時から午後七時一〇分までの間奈良警察署において、内野正敏を別件で告訴したことに関して、事情聴取を受けていたことが記録されている。

五八・五・二五(水) 午前九・〇〇~午後七・一〇分、中くぼ係長

内野告訴手続出頭、訴状作成(2F号調室で)

草竹社長、西野、出頭、口頭訴状

このことから、当日、営業時間中に代金を受け取りに来た荒井稔に、杉晃被告人は被告会社内で面談することが不可能であったことが明らかとなる。

このような客観的物証からも杉晃被告人には明白なアリバイがある。杉晃被告人が当日荒井と同席することはあり得ない(なお、昭和六〇年一一月一日、原審第八回公判期日において)、西野達治の証人尋問が行われた当時、弁護人は前記「黒表紙のノート」の記載事項に気づいていなかったため、西野証人に対し、この点の質問がなされていない。)

四 前記のような、杉晃被告人にアリバイがある事実からみて、以下の事実は、検察官の本件事件関係者全員に対する取調べが、杉晃被告人に刑事責任を負わせようという予断に基づく特定の捜査目的のもと、誘導、誤導尋問を重ね、事実関係を歪め、ねつ造する方向で行われ、公正な真実の探求から逸脱していることをはっきり示す一典型であると考える。

すなわち、前記事実が明らかに認められるにもかかわらず、荒井稔の昭和六〇年一月三〇日付検面調書(検四七五)には次のような事実が録取されている。

荒井は昭和五八年五月二五日付の前記領収証の日付どおり同年五月二五日に被告会社事務所に集金に行ったこと(第七項)、確か奥さんの方から小切手と約束手形を貰ったこと(第八項)、そこで荒井は草竹社長に「職人の手間賃を支払うのに手形では困りますわ」と文句を言ったところ、草竹社長は「今度から気をつけるから」と言った、次いで社長の奥さんにも「こんなん困りまっせ」と言ったところ、奥さんも「今度からは気をつけますから」と言った、二人にそのように文句を言ったことは間違いないこと(第九項)、更に調書読み聞かせ後に、社長の奥さんは、私が文句を言ったところ黙っていたと訂正申立がなされていること(第一〇項)等の事実である。

一方、荒井稔は、前記調書録取の約半年後に当たる昭和六〇年七月一九日、第六回公判期日において、検察官の質問に対して次のように答えている。

前記代金は、小切手と約束手形で奥さんからもらったこと(一一丁表)、その際職人の手間払いだから手形では困る、と文句を言った、文句を言ったのはもらいに行って、奥さんに言ったように思うが、社長もねきに居たように思う、奥さんの事務机の近くに社長の事務机もある。(誰に対して言ったのかと、もう一度尋ねられて)「奥さんにも言ったように思いますし、このことはちょっと定かでないです。はっきりとは言えません。」(それに対して相手から何か言われたかと尋ねられて「はい、多分社長さんが言いはったように思いますけれども、まあ気い付けるというようなことを確かおっしゃったように思います」、文句は、社長と奥さんはそばに二人いたから二人にいったようなことににもなること、奥さんのほうは何か言っていたかと尋ねられ「言わはったように思います」(一三丁裏ないし一六丁表)。

五 荒井の前記供述経過を見ると、検面調書では草竹社長に対して手形では困る、と文句を言ったところ、同社長が今度から気をつけるからと言ったと、断定的に記載され、また、文句を言われても奥さんは黙っていたと奥さんの言動の消極性が強調されて記載されているが、公判証言ではもらいに行って文句を言ったのは奥さんに言ったように思うが、社長も近くに居たように思うこと、たぶん社長がまあ気をつけるというようなことを確か言ったように思う、奥さんも返事をしたように思う、と社長の言動に関し、断定的な供述内容であったものが推定を交えた証言内容となっている。

この供述の変遷は、荒井稔自身は、この日の被告人会社事務所でのやり取りについては、約束手形について苦情を言ったことは覚えているものの、その相手が誰であるか、誰からどのように言われたか、その場に誰がいたかなどについての記憶がもともと曖昧であったことを示すものであろう。

荒井自身は、検察官の取調べにおいても、右の点につき、真実は曖昧は不確かな記憶しかなかったのである。ところが、検察官は、杉晃被告人が、荒井への支払いに関与し、これを知っていた筈であるとの予断のもとに、これを強調し立証する意図のもと、荒井が直接杉晃被告人に苦情を言った、同被告人がこれに答えた、という方向に誘導的な取調べを行い、荒井の記憶にない真実に反する事実を創作し、これに、取調べに慣れない荒井が応じて、前記のような検面調書が録取されるに至ったと解される。

このようにして、検面調書の核心部分において、右当日荒井が被告会社で杉晃被告人に直接苦情を述べ、同人が気をつけると言ったという、客観的事実に反する供述が録取されたのである。

そして、一旦検面調書が作成されて、荒井の記憶がそこに固着してしまったため、荒井は公判でも、ほぼこれに同調した証言をするに至ったものであろう。

六 本件事実につき、杉晃被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三二七)第一二項には次のように録取されている。

次に建築中の自宅について左官の仕事をしてもらった

荒井左官

の件についてお話します。

荒井左官とは大分前に会社との間で取引があったようですが、自宅への仕事を頼んだ当時には取引はありませんでした。西園と相談し、昭和五七年春ころ荒井左官の荒井さんに会社に来てもらいました。請負料については、私が直接交渉し、確か二、〇〇〇万円位で請け負ってもらいました。その後仕事にかかってもらいましたが、社内でまわってくる荒井左官の請求書を見たことがありますが、支払等はすべて妻がやっており私は知りません。

問 昭和五八年五月ころ、荒井から手間賃を手形で払ってもらっては困ると直接文句を言われたりしたことはないか。

答 そのようなことはありませんし、荒井がそのようなことを言っていると聞いたこともありません。

七 更に杉晃被告人は、原審第八九回公判期日において、弁護人の質問に対し次のように供述している。

いちいちは示しませんが、荒井さんの請求書というのがあるんですけども、昭和五八年四月二五日付の請求書は草竹コンクリート工業株式会社宛になっているんですが、そういうことは知っていますか。知りませんか。

会社の仕事も個人の仕事もしておりましたから、それがどちらの請求書でどうなっておるかということは、私は今のところ分かりません。

あなたのほうから、請求書は自宅の仕事についても会社宛にしてくれというようなことを頼んだことはありませんか。

一切ありません。

荒井さんについてもないし、そのほかの人についてもないという意味ですか。

はい。

奥さんから荒井さんに、請求書は会社宛にしてくださいというような依頼をしたことがあるかどうか知りませんか。

私が家内を通してですか。

あなたはしていないと今聞きましたが、奥さんが頼んだことがあるのかどうか、あなたはきいたことはありますか。

私は、そんな話は聞いたことはありませんけども。

荒井さんが集金に来たことをあなたが見るなり立ち会うなりしたことはありますか。

支払いはどの業者さんにも私は一切しておりませんから、私が支払いに立ち会うというようなことはどの業者さんにもありません。

自宅の建築関係で、個人として支払いする場合には奥さんがしているということですね。

はい。

あなたの手からそういうものを支払うということはないと。

はい。

荒井さんについて、昭和五六年一二月分として会社宛に二一五万円の請求書がきているようですね。会社の仕事もしてもらったことがあるんですか。

はい。

会社のどういう仕事をしてもらったのかまでは知りませんか。

それは清水に全部任しておりますから、私には分かりません。

請求書によると、奈良工場社宅分だとか、奈良工場社宅分の防水モルタル塗りだとかいうことを荒井さんにしてもらったことがあるんですけれども、そういういちいちのことはあなたは知らんということですね。

はい、そういうふうに書いてあれば、そうだと思います。

ところで、荒井さんに対する支払いの関係で、荒井さんの昭和六〇年一月三〇日付の検面調書によりますと、昭和五八年五月二五日に荒井さんは会社に集金に行ったと。そうすると、手形と小切手で払ってくれたと。渡してくれたのは奥さんの方だったように思うけれども、私が社長に職人の手間賃を支払うのに手形では困りますわと、こう文句を言ったと。そうすると、社長は今度から気を付けるからと言って、その日はそのまま手形を持って帰ってくれたと言ったんだと。それで、奥さんにこんな困りまっせと言うと、奥さんも今度から気を付けますからというふうにいったという記載があるんです。荒井さんは第六回の公判で、少しあやふやな言い方に変わっておりますけれども、「多分社長さんが言いはったように思いますけれども、まあ気い付けると言うようなことを、確かおっしゃったように思います」と、少しあいまいになっているんですけれども、こういうふうにおっしゃっているんです。荒井さんに今申し上げたようなことを言ったという事実はありますでしょうか。

全くありません。そのようなことを聞いたこともありません。

荒井さんが集金に来て文句を言われた記憶はないと。

はい。

この裁判になっていろいろ記録を検討して分かったことなんですが、検第二四六号証というものに西野達治さんという方のメモがあるんですね。そのことは今聞いていますね。

はい。

この西野さんのメモによると、五八年五月二五日には午前九時から午後七時一〇分、中くぼ係長、草竹社長、西野出頭、口頭、訴状と書いてあるんですけれども、そういう記載があるということはこの裁判になってから見たり聞いたりしてますか。

はい。

これを見れば思い出すことがありますか。

ほんこの間ですけども、そういう書類を見ましたし、その当日二五日の日は私が奈良警察署へ九時前ごろから、もう日が暮れておりましたから大方七時過ぎぐらいまでおったんじゃないかと思います。そして、多分その日は会社には一回も顔は出しておりません。朝直接警察へ行き、夕方は西野と夕食を共にしておったように思います。

西野さんと夕食を共にしたんですか。

はい。

これは、何の件で警察へ行かれたんですか。

それは、内野の件でいろいろ関係書類を持って私に説明してほしいということで行ったわけですか。

内野を告訴した件で事情説明に行ったわけですか。

はい。

中くぼ係長というのは、どういう方ですか。内野の件の担当の人ですか。

担当の刑事さんやったと思います。

荒井さんの調書によると、丁度同じ日に会社に集金に行って、先程述べたようなやりとりを社長としたとなっているけども、実はあなたは警察に行っておったんだということなんですね。

はい、未だかつて支払いについて文句を言われたという記憶は、どの業者にも私は全くありません。また、どの業者にも支払いをしたことはありませんし、今そのように聞けば、それはもう全く根も葉もないことで、全くのデッチ上げの、考えられん調書やないかと思います。

(三〇丁裏ないし三三丁裏)

八 なお、晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三四六)第一七項の記載によっても、同被告人の原審第八二回公判期日の供述(三六丁表ないし四〇裏)によっても、荒井に対する本件支払いに関し、杉晃被告人は全く関与していないことが認められる。

真相は前記のとおりであるのに、杉晃被告人のアリバイを証明する前記「黒表紙ノート」が発見されなかったならば、一応具体性のある荒井稔の検面調書の記載、公判証言を覆すことができないことを考えると、公正な立場で事案の真相を明らかにするべき職務を負わされている筈の検察官の、予断と偏見に流された本件捜査態度は、実に残念でならない。

九 以上のように、客観的事実に反する荒井稔の検面調書の記載、公判証言を証拠にして、前記事実を認定した原判決は事実を誤認したものである。

一〇 従って、荒井左官工業所関係で、昭和五七年七月期の分として一八五万円、同五八年七月期の分として二六八万三、〇〇〇円をそれぞれ被告会社の修繕費へ付け込んだ金額合計四五三万三、〇〇〇円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第九 上板正明関係

一 原判決は、上板正明関係につき、二五丁表以下に次のように判示している。

被告人杉晃らは、昭和五四年ころから自宅建築用の高級材を被告会社とは取引関係のなかった銘木商の上板正明から購入していたが、同被告人は、当初から、上板に対し、裏金で支払うので帳簿に載せない裏取引にしてほしい旨依頼したことから、同人は自分の帳簿に架空名で販売先を記帳していた。

その後、被告人杉晃らは、昭和五六年夏から同年一〇月ころに上板から杉の原木を買うこととしたが、同年一一月中旬ころ、被告会社本社事務所において、上板と被告人杉晃及び同晴美との間で代金等の打合せをし、代金二四〇〇万円とすることに決まった。その際、前回の査察で裏取引にしていたことがばれていたことから、上板が被告人杉晃らにこれからの請求書の記載方法等を尋ねたところ、被告人晴美は、被告人杉晃の面前で、被告会社が購入したように品名を「松パレット」に書き換えたうえ、被告会社に請求するように指示した。そこで、上板は、右依頼に応ずることとしたが、二四〇〇万円の松パレットを一度に納入するのもおかしいことから、被告人晴美とも相談のうえ、適当に三回に分けて被告会社宛てに請求書を送付し、被告会社から支払いを受けた。上板は、その後も自宅建築用の木材を被告人杉晃らに販売し、請求書の名目をどうするか被告人晴美に確認したうえ、従来どおり、品目を松パレットと記載した請求書を送付して被告会社から支払いを受けていたが、その中には被告人杉晃自身がそのように指示した取引もあった。

(上板正明証言〔第二〇回、第二一回公判期日〕、上板正明の検察官調書)〔検478〕、上板正明調書〔検420〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一〇日付検察官調書〔検327〕

二 原判決の判示中、上板正明が二、四〇〇万円分の金額を松パレット名目で三回に分けて被告会社宛てに請求し、被告会社から支払いを受け、その後も同様の方法で支払いを受けた等の事実は前掲上板正明調査書(検四二〇)により認められる。(なお、被告会社は、昭和五一年末頃、日本盲人会連合の推薦を受け、東京方面へ盲人用平板を販売することとなり、右平板が昭和五七年から同五九年頃には駅のプラットホーム等に多量に使用されたが、この平板の整理、整頓、積込出荷のためには、多重の松パレット(荷物を載せる台板)が必要であり、当時被告会社では、一枚六、〇〇〇円の松パレットを年に五、〇〇〇枚、合計三、〇〇〇万円くらい購入していた。従って、松パレットの請求書は頻繁に被告会社に送付されてきていた。この点については、控訴審で「松パレット購入に関する報告書」を取調請求する予定である)。

そして、原判決は、「昭和五六年一一月中旬ころ」、上板が杉晃被告人らにこれからの請求書の記載方法等を尋ねたところ、晴美被告人が「杉晃被告人の面前で」、被告会社が購入したように品名を松パレットに書き換えたうえ、被告会社に請求するよう指示した、という箇所の「 」中の判示事実、及び杉晃被告人自身が、上板に対し従来どおり会社へ松パレットを売ったように記載した請求書を送付するように指示した取引もあったという判示各事実を上板正明の検面調書(検四七八)に基づいて認定している。しかしながら、右検面調書は刑訴法三二一条一項二号の要件を満たさないいわゆる特信性のない書面であり、右認定は事実を誤認したもので、他に杉晃被告人につき前記各事実を認めるに足りる証拠はない。

三 前記のように原審判示事実の証拠として掲示している上板正明の検面調書につき、原審検察官は、平成元年二月一七日付証拠調請求書において、右検面調書に特信性があるとして種々理由をあげているが、右調書に特信性を認めるべき理由はない。この点につき右検察官の申立理由を中心にして、以下その理由を述べる。

1(一) 検察官は、まず、「証人上板正明にとって、被告人草竹杉晃は、高額の取引をしてくれた上客であるところ、証人上板が公判廷で証言した際は、……客の面前で不利なことは言えないという商売優先の考えから十分な供述ができない状況にあったと認められる。」としている。

(二) この点については、まず、上板は、木材業を営み、高級住宅の内装用にいわゆる希少価値のある原木を仕入れ、それを製品にして販売しており(第二〇回公判調書一丁)、草竹被告人らの家屋新築に当たり木材を販売したものであるが、昭和五八年にその取引はすべて終了している(前同調書一五丁、第二一回公判調書一六丁裏)。商売優先といっても、杉晃被告人は、上板にとり数多い取引先の中の一つにすぎない。しかも草竹方は自宅新築用木材という特殊な場合の取引先であり、自宅建築工事完成後は取引を期待することはできず、現に昭和五九年以降は取引がない。そのような杉晃被告人に対し、上板証人が商売優先の考えから、その「面前で客に不利なことは言えない」などとは考えられないし、また宣誓をした上、偽証罪に問われる危険まで冒して、公判廷で杉晃被告人をかばって、敢て虚偽の証言をする理由も認められない。

また、晴美被告人は杉晃被告人の妻であり、会社の会計担当であり、現に被告人として起訴されているのであるが、上板は、晴美被告人の面前で、同被告人から草竹邸新築用木材の代金を会社で使用する松パレットということにして請求するよう言われて、メモを渡した旨を証言しているのである(第二〇回公判調書九丁表等)。すなわち、上板は、杉晃被告人の妻である晴美被告人の「面前で客に不利なことは言えない」ようなことはなく、晴美被告人の違法行為、同被告人に不利なことについては、ハッキリ証言しているのである。

このように検察官の主張は、杉晃被告人に刑事責任を負わせようと急ぐあまりか、その主張内容に明らかに矛盾がある。

このような根拠の薄い主張をもって、上板の検面調書に特信性を認める理由とすることはできない。

2 検察官は、上板証人の証言時には「時の経過による記憶の消失」があるのに対し、検察官による取調は「比較的記憶の新しい時期」になされている旨主張する。しかしながら、上板証人の証言の主要な部分は昭和五六年一一月中旬ころの事実に関するものであるところ、同人が検察官の取調を受けたのは昭和六〇年一月二六日であり、大蔵事務官の取調でも昭和五九年七月二七日であって、すでに三年前後の期間が経過していた。その供述内容も証人上板にとって日常業務に関するもので特に特異な体験でもないうえ、杉晃被告人及び晴美被告人とは当時取引について、右一一月中旬ころ以外にも再三会っていることなどから、右の各取調時に一一月中旬ころの取引の状況について、特に鮮明な記憶があったとは到底考えられず、具体的詳細な供述ができたとすればかえって不自然である。また、上板証人の公判廷での証言は昭和六二年八月一三日と同年九月二五日であるが、これと記憶の鮮明度を比較される検面調書の作成時期が、取調の対象である、晴美被告人から上板が請求方法についてメモを渡されたという時期より、前記のように、三年以上も経過した時期であることからして、証言時に対し取調時の方が記憶が比較的新しいとは到底いえず、このような理由により、右検面調書に特信状況を認めることはできない。

3 また、検察官は「上板が……被告人草竹晴美からメモを渡されて、(杉の原木についての)請求書の宛名を被告人会社とし、品名も変えることを依頼された時期について……また、その際、被告人草竹杉晃が同席したか否かについて」検面調書において「その状況を具体的詳細に供述し、その供述内容にも一貫性があり、」上板の検面調書の記載の方が公判供述より特信状況が存することは明らかである旨主張している。

すなわち、上板が晴美被告人からメモを渡されて、杉の原木についての請求書の宛名を被告人会社とし、品名も変えることを依頼された時期及びその際杉晃被告人が同席していたか否かについて、上板の検面調書(第五、七、八、九、一二、一三、一四項)には、上板は昭和五六年一一月中ごろ草竹コンクリート工業の会社事務所へ行き、草竹邸新築工事用に使う杉の原木の代金の打合わせをして総額二、四〇〇万円と話がまとまったこと、その際、晴美被告人から杉の原木の代金は会社宛に松パレットを納めたような請求書を書いてくれと頼まれてメモを渡されたこと、その時は既に税務署の調べが草竹方へ入っていて裏取引のことがばれていた時であったため、上板は草竹夫婦が再び個人の自宅建築費用を会社の経費に仮装し脱税しようとしていることが判ったが、草竹方は得意先であり、上板は弱い立場であり協力することにした。この際、主に晴美被告人と話をしたが、草竹社長も同席しており、話の内容はもちろん一部始終判っていたはずだ、また、請求書の請求年月日はでたらめである、ということ等が記載されている。

上板の前記検面調書の記載内容は検察官のいうように、確かに部分的には「具体的詳細」であり、「その供述内容にも一貫性がある」ように見える。しかし、そうだからといって、右検面調書の記載内容全体が客観的事実に符号する正確なものとは到底いえないのである。右検面調書は検察官が予断に基づいて上板を誘導、誤導した結果作成されたものに過ぎない。

以下のこの点について検討したい。

上板作成にかかる検第四二〇号証中の発送日昭和五六年一〇月二〇日とされ、一一月二日被告会社受付印のある、品名を松パレットと偽った八二五万円の請求書が、上板の草竹方へ最初に送った請求書である。従って、上板が晴美被告人から松パレットということにして請求してくれと頼まれたというのは、その頼まれた松パレットを発送したという、その発送日一〇月二〇日より以前でなければならない。そして、草竹方が前回査察を受けたのは(上板の検面調書第三項にいう「草竹社長は……昭和五六年一〇月ころからも税務署の調べを受け」、第八項にいう「当時税務署の調べが草竹さん方へ入っており、裏取引のことはばれておりました」というのは、前回被告会社が査察を受けたことを指している)、同年一〇月二八日であるから、松パレットにして請求してくれと頼まれたというのは、当然右査察を受けた日よりも以前ということになる

そこで、まず、請求書の請求年月日が一〇月二〇日という点については、上板の公判証言によれば、上板が草竹宛に出した、品名を松パレットとした請求書につき、その日付はあとにずれるということはあったが、前にさかのぼった日付にしたことはなかったという。すなわち被告会社が査察を受ける以前の日時に右請求書は作成されているのである。この点につき、検察官の質問に対する上板の公判証言は次のとおりである。

今示した請求書の発送日ですが、これは大体、品物を納めたのと同じ頃なんですか。

そんなに違わないと思いますけれども、若干のずれはあります。

さかのぼった日付で送ったりしたことはありますか。

それはなかったと思います。あとにずれるということはありましたけれども。

最初に送った請求書の発送日が昭和五六年一〇月二〇日となっているんですけれども、そうすると、草竹さんの奥さんのほうから、松パレットというメモを見せられたのはそれより前になるでしょう。

だから、それを送る以前ですね。

ところが、草竹さんのほうで査察調査で入られたのは、五六年一〇月二八日なんですけれども、その辺がちょっとあなたの言うのと食い違うんですけど、その辺はどうですか。

どういうふうに食い違うんでしょうか。

請求書は五六年一〇月二〇日になっていますね。

はい。

草竹さんのところに査察調査が入ったのは一〇月二八日なんです。そうすると、あなたが松パレットとかいうふうな指示をうけたということは、査察前みたいになるんですけどね、請求書は前以って繰り上げて書いたというようなことはないですか。

……前以って、というのは絶対ないです。

(中略)

この請求書の日付が引っかかるんですけどね。あなたの記憶では松パレットという指示を受けたのは、査察のあとであるという気がするんでしょう。

そうです。

日にちをさかのぼって書いたんじゃないですか。

いえ、そんなんはしてないです。それはないです。あとにずれるということは、度々ありますけれども。(第二〇回公判調書一五丁裏ないし一八丁表)。

すなわち、上板の前記検面調書の「請求年月日などは適当に分けて書いたもので、でたらめです」という記載は請求書の日付が「あとにずれるということは、度々あります」ということなのである。日にちをさかのぼって書くということはしていないことは、上板が証言しているとおりである。

右事実について、弁護人から質問を受け、更に詳細に証言する上板の原審第二一回公判期日における証言内容を掲記すると、次のとおりである。

検第四二〇号証を示す(弁護人)

(中略)

今見てもらいました「昭和五六年一〇月二〇日」という「発送日」というのは、その請求書の発送日ですか。

これは普通私の場合、商品を発送した日を書くんですけれども。

前回、一〇月二〇日という日付は実際よりも後にずれている日付けを書くことはあっても、実際よりも以前の日付けにすることはなかったと言っていますが、そうですか。

そうです。

そうしますと、今の請求書は五六年一〇月二〇日より少なくとも前に作られているということになりますね。

その可能性はあります。

可能性というか、今証人がおっしゃったことはらば、そういうことですね。

はい。

二〇日という日付になってるから、それより前に作られているかあるいは二〇日に作られているか、どちらかですね。

はい。

「品目」のところに「松パレット」とありますから、松パレットという名目で杉の原木代金を請求するということは、昭和五六年一〇月二〇日の請求書に松パレットと書いてあるんですから、少なくとも一〇月二〇日よりも以前に決まっていたということになりますね。

もちろんそうです。

そういうことを草竹さんの奥さんが証人に頼んだのも、五六年一〇月二〇日以前ということになりますね。

ええ、間違いないです。

草竹さんのほうで査察調査を受けたのは五六年一〇月二八日なんですけれども、ということは草竹さんの会社が査察を受ける前に奥さんから、松パレットにしてくれということをいわれたわけですね。

そういうことになりますけど。 (第二一回公判調書一一丁表ないし一二丁表)

4 このように、請求書に一〇月二〇日に商品を発送したと記載されているのだから、上板が草竹側に代金請求の仕方を質問したのは、それ以前であることは動かし難い事実である。

ところが、この点に関する上板の検面調書の記載によれば、上板は、草竹方に査察が入ったことを前提にし、これを契機とした問答を草竹夫婦とし、更に、上板は草竹方が査察に入られたにもかかわらず、再び脱税しようとしていると考えたこととされている。従って、検面調書の記載によれば、上板が晴美被告人から請求書の品目を松パレットにし、会社宛に請求してくれと頼まれたのは、草竹方に査察が入った後、即ち、昭和五六年一〇月二八日以後ということになる。検面調書は、松パレットにし、会社宛に請求してくれと頼まれたのは昭和五六年一一月中ごろとしている。

この検面調書の右記載は、上板が晴美被告人から頼まれたのは、査察の入った日より以前のことであるという、前記の客観的に確定されている事実と明らかに矛盾する。

この全く客観的事実に反する日時、それを前提とした上板と草竹夫婦との虚偽の問答、上板の虚偽の心理などが記載された後に、その場に「草竹社長も同席しており話の内容はもちろん一部始終判っていた筈です。」などと、もっともらしく、さりげなく、検面調書に記載されていても、草竹社長が同席したという記載内容を真実と信ずることは到底できない。

右検面調書の記載は客観的事実に反するものであり、杉晃被告人が知らない筈がないという、検察官の予断に基づく誘導、誤導によるものというほかない。

5 更に、晴美被告人が上板に対し、杉の原木の請求書の宛名を会社宛にし、品名も松パレットにしてくれと頼んだ時、草竹社長も同席していたか否かという点、また、「……どの分だったかははっきりしませんが、草竹社長に確認し、社長本人から従来どおり会社に松パレットを売った形にしろと言われたことも確かにありました」(二二項)と検面調書に記載されている点に関する検面調書作成時の状況について、上板は原審公判廷において、検察官の質問に対し、次のように証言している。

それから、検察庁では奥さんがメモをもってきたとき、これは草竹さんの会社で一一月の中ごろ、原木の代金の総額二、四〇〇万円ということで決めて、そのあとであなたのほうから、今度はどのようにしておきましょうか。請求書を取引どおり正直に書いていいかどうか尋ねたところ、奥さんが持ってきたと。で、社長もその場に同席しておったと話されていますが、そうではないんですか。

そうではないですね。話したのは一番初め検察庁に行ったときに話した内容は、ほぼこの席で話したとおりだと思います。ただ、長時間調べられまして、理論的にいろいろ追求もされましたし、そのときに最後にそういうふうになってしまったという感じですね。

あなたの今の記憶ではおったかどうかわからんということですか。

そうです。そのときもそうです。検察庁で初め調書をとられるときにも、ぼくはそういうように申しました。社長がいたということは絶対ありません。いろんな状況判断から問い詰められまして、そういうふうになってしまいましたけれども、初めて検事に話したのは今のとおり言ってます。

そうすると、おらんとも言えんということですか。

そうです。記憶にはっきり覚えてないんです。奥さんにメモを渡されたものやから、それだけははっきり覚えていますけれども。

それから、検察庁では請求書を出す際に、必ず社長か奥さんに名目どうするか確認しておった、どの分だったかはっきりしませんが、草竹社長に確認して、社長本人から従来どおり会社へ払っておいた形にしろと言われたことも確かにありましたと話されておるんですけど、そういうことはなかったですか。

だから、それも今の話と同じです。だんだん、だんだん、そういうふうになっていったわけです。

調べられる段階で……。

初めに言いましたのは、先程ここで言ったとおりなんです。

奥さんに話したと言ったんですか。

そうです。

社長もおったかもしれんと。

ええ、そうです。いたかもわかりませんし、それもわかりません。ただ、いたとは言われませんし、いなかったとも、はっきり言われません。

社長自身に確認したような記憶はないですか。

大体、品物を決めていただいて、値段を決めていただくときには、社長にいていただいたし、そういうことは重要なんです。だんだん、こういう取引が進んできましたら、大体、草竹さんところの会社の仕組みというものがわかってまいりますし、すべて経理の面は奥さん中心にやってるなと思いましたので、あとの詰めは奥さんとしたのが常でした。

(第二〇回公判調書二一丁裏ないし二三丁裏)

また、この点につき、上板は弁護人の質問に対し、次のように証言している。

二回目と三回目の請求書を会社のほうに出した際のことをお伺いしますが、前と同じように松パレットという名目でしてくれということをだれから言われたんですか。

それは具体的じゃなしに、会社へ出すようにと言われてましたんで続いて出しました。

それはだれからですか。

一つずつ覚えてないです。ただ初めにそういうふうに言われましたので、後も同じようにしたと思います。

社長からそういうことを直接言われたことはありますか。

それは記憶にないです。

少なくともさっき証人が言ったように、社長からそういうことを言われたことはないというわけですね。

それはないです。

そうすると請求書を出すときに社長本人から、従来どおり会社へ松パレットを売った形にしろと言われたということなどないわけですね。

それはないです。ただ会社へ請求を出しますということは確認していると思います。

今質問を受けたようなことはないということですか。

そうです。

検察官調書にはそのように書いてあるんですけれども、これは証人の記憶に反することですか。

そうです。

どうしてそのような記憶に反する調書になったんですか。

だから一番最初申しましたとおり、そういう可能性があるということは確かですから、検察庁へ行った当初は事の重大性というのは僕も割と無とんちゃくでしたし、取調べを受ける段階で事の重大性に気づいていったわけです。さっきも申しましたように、そういうことは社長さんも当然御存じやと頭から思ってましたし、別にそういうことでトラブルがあったわけじゃないし、だからそんなにはっきり鮮明には覚えてないです。

そういう可能性があるというものが、断定的な調書になってしまったわけですか。

そうです。(第二一回公判調書一三丁表ないし一五丁裏)

更に、上板は、検察官から検面調書を示され、次のように証言している。

末尾の署名、指印、これはあなたが書いて押したものですか。

そうです。

書いたものは、ちゃんと検察庁で読んで聞くかしてもらいましたか。

ええ、聞かして頂きました。

どこか違うところがあったんですか。

違うっていうか、初め私が言った筋から大分離れていってるということはわかっていました。ただ、そういう可能性もあったということは思いますし、そういう意味で確認しました。

一応、間違いないということで、名前書いて印鑑押したわけでしょう。

でも、あの日は昼でしたから、で、出たのが夜の九時、かなり長時間ですし、精神的に参ってたということもあります。(前同調書二四丁)

更に、上板は検察庁における取調状況を弁護人から質問され、次のように証言している。

取調は午前から午後九時ごろまであったということですか。

はい。

その間において、草竹社長がそこにいたかどうかはっきりしないというような点の押し問答は、かなり時間がかかりましたか。

それはあります。

どれくらいかかりましたか。

時間的なことは分からないですけれども、ただ僕がそのとき感じたのは、それがその日の取調の一番主たる目的やということは感じました。集中的にそれを聞かされましたから。

最後、結局あなたは折れてしまったわけですか。

結果は折れたということになるんですけれども、折れるというよりそういう可能性もあるといういわゆる理論付けて検察庁の方も一生懸命調べてはりましたので、そういう理屈付けといいますか、理論付けて話していったら、そういうこともあるなということで、そういうふうになっていったと思います。

草竹社長がそこにいないという可能性があるということになれば、事実と若干違ってまいりますが、そういうことで社長のほうに迷惑がかかるというようなことは考えなかったですか。

初めは、僕はそういうことは知りませんでしたけれども、後でいわゆる世間話で、例えばこうなるという話は聞きました。

あなたはこの法廷に出て来られるまでに、草竹側と連絡がありましたか。

全然ないです。

草竹のほうも保釈に際して、そういう一切の行為を禁じられていますのでやっていないはずですが、あなたとしてはこの法廷で、自分の経験したことをありのまま記憶に基づいて述べておられるということになるわけですね。

そうです。(前同調書四六丁ないし四七丁表)

更に、上板は第二一回公判において弁護人の質問に対し、次のように証言している。

証人は前回、「社長がいたということは絶対ありません」と言われたり「いたとは言われませんし、いなかったともはっきり言われません」と言われてるんです。社長がいたということは絶対にないというふうにも前回は断言しておられるんですが、どうですか。

最初申しましたけれども、検察庁の取調べのときもいなかったようですということは言ったんです。

ところが検察官の調書では、社長がいたというふうに断定しておりますけれども、これは証人の記憶とは違うわけですか。

違います。

それからまた検察官調書では、話の内容はもちろん、一部始終社長は分かっていたはずだというふうに言われましたが、これも事実と違うわけですね。

はい。初めそういうふうに申し上げたところ、可能性を追求されました。そのとき僕が感じたことですけれども、初めから検察庁の方は社長がやったというふうに決めて僕に話されたように思います。

社長がやったということですか。

だから頭から決めて尋問されたように思います。そのとき感じたことですけれども、僕も初めての経験ですしこういうものかなと思ったんですけれども、やっぱり本当の真相を追求するにはちょっと簡単過ぎやしないかなという気がしました。

簡単過ぎやしないかというのは、どういう点がですか。

頭から決めてかかるというか、私らでも普段でもそうですけれども、どうしても間違った判断をしてしまうように思います。それが初めから、頭から決めて尋問されたんですので、その点が僕はちょっと気になりました。

社長がその場にいたはずだということを決めてということですか。

そうです。

証人の前回の調書を見ますと、いろんな状況判断から問い詰められて社長が同席していたというふうになったということですが、そういうことですか。

そうです。いわゆる可能性を追求されたわけです。

可能性ということはどういう意味ですか。

いても不思議やないということです。しかし僕は初め申しましたように、そんな覚えないというか、初めからいなかったようですということは申し上げたんです。

証人の前回の調書によりますと、社長があの場にいたはずだと集中的にそれを聞かれたということですが、集中的に聞かれたというのはどういうことですか。

ほとんどそれに時間を費やしたということです。

どういうことにですか。

社長がそれを知っているとか、社長の指示でやったとかそういうことです。

検察官のほうは何を根拠に、社長は知っているはずだというふうに社長に聞かれたんですか。

さっき申し上げましたようにいわゆる可能性です。(前同調書五丁裏ないし七丁表)

晴美被告人からメモを渡された際、杉晃社長がその場に同席していたか否かという点について、前記上板の証言によれば、上板は検察官から「集中的にそれを聞かれ」、「その日の取調の一番主たる目的やということは感じ」、「ほとんどそれに時間を費やした」というのに、杉晃社長同席の有無に関する検面調書の記載内容は、前掲のように、推定をまじえた極めて簡単なものにすぎないのである。いかに検察官が押し付け調書作成に難渋したかがわかる。

このような検面調書作成時における取調状況からみても、杉晃社長の同席の有無につき、調査官が取調室という密室で、社長が同席した筈だと頭から決めてかかって追求したため、検面調書には「草竹社長も同席しており話の内容はもちろん一部始終判っていたはずです」と記載され、また、草竹社長本人からも会社に松パレットを売った形にしろ、と言われたなどと記載されたのである。

このようにして、杉晃社長に脱税の犯意があったように証拠づけようとしている検面調書に、信用性はなく、まして特信性を認めることはできないのである。

晴美被告人を全くかばわない上板が、杉晃被告人だけをかばう理由はないのである。

以上要するに、上板の検面調書作成時及び法延証言時における記憶では、奥さんの晴美被告人から品名を松パレットにして、会社宛に請求してくれというメモを渡された時、社長の杉晃被告人がそばにいたかについては、はっきりしないことなのである。

このような証言から杉晃被告人が同席したと認定することはできない。

6 晴美被告人の昭和六〇年二月一〇日付(検三四六)第二七項には、同被告人が上板に対し事務所三階の会議室で「請求書は、松パレットを納入したことにして出してもらえますか」と頼んだ時、「部屋には誰もおらず、私と上板さんの二人きりでした」と録取されている。なお、このように頼んだのは「昭和五六年一一月ころかと思いますが」とある。しかし、晴美被告人にとり印象的な事件であった筈の今回事件の査察直後な らば、検察官は、前提事実であることを必ず録取したであろうが、その点が録取されていないことから、「一一月ころ」というのは頼んだ日時を特定するものではなく、右のように頼んだのは査察前のことと認められる。

7 この点につき、杉晃被告人は、昭和六〇年二月一〇日付検面調書第一七項で検察官の質問に対し次のように答えている。

問 その後その場で、君か君の妻方から上板にメモを渡し、この杉の天井板について請求書の明細をべつの品物のように書き替えることを指示したり請求書を会社宛に出すように指示したりしたことはなかったか。

答 私はそのようなことは一切知りません。代金の話が終わり、私は席をはずしたと思います。支払いの話は、その後妻がやったのだと思います。今回の査察後妻に確かめ妻が上板に品名を松パレットに書き替えるように指示していたことを知りました。

当社と上板の間で松パレットの取引などをしたことがなく、私がそんな指示をするはずがありません。

問 その後、別の自宅用の品名を納品してもらうに際し上板から納入品名を松パレットにしておいてよいか聞かれたことはないか。

答 そのようなことも一切ありません。

上板からの品物は、すべて松パレットに仮装して会社から支払っていましたが、妻が勝手にやったことでした。

8 このように、杉晃被告人は本件現場に同席していなかったのである。これが真相なのである。だから、草竹社長も同席した筈だ、と考えている上板証人の証言内容が、検察官のいわれるように「あいまいな供述に終始し、」「証言……の内容に変遷がある」のである。しかし、このように不明確な供述内容こそ、上板の記憶どおりの供述なのである。草竹社長も同席していたと断定して記載されている上板の検面調書の記載は、検察官のいう「比較的記憶の新しい時期に取調べを受け」たからではない。検察官の不当な誘導ないし誤導によるものである。このような検面調書の記載に信用性も特信性も認めることはできない。

9 更に、検察官は上板証人が「検察官から可能性を追求されて同席していたということに供述を変えた」と証言している点をとらえて、同証人は昭和五九年七月二七日に大蔵事務官の取調に対し被告人草竹杉晃が同席していたことを認めているのであるから、供述を変えたとの証言は不自然であるという。

しかしながら、上板証人は国税局での取調については全体として記憶が余りない旨一貫して供述したと証言しているのであり、あくまでも検察官の取調に対して当初は記憶がない旨の供述をしていたのを、検察官の追求で杉晃被告人も同席していたなどとの供述に変えた旨証言しているのであって、何ら不自然というに当たらない。

10 右の他にも検面調書が不当な誘導により作成されたことを窺わせる事実として次のような諸点も指摘したい。

(一) 検面調書は、杉晃被告人より五六年春ごろ初めて話があり、一〇月ころ原木を同被告人に見せて買って貰う話はつき、細かい値段の打合せ、代金支払の相談などに一一月中ごろ会社へ行き、一一月中頃から納めており」、「一一月半には仕入れて加工にかかっていました」となっている。(第六項)

しかしながら公判廷での証言で、本件の原木を製造するには三ヶ月以上かかること、一〇月ころには納品が始まっているので、遅くとも夏には売買が決まっていることなどが明らかになっている。(第二〇回公判調書三六丁表)しかるに検面調書では、加工に三ヶ月はかかる点が全く考慮されておらず、また加工をするのであるからその前に代金については合意ができていなければ、上板としては高価な原木の加工に着手できないのに、その点も全く考慮されておらず、なお「細かい値段の打合せ」が残っていたとされているのは(第五項)取引の常識に著しく反するといわねばならない。これは検察官が上板から充分の事情聴取をしないで、予断により誘導したからである。

11 更に検面調書では本件杉材の「すべてが草竹さんの新築の家に使われているわけです」との供述記載があるが(第一三項末尾)、半分以上は余って半製品で納めているし、スライスしてベニヤ板に貼ったものは社屋に使用されることを証人も認識していた(第二一回公判調書一五丁)。また検面調書には二、四〇〇万円分のパレットを一度に納入するというのはおかしいので、三回に分けて請求書を出す形をとることにした旨の供述記載があるが(第一二項)、しかし、これは金額が多額であること、また、商品の材料を納入するのに時間がかかったため、三回に分割して支払うこととされたのであって、パレットに偽装したから三回に請求書が分けられたものでないことは明らかである(第二一回公判一二丁裏ないし一三丁表)。原木を木挽きし、加工し、またスライスして合板にしたりするのに時間がかかるので、一度に納入できないため三回に分けられているのである。これらの点も検察官の誘導により、また、上板の説明を十分に聞かずに調書が作成されたため、上板の記憶に反する供述記載になったものと考えられる。

12 なお、第一、二、4、(二)において述べたところであるが、上板の検面調書の記載、原判決の認定どおりならば、杉晃被告人は、不正経理への協力を依頼したという上板からの請求書記載の請求金額の端数を四回にわたり削り値切っていた、という行動に一貫性を欠いた、不合理な行動をとっていたことになる。この点からも、晴美被告人が品名を松パレットに書き換えるよう上板に指示した際、杉晃被告人は同席していなかったものであることが明らかである。

13 以上いずれの点からするも、上板の検面調書は信用性がなく、また、いわゆる特信性の要件を欠くものであり、このような調書及び杉晃被告人が同席したか否かはっきりとは言えないという上板証言を証拠として、判示事実を認定している原判決は事実を誤認したものである。

14 従って、上板正明関係で被告会社の昭和五七年七月期の工場消耗品費一、五二四万五、〇〇〇円、翌五八年七月期の工場消耗品費二六二万円、同五七年七月期の消耗品器具費八二五万円、翌五八年七月期の消耗品器具費一、四五五万円へ付け込んだ金額合計四、〇六六万五、〇〇〇円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

15 原判決が、「関係各証拠によれば、被告人杉晃は、次のとおり、自ら種々の所得隠匿工作に積極的に関与していたことが窺われているのであって、」と判示している(二〇丁裏)点についてすら、前記第二、ないし第九、のように杉晃被告人の関与の事実が認められないのである。まして原審検察官の昭和六〇年三月一日付冒頭陳述書別紙13、以下に被告人両名が自宅建築費用を被告会社の外注工賃1ないし13、工場消耗品費、修繕費1ないし12、消耗器具費、広告宣伝費と仮装して付け込んだとしている勘定科目の金額合計、昭和五七年七月期五、六九四万一、四一〇円、同五八年七月期、五、四一〇万七、四一〇円分については杉晃被告人の関与を認めるに足りる証拠はない。

第一〇 日本楽器製造株式会社関係(ペルシャ絨毯購入)

原判決は、二五丁裏以下に日本楽器製造株式会社関係(ペルシャ絨毯購入)につき、杉晃被告人らの自宅用ペルシャ絨毯購入経費を被告会社の販売促進費に仮装計上した旨認定している。

この点については、右日本楽器製造株式会社販売仲介担当者中島経郎の原審第七回公判期日の原判示事実に添う証言はあるが、一方中島は、販売時右絨毯の用途につき、杉晃被告人らに対し「……自宅でも会社でももちろん壁がありますから、使えますし、社長室のテーブルとかにも使えます、と言ったような記憶があります」という証言もしている(右公判調書一六丁表)。他方、杉晃被告人の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検三二七)には、「確か絨緞を見ていた時、妻から現在の社長室の飾によいのではないかという話があったと思います。」(同調書第二二項)、「特に何に使うのかというようなことを妻に聞いてもいません。将来建てる予定の会社の事務所の飾か何かに使うと思っていた程度です」(同調書第二三項)という供述も録取されておることなどからみて、杉晃被告人が、右ペルシャ絨毯(というよりむしろタペストリーであるが)を、和風数奇屋造建物である自宅用具として使用すると果して考え得たか否か、ひいては仮に自宅用具と考えても、自宅用具の購入経費を会社経費に付け込むとまで認識していたか否か疑問が残る。しかしながら、本件は、今まで述べてきた自宅建築用材料等の経費を被告会社経費へ付け込みをしたのではないか、という問題とは類を異にし、証拠上原判示のように認定されてもやむを得ないと思われるような事情も認められるので、この点に関する原判示事実については、疑問は残るが争わない。

第一一 次に、杉晃被告人が、滋賀工場セラミック機械設備の費用を経費として仮装計上するに関与していたと原判決が認定している点(二六丁表以下)はいずれも事実を誤認したものであるが、これについて以下順次検討したい。

一 原判決は、有本工業関係につき、二六丁表以下に、次のように判示している。

後記のとおり、被告会社は、有本工業に滋賀工場のセラミック設備の泥漿前処理装置一式工事を請け負わせることになり、昭和五六年一〇月六日、被告会社本社会議室において、被告人杉晃は、内野技術課長立ち会いのもと、有本工業代表取締役の有本良三との間で、総工費二五〇〇万円、契約締結時に内金六五〇万円を支払い、残代金は三回に分割して支払う旨の契約を締結した。内野は、被告人杉晃から右代金を型枠製造代金と偽って支払うよう指示され、有本良三に対し、予め、右契約当日に白紙の請求書を持参するように依頼していたが、右契約締結の際、請求書に記載する品目を変えてほしいと依頼して、六五二万円に相当するコンクリート型枠の個数、単価を記載したメモを渡した。そこで、有本良三は、被告人杉晃の面前でメモのとおり請求書に記載し、その請求書を同被告人に渡して同被告人から六五〇万円の約束手形を受け取り、被告会社宛ての領収書を作成、交付した。なお、被告人杉晃は、同年九月一六日付で右請求書の金額を二万円値引きし、六五〇万円とする旨の決裁をした。

その後、有本工業は、被告会社から昭和五七年五月、同年六月及び同年九月に残代金の支払いを受けたが、内野は、被告人杉晃の指示に基づき、その都度有本良三に連絡して白紙の請求書を送付させたり、品名を型枠と記載した請求書を送付させるなどした。こうして、被告会社は型枠代金を支払った外形を作出し、昭和五七年七月期に一八五〇万円、昭和五八年七月期に六五〇万円をそれぞれ型代として計上した。

(有本良三証言〔第二一回、第二二回公判期日〕、内野正敏証言〔第二三回、第二四回公判期日〕、滋賀工場設備調査書〔検466〕、被告人杉晃の昭和六〇年二月一一日付検察官調書〔検328〕)

二 前掲滋賀工場設備調査書(検四六六)によれば、被告会社が、有本工業に被告会社滋賀工場のセラミック設備の泥漿前処理装置一式工事を請け負わせたことなどは明らかである。

しかしながら、<1>杉晃被告人が、被告会社内野正敏技術課長に対し、前記工事の代金を型枠製造代金と偽って支払うよう指示し、内野課長が昭和五六年一〇月六日、被告会社本社会議室において、右契約締結の際、有本良三に対し、請求書に記載する品目を型枠と変えてほしいと依頼して六五二万円に相当するコンクリート型枠の個数、単価を記載したメモを渡し、有本は杉晃被告人の面前で、メモのとおり請求書に記載し、その請求書を杉晃被告人に渡した、という点、また<2>内野が有本に連絡して白紙の請求書を送付させたり、品名を型枠と記載した請求書を送付させるなどしたのは、杉晃被告人が内野に指示したからである旨の、原判決の各認定はいずれも事実を誤認したものである。前記セラミック設備工事代金を型枠製造代金に仮装したということ、また有本にその旨の請求書などを送付させたという右<1><2>の各事実はいずれも、内野による行為であり、杉晃被告人の全く関与していないことである。

原判決が前記各事実を認定する証拠とした有本良三証言(第二一回、第二二回公判期日)、内野正敏証言(第二三回、第二四回公判期日)は、いずれも信用性の認められないものである。

三 まず、前記<1>の点につき、第二一回公判期日に、検察官の質問に対し、有本良三は次のように答えている。

そしてあなたは契約日である一〇月六日には、草竹コンクリートの本社の事務所に行ったわけですね。

はい。

契約はどこで作ったんですか。

二階が事務所なんで、三階の会議室です。

あなたが三階の会議室に行ったとき、その場に出席した人というのは、だれですか。

社長さんと内野さんと私の三人です。

社長というのは、後ろに座っている被告人のことですね。

はい。

まず一番先にしたのは、何をしたんですか。

工事の内容、それをすべて打合せしまして、それが終わった後、金額が全部決まったわけです。そして三分の一お支払いしましょうと、いうことで話されまして、それが終わって内野さんと社長さんとが話されまして、そして内野さんが事務所のほうに行かれまして、メモを持ってこられて、三階へ上がってこられました。

それで何と言われたんですか。

メモ書きがございまして、それの内容のものを請求書に書いてくれということで、私その場でお書きしました。

内野さんがそのメモを持ってきてあなたに渡すとき、被告人の社長はその場にいましたか。

はい。

何か言っていましたか。

ちょっと内容までははっきり覚えてないんですけれども、内野さんが上がってこられるまで、ずっと一緒に。

そのメモには、請求の内容が書いてあったわけですね。

はい。

簡単にいうと、どういう品名を請求してくれ、ということでしたか。

コンクリートの型枠の明細を書いて個数と、金額は六五〇万円に相当する金額です。

そしてこういう請求書にしてほしい、と言われたんですか。

そうです。

あなたはどうしたんですか。

本当はできないことですけど、お客さんの言うことですから、すぐに請求書に書き込みました。

そのメモに書いてあるとおりに請求書に書き込んだわけですね。

そうです。

そしてその請求書をだれに渡したんですか。

担当は内野さんですけれども、社長さんが横においでになりましたから、一緒に見られて、そしてそのとき社長から手形を頂きました。

請求書を渡したら、それと交換に六五〇万円の金額の約束手形を被告人の社長から受け取った、ということですか。

はい。 (三丁裏ないし五丁表)

すなわち、昭和五六年一〇月六日の契約日に、有本と杉晃被告人が協議して当日の前渡金を含め代金の支払方法が決まった後、杉晃被告人と内野が話をし、内野が事務所へ行ってメモを持ってきて有本に渡し、その内容を請求書に書くよう求めたというのである。

四 しかしながら、左記のとおり有本良三は、昭和五六年一〇月六日付「契約書」(検二四七中のもの)はタイプで作成されているので、一〇月六日以前に作成されたものであることを認めている。また、右契約書には契約時の支払金額が六五〇万円、と値引きされた後の金額となっているのに、日付の記載されていない有本工業の、品目が「L型水路型枠H20」と記入されている「請求書」(検二四七中のもの)に記載されている請求金額は六五二万円、と値引き前の金額が記入されている事実からみて、右請求書は右契約書の作成日に作成されたものではなく、それより以前の日に作成されている、という事実が明らかである。

右事実が明らかにされている、第二二回公判期日における弁護人の質問に対する有本の証言内容は、次のとおりである。

検第二四七号証中、「契約書」と題する書面を示す。

これはコピーですけれども、昭和五六年一〇月六日に有本さんのところと草竹のところとの泥漿処理装置についての問題になってる契約書ですね。

はい、そうですね。

この契約書の記載内容は、この一〇月六日に話し合ってから、その日にこの文書が作られたものですか。

それよりも前に作られたものですか。

以前です。

そうすると、一〇月六日には既にこの契約内容はできていたということですか。

はい。

それは、草竹の会社のほうでタイプに打って、一〇月六日に用意されておりましたか。

はい、そうです。

それを、一〇月六日の日に証人と社長が改めて内容を確認したわけですか。

はい、そうです。

この契約書の三ページに代金の支払方法が書いてありまして、「契約時650万円150~180日約束手形」と書いてありますね。

はい。

そうすると、この一〇月六日には六五〇万円を支払うということが決まっていたわけですね。

はい、そうです。 (二丁)

(中略)

検第二四七号証中、草竹コンクリートあて有本工業発行の合計六五二万円の請求書を示す。

ここにあります「L型」、「Z」というふうにも読めますけれども、「L型水路型枠H-20」とありますね。これは、証人がお書きになったものですね。

そうです。

その横に何と書いてあるんですか。

「80型」と。

それから、この金額は六五二万円ですね。

はい。

これは、証人がお書きになったものですか。

はい、そうです。 (二丁裏ないし三丁表)

(中略)

この六五二万円というのが、さっきの契約書の六五〇万円となったわけですね。

はい、そうです。

そうすると、今見ていただいてる請求書の「L型水路型枠」六五二万円というふうに証人が書かれたのは、その請求金額が六五二万円の請求をしているときに書かれたわけですね。六五二万円というふうに書いてありますね。

はい。

この六五二万円と書かれたときですから、この「L型水路型枠」と書かれたわけですね。

はい、そうです。

(中略)

そうすると、証人が六五二万円という金額を請求したのはいつですか。

これは、その日だと思うんですけれどもね。

その日には、さっきの契約書の六五〇万円というふうにきまってますね。

そうです。

そうすると、その前ではないんですか。

前かも分かりませんね。 (三丁)

五 有本が原審第二一回公判期日に検察官から質問されてこれに答えた前記証言によれば、契約書の日付である一〇月六日契約成立当日に、支払金額がきまり、また、「L型水路型枠」、「六五二万円」と書いてくれと、請求書記載の内訳について内野から要求がでたというのである。しかし、請求書に記載されている六五二万円という金額と「L型水路型枠」という品目と、一〇月六日以前に作成され、一〇月六日と日付もタイプで印字されている契約書の日付及び六五〇万円という金額を較べてみてわかる客観的事実、並びに前記第二二回公判期日の有本証言によれば一〇月六日には支払金額は既に六五〇万円ときまっていたのである。従って、一〇月六日契約成立当日に内野から、「L型水路型枠」「六五二万円」と書いてくれと有本に対し要求の出る余地はない。第二一回公判期日における前記有本証言は、一〇月六日付契約書作成日より以前の別の日に前記請求書が作成されているという事実に反するものである。

弁護人からこの点を指摘され質問を受けても、有本は納得できる説明を全くできない(第二二回公判調書三丁裏以下)。

他方、有本良三は、前記契約日の一〇月六日以前には杉晃被告人とは名刺の交換程度の挨拶しかしていないこと、実際の交渉は内野としていたこと、しかも契約日の直前まで頻繁に内野と会っていることを認めているのである(第二一回公判調書一七丁裏、第二二回公判調書一丁表ないし二丁表)。

六 以上の事実からみて、請求書に記載する品目を型枠と変えるようにとの指示は内野が有本と会った機会に、内野から有本になされたものとしか考えられない。

原審第二一回公判期日における検察官の尋問に対する有本の証言は、杉晃被告人が右の事情を知っている筈であるという、捜査段階における検察官の予断に基づく誘導の結果作られた記憶によるものであろうが、客観的事実に反する。すなわち、前述したように、契約書に記載されている日付及び金額と、請求書に記載されている金額及び「L型水路型枠」と記載されている点から見て、前記第二一回公判期日における有本証言は信用することはできないものである。

七 次に、内野正敏は、原判示事実が行われた当時、被告会社技術課長の地位にあり、被告会社と有本工業株式会社との本件契約締結の衝に当たったものであるが(第二三回公判調書一丁、三丁表以下)、右内野は第二三回公判期日において、検察官の質問に対し次のような趣旨の証言をしている(三丁表ないし九丁裏)。

すなわち、被告会社が有本工業に滋賀工場のセラミック設備の泥漿前処理装置一式工事を請け負わせる契約を、昭和五六年一〇月六日締結するにつき、その二か月ぐらい前に、内野は、杉晃被告人から右工事代金を型枠製造代金と偽って支払うよう指示されたこと、そこで、内野は右一〇月六日契約締結の際、有本工業代表取締役有本良三に対し、請求書に記載する品目を変えてほしいと依頼して、六五二万円に相当するコンクリート型枠の個数、単価を記載したメモを渡し、その場で、杉晃被告人の面前で、有本にメモのとおり、請求書に記載してもらったこと、これは原判決の前記<1>の事実に当たる内容の証言である(三丁表ないし九丁裏)。また内野は杉晃被告人の指示に基づき、その都度有本に連絡して白紙の請求書を送付させたり、品名を型枠と記載した請求書を送付させるなどしたこと、これは原判決の前記<2>の事実に当たる内容の証言である(九丁裏ないし一四丁裏)。

八 しかしながら、右内野の証言は信用し難い。

1 内野は次のような性行を有する人物である。

(一) すなわち、内野は被告会社に就職するに際し、「横浜工業大学」卒業等と学歴を偽り、また、熱工学の専門家で博士号まで持っているとか、弁理士の資格をもっている等と詐称したのみならず(内野の第二三回公判調書二五丁表ないし二八丁。検三二八、杉晃被告人の検面調書第三項)、杉晃被告人を欺き取引業者から巨額のリベートを騙取した。この事実が発覚したため、杉晃被告人が奈良警察署に被害届を提出して内野を訴えた結果捜査が開始され、内野は有印私文書偽造、同行使、詐欺罪により懲役三年の実刑判決を受けている(前同調書一丁、第二四回公判調書二丁、一一丁ないし一二丁。控訴審において取調請求予定の内野正敏らに対する右被告事件判決書写し)。

セラミック設備建造費用は、被告会社の資産として計上すべきであったのに、型枠という消耗品の名目で経費として仮装計上して会計帳簿を操作することにより、所得金額を減縮させるという租税ほ脱の方法は、被告人ら素人には思いつき難い事柄である。もちろん、被告会社において、前回の被告事件の際に、このようなほ脱の方法はなされていない(控訴審で取調請求予定の前回の被告事件における検察官の冒頭陳述書添付の修正損益計算書別紙2、8、15。なお、15の三、四〇〇万円は受入誤りによるものであることは、本件被告事件における昭和六〇年三月一日付検察官の冒頭陳述書添付の別紙7型代の説明4により明らかである)。

一方、内野正敏は、妻が会計とか税務を見れるなどと被告会社に自己紹介して入社した人物であり(原審第二三回公判内野正敏調書二八丁表)、内野は、ある程度税務会計に関する知識を有していたものと認められる。この事実からみて、前記のような租税ほ脱の方法は、内野という人物こそ考えつき得る方法であろうと思われるのである。型枠と記載した請求書を送付させたのは内野による行為と認められる。

(二) 加藤茂は、内野と共謀して昭和五七年頃の被告会社に絡むサンユー機械産業株式会社に対するリベート名下に詐欺事件を犯し、実刑に処せられた人物であるが、原審第五〇回公判において、内野の詐言行為、金員騙取行為について次のように証言している。

内野さんが草竹コンクリート工業に入社する時に、あなたは身元引受人になってますね。

はい。

身元引受人になるほど内野とあなたとは親しかったということになるのかな。

その点につきましては、ちょっと前に内野が特許の件というのがありまして、それで私の紹介した人に大変迷惑掛けましたので、私自体も内野に仕事をもらってその人に対する返済を考えておりましたんで、内野がいいとこに就職してもらったら仕事を出してもらえると。その当時は別にそういうリベート関係とかそういうことじゃなくて、正式な仕事として利益を出して、その内野が特許の件で迷惑を掛けた人に私自体が返済する、そういう意思で保証人になりました。 (一一丁裏ないし一二丁表)

(中略)

今言うている特許の件というのは、もうちょっと言ってくれますか。どんな件なんですか。

あの当時公害のやかましく言われておりました時で、内野が考えた特許の名目が何か空気とか液体とかそういうものを大空へ打ち上げたら光化学スモッグがいっぺんに消えるとか、そういうふうな特許だと。それを三菱重工へ譲渡して、そのお金を譲渡した時点においてもらえること。

光化学スモッグを解消するような、そういう設備の特許を取れるんだということで。

はい。

辰巳さんという人からお金を引き出したということなんですか。

そうです。 (一二丁裏)

(中略)

一五〇〇万円辰巳さんから引き出した件だけれども、これは実際はそういうのは特許を取れるような代物でなかったんでしょう。

後で分かりましたけども、全然そういうものはある筈がないということが分かりました。

(一三丁)

すなわち内野は、光化学スモッグを解消する特許を取ったと詐言し一、五〇〇万円騙取したことがある。また、有本鉄工関係において後述するように、内野は、加藤茂の前記原審第五〇回公判証言によれば、加藤と一緒になり、有本鉄工、チトセ工業、サンユー機械産業からバックリベートを取っていたという事実がある。また内野が、杉晃被告人を有本鉄工、チトセ工業、サンユー機械産業の社長らと直接会わせないようにいろいろ工作をしていたという事実が認められる。更に、請求書に型枠と書き換えさせることにつき内野自身に利益はないことはない。すなわち内野らのリベートを取っていたことが杉晃被告人にばれた場合、同被告人に対し脱税行為をしているではないかと脅かし、同被告人に罪をなすりつけて、警察に届け出ることを躊躇させる爆弾とするという事実が考えられるのである。

2 内野のいう「秘密」を杉晃被告人がこれを意に介していなかったこと

内野は昭和五八年一月五日、「秘密は守ります」旨を書き添えた退職願を残して、被告会社を一方的に退職したものであるが、この点につき、杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書(検三二八)第八項には次のように録取されている。

内野は既にセラミックの仮注文まで入っていると報告し、私としてもそれを信用しセラミック設備には力を入れてきました。ところが、昭和五八年一月の初出勤の日会社二階の社長席に出ますと私の机の上に内野の退職届がおいてありました。中を見ると秘密は守るからやめさせてくれということが書いてありました。わけが判らずおどろいてしまいました。

問 内野の退職届にあったという秘密とは何をさすのか。

答 判りませんが、私としてはセラミック設備に関する技術的秘密だと思っていました。

問 内野の言う秘密とは、君が内野にセラミックの機械の請求書の品目の書き替えを依頼した件でないのか。

答 私はそのような指示をしておらずそのようなことはありません。

問 内野のいっている秘密について妻その他の者に聞くなどして調べたりはしなかったか。

答 そのようなことはありませんでした。

また、杉晃被告人は、原審第九〇回公判において、検察官の質問に対し次のように供述している。

内野がやめた時に秘密は守りますと書き残した意味について、どう理解したのですか。

私としてはセラミックのいろいろな特許、技術用(実用の誤り)新案、意匠権を出願しており、いろいろな商品を作るという内容も話していたし、そういうことが外部に漏れると困るので、その秘密を守ることだと認識したのです。

内野は、そのことに詳しかったのですが。

当時としては、セラミックの設備を全面的に任していました。 (六丁表)

杉晃被告人はこのように考えていたから、その後何ら意に介することなく、内野を詐欺罪の犯人として指摘し、奈良警察署に一月一四日敢えて被害届を提出したのである。

この行為は、杉晃被告人が内野に命じてセラミック設備の巨額な代金を型枠代に仮装し、税金を免れようと不正行為をしたというようなことに全く関与していなかったこと、また、杉晃被告人は、そのようなことが内野に対する詐欺罪の捜査の経過において、同人の口から警察に暴露されはしないかなどと、全く危惧していなかったこと、すなわち、自分は執行猶予中であるが、自ら省みてやましいことは何もない、と考えていたことの何よりの証拠である。

また、この点については、杉晃被告人は、林正産業の経営者小林正勝から、同人が被告会社に納入した原料タンクの改修(かさあげ)工事代金を支払ってほしいと、昭和五八年一月二〇日ころ、直接要求された際、「(同人が内野を通じて言われた)納品書、請求書を書き換えた件に就いて税務署に話す」と言われたこともあるようであるが、内野がやったことやから、と(原審第二六回公判小林正勝証言一八丁、三〇丁裏)、何ら意に介せず、前記のように奈良警察署に内野に対する被害届を提出して同人を訴えているのである。

3 前記のような、内野の杉晃被告人に対する逆恨み、悪感情、同人の虚言癖、狡猾さ、税務会計事務に関しある程度知識を有していたものと認められる事実、杉晃被告人が内野を敢えて警察に訴えた事実等からみて、杉晃被告人が請求書に型枠と書き換えさせるよう内野に指示したという内野の前記証言を信用することができない。

九 また、検察官は、弁護人の前記四、五、の主張、立証を反駁するため、前記契約成立の昭和五六年一〇月六日当日に前記請求書も作成されたという主張を立証しようと試み、内野に対し、次のような質問をしている。

すなわち検察官は、第二三回公判において、検第二四七号証中の有本工業株式会社から被告会社宛ての六五二万円の請求書(青い表紙の請求書の次に重ねて白い請求書が添付されているもの)を内野に示した上(右公判調書八丁裏未行)、表紙の青い請求書には請求金額の六五二万円の文字が杉晃社長の文字により赤鉛筆で抹消され六五〇万円と書き直されていること、二枚目の品目欄に「L型水路型枠二〇」と書いてある白い請求書には六五二万円とされていることについて、説明を求めている。

これに対し内野は、型枠の単価が八一、五〇〇円であり、八〇個注文したという計算上、金額が六五二万円となるから、白い請求書に六五二万円と有本に書いてもらったこと、しかし実際に受け取った金は、杉晃社長から削られた六五〇万円だから、表紙の青い請求書には六五〇万円と訂正された金額が記載されている、旨検察官の質問を肯定して答えている。

その問答の具体的内容は次のとおりである。

そうすると、あなたが白紙の請求書を貰ったというのは二回目と三回目ですか。先程の検第二四七号証の中の草竹コンクリート宛ての請求書四通及び領収証四通を示します。これらの請求書に見覚えありますか。

はい。

請求書の金額で言いますと、六五二万円という請求書がありますね。その表紙が青い請求書には表紙の次に白い請求書が添付されていますね。

はい。

これをみますと、Z型水路型枠20と書いてありますね。

(うなずく)

これが先程あなたが言った有本さんが書いた請求書ということですか。

はい。

先程の契約書では第一回支払いが六五〇万円となっているのに、この請求書は六五二万円となっていますね、これはどういうことですか。どっちみち、注文してない請求書書くのなら初めから六五〇万円に出来なかったのかということです。

出来ません。この機械八万一五〇〇円、八〇個注文すると、これを計算するとこうなるんです。

いわゆる型枠というのは単価が八万一五〇〇円だと、それを八〇個注文したという計算になっているので、金額が六五二万円になる、だから、本来は六五〇万だけども、型枠の名を使っているので計算上は六五二万円とかいてもらった、そういうことですか。

そうです。

そうすると、あなたが有本に渡したメモには請求書の品名及び寸法、数量、単価金額欄に書いてある内容が書いてあったんですか。

そうです。

そして、また、表に戻りますと、赤鉛筆で六五〇万と書いてありますね、これは誰の字ですか。

社長です。

実際に受け取ったお金というのは六五〇万だから、名目上の六五二万円を六五〇万円にまけさしたという形でこう書いた、そういうことですか。

はい。 (八丁裏ないし九丁裏)

検察官は、請求書の金額と契約書の金額との相違は、右証言によりこのように説明できるから、請求書と契約書が別の日に作成されたことにはならないというのであろう。

一〇 しかしながら、有本は、原審第二一回、第二二回公判において、右内野の証言を裏づけるような証言を全くしていない。杉晃被告人も一〇月六日に六五〇万円と訂正したというような供述をしていない(検三二八、杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書第一七項)。更に、検察官が質問中に述べているように、本件請求書は「その表紙が青い請求書には表紙の次に白い請求書が添付されて」いる。すなわち右二枚の請求書が重ねられており、一枚目の青い請求書に丸印の中に草竹五六・九・一六、と被告会社の検印が押されており、請求金額六、五二〇、〇〇〇円が赤鉛筆で六、五〇〇、〇〇〇円と訂正されている。

被告会社に取引先業者から請求書が提出される場合、このように二枚重ねの請求書が提出され、一枚目には請求金額の合計額の金額が記載され、二枚目には請求金額の算出根拠となる品目名、単価、数量、請求金額等が記載されている。

有本工業から前記請求書もこのように提出され、その被告会社検印は昭和五六年九月一六日である。

前記検二四七号証中に綴られている、有本工業の被告会社宛ての他の請求書を見ても、その請求書検印に記載されている日付は、昭和五七年五月一六日、同年六月一九日、同年九月一七日であり、前記九月一六日という日付が右受付日とほぼ一致し、架空のものでないことがわかる。

すなわち、右六五二万円の請求書は、二枚共九月一六日に被告会社に提出されているのである。それを杉晃被告人がその頃、一枚目の青い請求書の六五二万円の請求金額を社内牽制のため、六五〇万円と、例の如く赤鉛筆で二万円の端数を削ったのである(検三四八、晴美被告人の昭和六〇年二月一一日検面調書第三項。検三二八、杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書第一七項)。そして、晴美被告人がそれを見て振替伝票を起こし、支払手形を準備しておき(検三四〇、晴美被告人の昭和六〇年一月二七日付検面調書第四項、第五項)、一〇月六日に手形で支払ったのである(検四六六)査察官調査書の四七枚目に綴られている「有本工業型第、支払手形六、五〇〇、〇〇〇円の振替伝票)。一〇月六日に杉晃被告人の面前で、メモにより二枚目の請求書の品目欄に「L型水路型枠」などと記載されたものではない。

一一 以上の点につき、杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書(検三二八)第三項ないし第五項、第一七項ないし第一八項には次のように録取されている。

三 昭和五五年に当社に先程お話した内野が入社しておりました。内野は自分は熱工学の専門家であり博士号まで持っていると言いました。それで私は、滋賀工場のセラミックの機械の発注導入などを内野にまかせることにしました。もちろん発注にあたっては、事前に内野から報告を受け、事前に了解を与えていました。私はセラミックの機械のことは、あまり判らず、すっかり内野を信用していたわけです。

四 昭和五六年秋ころ、

有本工業

との間でセラミック設備の一部である泥漿設備を購入する契約を結びました。有本工業との最初の取引であり、当社三階会議室で開かれた契約には私も出席しました。有本の社長も来ていました。その場で契約を結んだわけです。その時、有本側から手付金の支払要求がありました。それでその場で手付金を支払いました。私もその場にいましたが、誰がどのような形でいくら払ったかまでは覚えていません。

五 問 有本工業に機械を発注するにあたり、内野その他の者に有本工業に対し請求書の品目を経費で落ちる型枠にするよう頼めと指示しなかったか。

答 そのようなことは一切ありません。

問 契約の席で内野が有本の社長に品名を型枠にするよう頼んでいるのを見なかったか。

答 そのようなことは一切ありませんでした。当社と有本工業には、型枠の取引などなく、内野がそのようなことをしていることに気付けば、もちろん理由を問い正しやめさせておりました。いずれにせよ、私が内野その他の者にセラミックの機械の請求書の品名を型枠にせよと言ったことは一切ありません。

(中略)

この時、昭和五八年四月一三日付け、国税局の草竹コンクリートで押収の奈良警察署関係書類差押番号一六四の二?、有本工業の草竹コンクリート宛請求書四通及び領収証四通を示し、その写しを本調書末尾に添付することとした。(資料1)

一七 請求書の内、赤字で金額を六五〇万円と書き込んであるものがありますが、これは私の字に間違いありません。ですからこの請求書は私が見たことになります。有本工業から当社宛のものであり、セラミック設備についての請求書だと思います。請求書の明細を見ますと四通とも内容は型枠になっています。しかし、私はこの請求書の明細までは見ておらず、当時内容までは確認しておりません。

一八 問 六五〇万円もの請求書の明細を見ないのか。

答 これに限らず請求書は私のところへまわってくるもののあくまでも社内牽制のため社長もみているということを示すため検印を押したりしているわけで、これに限らず明細などをみることはまずありません。

問 これを見ると君が二万円値切りをしているが、明細も見ず値切りをするのか。

答 あくまでも社内牽制のため端数の金額を削ったりしているだけで明細まで確認はしませんし、この件についてどうして二万円少ない金額を書いているのか判りません。とにかくこの四通の請求書及び領収証については見たか見なかったかも含めて当時の様子は思い出せません。

なお、杉晃被告人は、平成五年一一月一一日第八八回公判期日において、右とほぼ同旨の供述をしている(同公判調書六丁裏ないし一二丁裏、二三丁表)。

一二 杉晃被告人が供述しているように、有本工業の請求書の請求金額を二万円値切り、赤鉛筆で端数削っているのは、他の業者からの請求書に対する値切り行為同様、社長が会社の収支に注意を払っているということを、会社内の経理関係者に見せかける社内牽制のための行為にすぎない。後記林正産業の請求書の場合も同様である(検三二八、杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書第一九項)。

また、杉晃被告人が本件有本工業からの請求書の二枚目に品目として「型枠」と記載されていることの意味に気付かなかったことは、同被告人のためにじつに惜しまれることであり、同被告人の大きな不注意であり、誤解を招く行為であったが、この点、同被告人に悪意は全く認められないのである。

前記「型枠」請求の点について一言すると、同被告人が請求書類決済日に、一時に多重の請求書類に決裁印を押していたことについては、第一四、二、3、(一)において後述する。また原判決末尾添付の修正損益計算書(一)(二)によれば、型代(型枠代金のこと)として、昭和五七年七月期に五九、五五七、二八〇円が、同五八年七月期に二四、五四七、一八〇円がそれぞれ差引修正金額として計上されている事実からみて、当時取り引き業者から真実の請求品目として頻繁に「型枠」という品目が被告会社宛請求書に記載され、型枠代金が請求されていた事実が明らかであり、このような状況のため、杉晃被告人は有本工業からの請求書の品目に「型枠」と記載されていることの意味に気付かなかったものと思われる。

一三 なお、原判決にも前記のように認定され、また、第一、二、4、(三)において述べたところであるが、原判決認定どおりならば、杉晃被告人は不正経理への協力を指示したという有本工業からの請求書記載の請求金額の端数二万円を赤鉛筆で削り値引きするという、常識的に理解できない行動をとったことになる。この点からも有本良三証言、内野正敏証言は信用できないものである。

一四 従って、被告会社が有本工業関係で型代として仮装計上した昭和五七年七月期の一、八五〇万円、同五八年七月期の六五〇万円分については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第一二 林正産業関係

一 原判決は、林正産業関係につき、二七丁表以下に、次のように判示している。

後記のとおり、林正産業は、被告会社からの注文により、スプレードライヤー用煙突、原料タンク及び鉄筋曲機を製造、納入して請求書を送付したところ、内野は、被告人杉晃の指示により、昭和五七年一月ころ、林正産業の経営者の小林正勝に対し、請求書の品目をブロック型枠等に書き換えるように依頼した。そのため、小林、同年四月ころ、スプレードライヤー用煙突一本分(代金五七〇万円)及び原料タンク二基分(代金合計一〇五〇万円)について型枠等と記載した請求書を被告会社に改めて送付し、同年六月ころ、鉄筋曲機一台分(代金二五〇万円)については、鉄筋曲機本体一基一一五万円、鉄筋曲機金型一五組、単価九万円、合計一三五万円と記載した請求書を送付した。そして、被告会社は、昭和五七年七月期において、右原料タンク二基の代金を型代に、鉄筋曲機の代金のうち一三五万円(一一五万円は機械工具として計上)を型代に仮装計上した。

(前記内野証言、滋賀工場設備調査書、小林正勝証言〔第二六回公判期日〕)

二 滋賀工場設備調査書(検四六九)によれば、原判決判示のように、林正産業が被告会社に、スプレードライヤー用煙突、原料タンク及び鉄筋曲機を納入した件につき、被告会社が右原料タンク代金等を型代に仮装計上したという事実は認められる。

また、林正産業の経営者小林正勝の原審第二六回公判証言によれば、同人に対し、内野正敏が請求書の品目を型枠等に換えてくれと依頼し、これを受けて、小林が型枠等と記載した請求書を被告会社に送付した事実も明らかである(同調書六丁以下、一三丁)。

しかしながら、内野が小林に請求書の品目を型枠等に書き換えるように依頼したのは、杉晃被告人の指示によるものではない。内野の単独の判断による行為である。この点原判決は事実を誤認している。

三 小林は内野から、型枠に書き換えるよう依頼された際の問答状況について、原審第二六回公判において、検察官の質問に対し次のように証言している。

この請求書を出す関係で、通常と違うことをした記憶はありますか。

はい、請求書を出しまして約二か月ぐらいだと思いますけれども、その後に内野さんのほうから電話で、請求書の名目を替えてくれということが連絡ありました。それでないと、ちょうど原料タンクのかさあげした分の工事もありましたので、その関係の支払もできないということを言われました。

請求書を出した二か月後というのは、一番最初の請求書を基準に言ってるんですか。

そうです。

内野さんからそう言われてあなたはどうしたんですか。

私のほうは支払を拒まれたらいけませんので、指示どおりいたしました。

請求書の書替えをしたのはどの機械の分をされたんですか。

全部だと思います。

(中略)

内野さんがあなたに頼みにきたときの言い方なんですけれども、それは内野さん自身がそう言ってきたんですか。それともほかのだれかからそういうふうな指示があってあなたに頼んできたのか、それはどういうふうな言い方ですか。

それは大分前になりますのではっきりしたことは記憶にないんですけれども、今出してる請求に対して支払ってほしければこういうふうに書替えろというふうなことだという記憶があります。だれから言われたとかどうしてかということは一切なかったと思います。私の推測では、内野さんが会社からそういうふうに命令されたんだなというふうにとりました。

会社からというのは具体的にはどういう意味ですか。

会社、即ち社長じゃないですか。

内野さん自身が社長からそういうふうに言われたというふうな言い方はしませんでしたか。

ということはなかったです。

あなたが当然社長のほうから言われとるんだろうと思ったということですか。

そうです。 (一三丁)

すなわち、請求品目の書き換えについて、内野自身も小林に対し、杉晃被告人に指示されたとは言っていないのであり、小林が一方的にそのように推測したにすぎないのである。

四 内野正敏は、原審第二三回公判において、杉晃被告人から林正産業に対して金型で請求書させるようにせよ、と言われてその旨林正産業に指示した旨証言しているが(一四丁裏ないし二〇丁)、内野の証言が信用できないことは有本工業関係において前述した(第一一、七、八)。

このように内野証言が信用できないものである以上、小林の右証言があったからといって杉晃被告人の指示があったと認定することはできない。

五 杉晃被告人が内野に対し、型枠に書き換えるようにとの指示などしていないことについては、同被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書(検三二八)第六項、第七項には、次のように記載されている。

その後、セラミックの機械を

林正産業

有本鉄工

チトセ

中部熱工業

バーナー技術センター

などやその他の会社から次々と購入しました。

もちろん購入にあたっては内野からどの会社からどのようなものを買うか説明を受けておりました。林正産業からはスプレードライヤーなどを、有本鉄工からは原料タンク、攪拌タンクなどを買いました。もちろんセラミック設備用機械を買った会社と当社の間に型枠の取引など一切なく、そのことはセラミックの機械を買った当時からよく知っておりました。

これら会社から買った機械が、昭和五七年七月期の当社の決算では、すべて経費で落ちる型枠として計上されておりました。本来資産計上すべきものを、経費で落ちる型枠代として処理していたわけですが、お話したとおり、私がこのことを知ったのは、昭和五九年四月三日以降のことであり、それまでそのようなことは全く知らず、そのようなことを聞いたこともありませんでした。

問 林正産業の正規の請求書が届いたところ、君は内野に品名を型枠に書き換えるよう頼めと言ったことはないか。

答 そのようなことは一切ありません。林正に限らず型枠の取引などないセラミック設備購入関係の会社からの請求書を型枠にしてもらうようしろと私が言うはずがありません。このようにして順次機械をそろえていきました。

六 なお、当時被告会社に型代が頻繁に請求されていたことについては、有本工業関係で前述した(第一一、一二)。

七 また、第一、二、(四)において述べたところであるが、原判決認定どおりならば、杉晃被告人は不正経理への協力を指示したという林正産業からの請求書記載の請求金額の端数を、二回にわたり赤鉛筆で訂正し、値切るという前後矛盾する行動をとっていることになる。この点からも内野証言は信用できないものであるといえよう。

八 内野正敏が、林正産業の経営者小林正勝に対し、請求書の品目を型枠等に書き換えるよう依頼したのは、杉晃被告人の指示によるものと、認めるに足りる証拠はなく、原判決は事実を誤認したものである。

九 従って、被告会社が林正産業関係で型代等に仮装計上した昭和五七年七月期の一、一八二万五、〇〇〇円については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第一三 有本鉄工関係

一 原判決は、有本鉄工関係につき、二八丁裏以下に、次のように判示している。

後記のとおり、有本鉄工も、昭和五七年五月に被告会社から発注されたセラミック機械設備を製造、納入して、同年六月に請求書を送付したところ、内野は、被告人杉晃の指示により、有本鉄工代表取締役の有本幸弘に対し、ブローカーの加藤茂を介して請求書の内容を型枠代と記載して再発行してほしい旨依頼し、これを受けて有本幸弘は、その趣旨に従った請求書を作成して加藤に交付した。そして、被告会社は型枠代金として支払い、昭和五七年七月期において右代金を型代として仮装計上した。

(前記内野証言、滋賀工場設備調査書、有本幸弘の質問てん末書〔検188〕、加藤茂証言〔第五〇回公判期日〕)

二 滋賀工場設備調査書(検四六九)によれば、原判決判示のように、有本鉄工が、被告会社にセラミック機械設備を納入した件につき、被告会社が右設備代金を型枠代に架装計上したという事実は明らかである。

また、有本鉄工代表取締役有本幸弘の質問てん末書(検一八八)及び加藤茂証言(原審第五〇回公判調書四丁裏ないし七丁)によれば、有本に対し、内野正敏の指示を受けた、ブローカーの加藤茂が、請求書の内容を型代と記載して再発行してほしい旨依頼し、これを受けて有本が型枠と記載した請求書を書いて加藤に交付したという事実も明らかである。

三 しかしながら、有本に前記依頼をした加藤に対し内野が右指示を与えたのは、杉晃被告人の指示によるものではない。内野の単独の判断による行為である。この点原判決は事実を誤認している。

この点について、以下述べることとする。

四 まず、有本幸弘の前記質問てん末書には、次のように録取されている。

加藤はブローカーであり、会社の社員でないことから、会社社長と取引の話をしたいと言ったのですが、加藤は「私は社長の遠い親戚である、社長は多忙で会えない。」との言葉から、当社は加藤を窓口に会社と取引したものです(問五)

(中略)

二 昭和五七年七月初、当社に加藤が来て「請求書の内容を型代と書いて再発行してほしい。」と依頼してきた……(問七)。

(中略)

二 昭和五七年九月九日当社の資金繰が悪化したので、会社に行き内野に少し早いが支払ってほしい旨頼んだ。しかし、内野は「支払日は二五日であり社長に頼んでも払ってくれることはない。あなたの会社が死のうが、うちには関係ない。」と言って冷たく断られました(問七)。

(中略)

問八 前問で述べられた取引に関して、加藤等にリベートを支払っていますか。

答 <1>のセラミック原料タンク二基一八、一五〇、〇〇〇円に関しては、昭和五七年六月初め加藤に一、七五〇、〇〇〇円のリベートを支払いました。加藤はブローカーであり、取引金額の一割程なら通常ですから、この時は深く考えずに支払いました。

<2>の攪拌タンク三基一〇、〇〇〇、〇〇〇円に関しては、受注のとき四、六〇〇、〇〇〇円上乗せして、これをリベートとして支払うよう加藤に指示されました。

そこで「こんなに上乗せしても、会社が支払ってくれるのか。」と加藤に言ったところ加藤は「私は親戚であり、いいから上乗せしてくれ。」と言われたので、注文書のとおり、一〇、〇〇〇、〇〇〇円で受注し、昭和五七年八月初め加藤に四、六〇〇、〇〇〇円(但し、利息を差引いたが金額の記憶はない。)のリベートを支払いました。

問九 前問までに述べられた会社との取引について社長や、内野等から不服を言われましたか。

答 先に申しましたとおり、社長に会ったことはなく、当社が会社に納めた、

イ原料タンク二基

ロ攪拌タンク三基

に関して製品が不良であるとか、金額が高いとかの不服を社長や、内野から言われたことは一度もありません。

すなわち、加藤が有本に対し請求書の内容を型代と書いて再発行してほしいと依頼していること、また加藤も内野も、有本を杉晃社長に会わせないようにしており、有本は杉晃社長に会ったことはないという事実が認められる。

五 次に加藤茂は原審第五〇回公判期日において、次のように証言している。

証人は現在不二電子株式会社の社員として勤務しておられるわけですね。

はい。

その会社は、三重県の伊勢のほうにある会社ですか。

そうです。

証人は昭和五九年一一月二六日に懲役二年六月の判決を受けたということがありましたね。

はい。

その事件が昭和五七年頃の草竹コンクリート工業に絡むサンユー機械産業株式会社に対するリベート名下の詐欺事件ということでしたか。

はい。

そして、出所したのがいつ頃になりますか。

六一年の六月でした。

それからは現在の会社で勤めているということですか。

はい、そうです。

(中略)

ところが有本鉄工のほうには別の形での請求書を草竹コンクリート工業のほうに回してくれと、そういうような関係の話で何か覚えておられることありますか。

それは納品した後で、大分期間は忘れましたですけれども、後でこれの型枠に切り替えてくれと、そういう内野からの指示で、伝票の書き換えは私が内野に頼まれて有本さんに頼んだことあります。(四丁裏)

(中略)

その自宅で昭和五七年の夏からそれほど離れていない時に、内野にどういうことを頼まれましたか。

この有本さんの件に関しては、草竹さんの滋賀工場の設備が一応固定資産税が掛かるんで、型枠に金額をこう書き換えてくれということでした。

原料タンクそのもので請求されると、固定資産となってしまうわけですか。

はい。そういうことで、型枠でしたら消耗品として出来るからということで、内野から話を聞きました。 (五丁裏)

(中略)

でも、それを型枠にするには、具体的にどんな型枠で、値段がいくらの分という形でなければ分かりませんね。

はい。

そういう指示まで内野からは受けたんですか。

はい。内訳は、その当時多分私がちょっと記憶薄れましたけども、具体的には内野のそういう何かメモ的なものをもらって、型枠の名称とかそういうので金額の割り振りは内野からもらったと思います。

あなたが適当に考えて、型枠いくらの分ということで有本鉄工に頼んだということじゃないわけですか。

そうです。

内野に細かい額とか製品名も指示されて、そのメモにもとづいて有本鉄工に頼んだということですか。

そうです。

実際にそういう消耗品の型枠に書き換えろという指示なんですけれども、これは誰から出ているというような話も内野はしてましたか。

内野としては、いつも社長から指示を仰いでいるということは聞いていました。

消耗品に書き換えろというのも社長の指示で、それをあなたに伝えたという話もしてたわけですか。

はい。 (六丁裏ないし七丁表)

(中略)

あなたの調書を見たら、バックリベートだけで約五千万ほどもらっている。

はい。

だから、発注金額は倍ぐらいの金額じゃなかった?

………。

バックリベートが大体五千万近くチトセからもらったということはあなたの調書に載っているんだけど。

はい。

(中略)

サンユー機械産業、ここには熱風発生炉とか空気輸送コンベアーなんかも発注してましたね。

はい。

そこからはリベート、なんぼもらいましたか。

………。

四一五〇万のリベートもらったとあなたの調書に載っているんだけど。

はい。

ここの発注金額はどれぐらいだったか。

ちょっと記憶はありません。

それで、中に入っている人が機械を発注したら、リベートというのかマージンというのか、用語は別にしてなにがしかのマージンをもらうのはこれは仕事として当然かも知れないけれども、あなたが内野さんと一緒に有本鉄工とかチトセとかサンユーからもらっていたリベートは、これはこの業界から見たらどうなんですか。正常なリベートなんですか。異常なんですか。

今回私等もこの件に関しては金額が大きかったけれども、少額でしたら大体慣例と言いますか、そういうことはありました。

発注金額の半分ぐらいリベートでもらって、しかも製品が出来てお金を払ってそこからもらうんじゃなしに、先取りするなんて、こんなことはないことでしょう。

はい。

ないことだから、詐欺事件という刑事事件になったんだね。

はあ。 (一九丁裏ないし二〇丁表)

(中略)

それで裏金がいるんだと、だからこのリベートは社長の所に行くんだと、裏金がいるから先に欲しいというふうに説明してませんでしたか。

ええ、内野からそういうふうに言うて業者からもらってくれというふうに言ってました。

有本もチトセもサンユーもそうですけどね。内野さんは社長と有本鉄工、チトセ、サンユーの社長が直接に会わないようにいろいろ工作しているんでしょう。

はい。

これは会ったらすぐばれてしまうからと違うんですか。

………とにかく会う会わんということは私はちょっとあれなんですけど、業者自体が社長には直接会わすというようなことはしませんでした。

それは会われたら具合が悪いから、話が出たら一発に分かってしまうね。

はい。 (二三丁表)

(中略)

内野は、あなたにどない言うていましたか。

社長自体も脱税行為をしているんやからということは、言うておりました。

仮に会社にばれても、会社はこのことで告訴したりは、ようせえへんという趣旨のことは言うていませんでしたか。

そういう意味のことは言うていました。 (二四丁裏)

(中略)

この社長命令ということについて、あなたは内野さん以外の人から、社長が内野に命令して原料タンクを型枠に、あるいは、ほかの設備を型枠にというふうに社長が命令しているんやということを内野さん以外の人から、あなたは聞いたことはありますか。

ありません。

ない。

はい。

そうすると、あなたが言うておられるのは、内野さんから聞いたことを言うておられるんですね。

そうです。 (二七丁)

(中略)

あなたは、五九年一一月三〇日に、刑事事件の後で今回の草竹さんの脱税事件について、検察官から調べを受けたときに、このように言うてはるんです。請求書を型枠に書き換えたのは、だれの考えによるか、これは社長の考えやと思うと、その理由として、内野自身がそんなことをしたところで、何の利益もないからやと、こういうふうに言うてはるんですけれども、内野さんについては何の利益もないことですか、今考えてみたら。仮に、仮定の話ですが、あなたが社長命令だという内野さんの言葉を信じた理由として、そんなことをしたって、内野には利益はないと、こういうふうに言うてはるんやけれども、内野は片方で滋賀のセラミック設備の関係で、巨額のリベートを取っていましたね。

はい。

そういう状況の中で、仮に内野が社長の指示命令がないにもかかわらず、こういうことをしておった場合、内野に利益はないですか。

一種の内野のやった行為に対して、ばれた場合に社長に怒られないというか、そういう格好になるんと違いますか。

そういうことも考えられますね。

はい。

あなたのおっしゃったのは、こういうふうに考えてよろしいですか。さっき内野から爆弾という言葉を聞いたと、こういうことですね。

はい。

内野が社長から命令がないのに、指示がないのに、設備を型枠として内野自身の考えでやっていた場合、それが爆弾になり得るんと違うかということです。そういう意味で今おっしゃったんでしょう。

………。

あなた自身は、今の時点で社長命令で設備を型枠に書き換えて請求してくれというふうに内野が言った言葉は、今の時点では、あなたは信用できますか。疑問がありますか。

当時としては、真実性があったと思います。

当時はね。

はい。

今から考えてみたら、どうですか。

一番私としては困ることは、内野の人間性そのものが何とも分からん人物ですので、確信はありません。

それは、どちらとも言えないということですか。

はい、その当時は確かに私自体もそういうふうに思いました。 (二七丁裏ないし二九丁表)

(中略)

それは、だれの指示に基づくものかは分からないということですか。

一応社長の指示であったということです。

内野自身が考えたことであっても、不思議じゃないんじゃないの。

それは言えます、内野自体のそういう人物的なことから言えば。

こともあり得ると。

はい。 (三二丁表)

すなわち、以下は先きに有本工業関係でも、一部記したことであるが、加藤は内野から指示され、有本がセラミック機械設備を納入した後、同人に対し、内野から渡されたメモに基づき請求書の内容を消耗品である型枠に切り替えてくれと頼んだこと、このことにつき内野は杉晃被告人の指示、命令を仰いでいると言っていたこと、しかし杉晃被告人がこのような指示、命令を内野に与えているということを内野以外から聞いたことはないこと、すなわち、杉晃被告人から直接に聞いてはいないこと、内野は杉晃被告人が有本鉄工の社長らと直接会わないようにいろいろ工作をしていたこと、内野が有本鉄工、チトセ工業、サンユー機械産業からバックリベートをもらっていたこと、加藤はバックリベートをチトセ工業から五千万円近く、サンユー機械産業から四、一五〇万円をそれぞれもらっていたこと、内野はこのことが、被告会社にばれても、会社はこのことで告訴したりはようせえへんという趣旨のことを言っていたこと、すなわち、内野がセラミック設備の納入につき、請求書を型枠に書き換えてくれるよう業者に依頼することにつき、内野自身に利益がないことはなく、前記バックリベートを受け取っていることが杉晃被告人にばれた場合、杉晃被告人に罪をなすりつけて、脱税行為をしているではないかと脅かす爆弾にする利益があること等の事実が明らかとなっている。請求書を型枠と書き換えさせたのは、内野の単独の判断による行為であると認めうる十分な理由が存在するのである。

六 内野正敏は、原審第二三回公判において、杉晃被告人から、有本鉄工に対しても金型で請求させるようにせよと言われて、その旨加藤に指示した旨証言しているが(二一丁裏ないし二三丁)、内野の証言に信用性がないことについては、有本工業関係において前述した。

七 また杉晃被告人が内野に対し、型枠に書き換えるようにとの指示などしていないことについては、林正産業関係において引用した杉晃被告人の昭和六〇年二月一一日付検面調書記載のとおりである。

八 このようにして、内野正敏が有本鉄工代表取締役有本幸弘に対し、ブローカーの加藤茂を介して、請求書の内容を型枠代と記載させたという事実は認められるが、これが杉晃被告人の指示によるものであると認めることのできる証拠はなく、これは、内野の単独の判断、内野自身の利益に基く打算的行為と認められ、原判決は事実を誤認したものである。

九 なお、当時、被告会社に型代が頻繁に請求されていたことについては、有本工業関係で前述した(第一一、一二)。

一〇 従って、被告会社が有本鉄工関係で型代に仮装計上した昭和五七年七月期の一、五〇〇万円については、杉晃被告人に法人税ほ脱の犯意は認められない。

第一四 「被告人杉晃の指示によるコンピュータ使用の中止等」について

一 原判決は、「被告人杉晃の指示によるコンピュータ使用の中止等」として、二八丁表以下に、次のように判示している。

(1) 被告会社は、昭和五四年九月ころから五年間のリース契約により経理事務にコンピュータを導入し、被告会社用に開発されたソフトを使用して売掛・買掛業務、販売管理、人事給与業務などを行っていたところ、前回の査察の際、九州工場において、被告会社の売上高が記載された資料が発見され、売上除外が発覚したことから、被告人杉晃の指示により、昭和五七年一月からコンピュータによる前記の業務管理は廃止されるに至った(なお、九州工場長の出雲昭徳は、被告会社の秘密を漏らしたとして始末書提出、工場長手当て削減の処分を受け、吉田善弘庶務課長も同様の理由で始末書提出、給与減額の処分を受けた。)。

(証人出雲昭徳に対する受命裁判官の尋問調書、同人の検察官調書〔検489〕、吉田善弘の昭和六〇年二月四日付検察官調書〔検452〕、山本武の同月一〇日付検察官調書〔検456〕、被告人杉晃の同月九日付検察官調書〔検326〕)

(2) 被告会社においては、従前、部長会議で毎月の売上高等の報告がなされ、被告人杉晃が受注目標額等を指示していたが、前回の査察を契機として、同被告人は、「社外の者に見られてはいけない。」と言って、昭和五六年一〇月の部長会議から、売上高等は具体的な数字を出さず、受注目標額の何パーセント達成という形の報告をするように改めた。

(山本武の昭和六〇年二月四日付検察官調書〔検455〕、部長会議議事録一綴〔昭和六〇年押第二二号の47〕)

二 前掲原判示(1)(2)の各事実は被告会社の売上高を隠蔽し、脱税の発覚防止などを意図してなされたものではない。

三 原判示(1)の事実中、「昭和五七年一月からコンピュータによる前記の業務管理は廃止されるに至った」のは、「九州工場において、被告会社の売上高が記載された資料が発見され、売上除外が発覚したことから、被告人杉晃の指示による」とあるが、このような事情から前記の業務管理が廃止されるに至ったのではない。このように認定した原判決は事実を誤認したものである。

そこで、原判決掲記の各証拠の証明力等について以下検討したい。

四 出雲昭徳の検面調書(検四八九)について

右調書第七項には、コンピュータによる業務管理廃止の理由として次のように録取されている。

私は、そのころに急にやり方を変える必要もないと思われましたから、草竹社長が売上高を金額で発表しなくなったり、コンピューターを廃止するようになったのは、正確な売上高をあとに残るような形にしないためだと思いました。もし、その後は正しく税金の申告をする気であれば、何も売上高を隠すようなまねをしなくて良いのですから、草竹社長は、再び税金逃れのために売上の一部を外すつもりだと思いました。

それで、私は

一度摘発を受けているのに、また性懲りもなく脱税をする気でいるのだな。

と思いました。

このように思ったのは、私一人ではなく、部長会議に出席した他の者も同様に思ったと思いますが、草竹社長は、いわゆるワンマン社長で、従業員の扱いも厳しく、ノルマを果たせないとすぐ給料を下げたりする人ですから、誰もなかなか思っていることを口には出せませんでした。そのため、私もそのことについて、他の者と直接話し合ったことはありませんでした。

また、直接売上の一部を除いているかどうかを確認したことはありませんでした。

前掲録取事実によると、出雲はあれこれ具体的にコンピュータ廃止の理由を挙げているが、そこに挙げていることは、すべて同人が「………と思いました」とされているように、右理由はすべて出雲の推測したことにすぎない。しかも出雲はコンピュータ廃止について、部長会議出席者中の他の者と直接話し合ったことはなかったと言う。

コンピュータ廃止の理由について、出雲は当時これだけ具体的に考えたという。しかしこのことは九州工場長である同人にとっても、会社業務運営上の重大事項の変更、廃止である。これについて部長会議出席者中、出雲を含め誰一人、当時も後日においても、そのことに関して意見、感想を述べず、出雲も話し合ったことはないという。出雲が廃止理由を具体的に推測していたにしては、いかにも不自然であり、ひいては前記推測した理由なるものは、出雲が真実供述したものではなく、取調検察官の予断に基づく誘導、誤導によるものではなかろうかという疑いを払拭することができない。

五 出雲昭徳の受命裁判官の尋問調書について

出雲は、昭和五七年七月末に被告会社を退職した後、平成三年二月四日、検察官及び弁護人からコンピュータ廃止の理由等について質問されても、これにつき納得のいく証言ができないのみならず、廃止の理由は当時分かってはいなかったと思う、とまで答えている。すなわち、

当時なんですけれども、そういうふうに売上高とかについての発表が、脱税の摘発があってから達成率に変わってしまったと。それからコンピューターもそれと前後して廃止になってしまったということで、社長がまた脱税してるんじゃないかと思ったというふうにおっしゃってるんですけれども、そう思われたという記憶はないですか。(検察官)

私が言っておりますか。

言ってますが。

ちょっと今は確信持っては言えません。

それは年数がたったからということですか。

ですね。

そうおっしゃってるんだったら、その当時はそういう感情ないし思いを持たれたということですか。

ちょっと分かりません。 (七丁)

(中略)

昭和六〇年当時、検察庁に調べられたときのことになるんですけど、コンピューターで処理されておったのが廃止されるようになったという事実は、当然はっきりと記憶にあったと思うんですけれども、なぜ、コンピューターを使わなくなったかということについて、調べを受けた当時、あなたが分かっていたのかどうか、その点はどうですか。(弁護人)

分かってはいなかったと思います。 (一三丁表)

出雲は、被告会社を退職後、右証言時まで八年余経過し、しかも、証言時は福岡県に居住していて、被告人らと利害関係が全くなくなっており、被告人らに不利益な事実の証言を特に避ける事情はないにもかかわらず、前記のように証言しているのである。コンピュータ廃止の理由について推測した理由しか録取されていない、前記検面調書の録取内容と併せ考えると、右証言が時間の経過による記憶の希薄化によるものとは到底考えられず、出雲の検面調書に録取されている前記理由は信用することができない。

六 吉田善弘の昭和六〇年二月四日付検面調書(検四五二)について

右検面調書第二項には、コンピューター廃止の理由等について、次のように具体的に録取されている。

問 どうしてコンピューターを廃止したのか。

答 コンピューターは処理した資料を倉庫に保管していたのですが、過去の売上を調べる際、必要部分を捜し出すのに手間取り、不便であったので社内でも評判が悪かったのです。

それに、新製品が増えて行くのにコンピューターの容量が小さいため、処理しきれなくなったことも理由のひとつでした。

コンピューターを廃止したのは、このふたつの理由からで、ほかに理由はありません。

問 コンピューターであれば、売上の資料が全て残り、正確な売上高が把握されるので、廃止したのではないのか。

答 その点、私には分かりません。廃止を決めたのは、草竹社長です。私としては先程述べた理由からと思っておりました。

更に、吉田善弘は、第六五回公判期日において、自己の体験も交え、次のように一層具体的に証言している。

そうすると、コンピューターの使用廃止が行われたのは、証人の知っている範囲ではどういう理由ですか。(弁護人)

コンピューターは本社に一台あっただけですので、各工場に端末も置けませんでした。また、容量も能力も小さかったんで、買掛金や給与の入力などもできませんでした。それと、さきほど言ったように各工場では、今までと同じ手書きとは別に、コンピューターのための作業が増えたということで不平が出てきましたし、営業からは仮名ばかりで読みづらいとか、お客さんからも見にくいという不評があるというようなことも出てきました。それで、コンピューターを中止することになりました。

各工場にも、コンピューターの端末があったんですか。

いいえ、本社に一台あったんです。

そういうようなコンピューターは不便だとか、いろいろの苦情が下のほうから出てきたんですか。

はい、そうです。

証人は、コンピューターを操作したことがありましたか。

はい、ありました。

そのような苦情に対して、どう思いましたか。

確かに本社に一台あるだけですので、お客さんから電話がかかってきて、今この商品はいくらあるのかというようなことを聞かれたときでも、コンピューターをさっと見ることができなかったわけです。ですから、今までとまったく同じ手書きで製品の在庫帳をつけたり、出荷伝票も手書きで記入したりしていました。それが全部二重になっていました。出荷伝票などは、翌日に本社でコンピューターの中へ入力して、コンピューターからまた納品書、出荷伝票を必要としていましたので、これは本当に二重になっていました。 (二四丁裏ないし二五丁裏)

即ち、コンピューターにつき、前記原判決は「買掛業務」、「人事給与業務」等を行っていたと認定しているが、右吉田証言により明らかなように、「容量も能力も小さかったので、買掛金や給与の入力業務などもでき」なかったのである。

七 山本武の昭和六〇年二月一〇日付検面調書(検四五六)第三項には、次のように録取されている。

五六年一一月二七日の部長会で社長からコンピューターの使用をやめるという話しがありました。

(中略)

問 社長がコンピューターの使用をやめると言ったときに部長の出席者から会議の終わったあと社長に引続きコンピューターを使用していきたいという話しはなかったか。

答 そんな話しは聞いていません。

問 社長がその際コンピューターを使っているとテープを取られたら仕舞やないかと言ったことを聞かなかったか。

答 聞いていません。

更に、山本武は第六八回公判期日において、前記検面調書の記載内容について次のように補充している。それから「五六年一一月二七日の議事録で社長が一二月からコンピューターの使用をやめると発言した」ということで、検察官調書では、「その時、他の部長がどのような反応を示したのか記憶にありません。」とか、検察官請求番号二一三号の二月一〇日付の検察官調書の三丁表の所に、コンピューターを使用していきたいという話は部長会議の出席者の中からなかったのかというのに対して、「そんな話しは聞いていません。」とありますけれども、コンピューターの使用をやめるということについて、部長会の出席者は反対していたんですか。賛成していたんですか。(弁護人)

賛成しておりました。

それは、社長の命令でそうなったんですか。それとも、部長とか会社内部の人たちの意見で、そうなったんですか。

内部の意見です。

だから、社長がコンピューター廃止と言っても、他の部長たちがそれに対して反応を示すというようなこと、あるいは反対意見を述べるということはないわけですね。

そうですね。 (三四丁裏ないし三五丁裏)

八 杉晃被告人の昭和六〇年二月九日付検面調書(検三二六)第一二項には、コンピュータを使わないようになった理由について、使い勝手が悪かったこと、故障があったと聞いたこと、データを入力するのに手間がかかりかえって不便であるという関係者の話があったから、各関係者からいろいろ意見を聞き、会社の者とも相談して廃止した旨録取されている。

また、杉晃被告人は、原審第八八回公判において、コンピューター廃止の理由については、ほぼ右と同旨の供述をしている(同公判調書五〇丁以下)。

九 以上によって、コンピュータの廃止は、売上高隠蔽というような不正目的によるものではなく、買掛金や給与の入力業務もできなかったこと、また、能率的に会社業務を運営するという、合理的な目的から出たものであることが分かる。

原判決の前記判示は事実を誤認したものである。

一〇 次に、前掲原示2につき、部長会議議事録一綴(昭和六〇年押第二二号の四七)によれば、昭和五六年一〇月の部長会議から、被告会社の毎月の売上高は具体的な数字を出さず、受注目標額の何パーセント達成という形の報告をするように改められたことは明らかであるが、これは前回の査察を契機として、杉晃被告人が「社外の者に見られてはいけない」と言って改めたというような事情からではない。

原判決掲示の証拠から、右のような事実を認定した原判決は、事実を誤認したものである。更に、杉晃被告人が「社外の者に見られてはいけない」と発言したというような事実は、前記証拠のどこにも記載されていない。

一一 売上高について具体的な数字を示さず、受注目標額の何パーセント達成という報告形式に改められた理由について、出雲昭徳の検面調書に録取されている内容は前記四、に引用したとおりであり、同所で述べたように出雲の単なる推測した理由にすぎず、検面調書に録取されている理由は、これを信用することができない。

一二 原判決掲記の山本武の昭和六〇年二月四日付検面調書(検四五五)第三項には、議事録の記載についてそれがパーセントに改められた理由について次のように録取されている。すなわち、

ただ今議事録を見ると税務調査をうける前の五六年九月二八日までの会議では社長が受注目標額や売上目標額を金額で指示しています。ところが税務調査後の五六年一〇月二七日以降の部長会では社長が金額を出さずにパーセントだけを言っています。社長の発言が金額からパーセントに変わった理由は判りません。

山本武は、第六八回公判期日において、パーセントに改めた理由について、次のように具体的な理由をあげて証言している。

もともとは数字でいっておったのをパーセントに変えたについてはどういう事情があったのか、記憶ありますか。(弁護人)

それは苦情が出たということです。今までは金額で発表しておりましたけれども、そういう金額で発表することによって、数字の上がる所はいいんですけれども、数字の上がらない過疎地とかいろいろなハンデがございますので、そういうところについては不公平というようなことで苦情が出ておったと。それとまた、会議まで二日間しか日にちがございませんでしたので、正確な数字がでなかったという意味においても、パーセントで目標の達成率を書こうやないかということでそうさせていただいたんですけれども。

そういう不満というのはいつごろ出てきたんですか。

こういうふうに変える一年ぐらい前からだと思いますけれども。

しかし、すぐに実行しないで、この時期になったというのは何か事情ありますか。

事業年度の株主総会があった後、宴会というか、懇親会がございますので、その席で私らとか吉田君とかがそういう営業の者から殺生やないかとか、いろんな話がありまして、それやったらもう次回から変えようやないかということで変えさせていただいたんですけれども。

(一〇丁裏ないし一一丁裏)

また、山本は右公判期日において、検面調書に「社長の発言が金額からパーセントに変わった理由は判りません」と録取されていることにつき、取調検察官にはその理由を具体的に挙げて説明したこと、また杉晃社長の話の趣旨とか理由について分からないことがあった場合に、理由も聞かずにそのままに過ごしているようなことはない旨証言しており(二七丁裏、二八丁表、三三丁裏、三四丁)、この点検面調書の記載は正確さを欠いている。

一三 また、吉田善弘は、第六五回公判期日において、部長会議議事録(昭和六〇年押第二二号符号四七)の記載について説明し、同議事録に記載されている「売上目標」の数字は本当の実質的な「売上金額」が記載される場合の外、「売上概算額」あるいは「売上目標額」が記載されるにすぎない場合があること、半分ぐらいは本当の売上高、出荷高の計算ができなかったことを明らかにしている(右公判調書三丁、四丁、五丁表)。すなわち、部長会議議事録に「売上目標」の具体的数字を記載しても、真実の売上高は判明しないのであり、右記載から税務当局に売上除外の金額を発見されるようなことにはならないのである。

次に吉田証人は、売上の金額がパーセントで発表されるようになった理由、そのメリットについて、原審第六五回公判において次のように証言している。

このように五六年の一〇月二七日を境にして、売上げの金額がパーセントで発表されるようになっているんですけれども、この理由について証人は知っていますか。(弁護人)

はい。

どういうことが理由で、このようになったんですか。

ちょうど、この変更する一年ほど前から、営業担当者から金額で発表しては不公平だという苦情が出てきたんです。

金額で発表されれば売上金額がきちっと出るんだから、不公平だとは思えないんだけれども、どうして不公平になるんですか。

奈良や京都などのところは、金額が大きくなります。ところが、九州では金額が小さいですので、受注に努力したという状況が、そのまま表せないということなんです。たとえば、奈良で目標額が五〇〇〇万として、九州で目標額が二〇〇〇万として、もし、九州で一〇〇〇万受注したと。奈良で五〇〇〇万のうち二〇〇〇万を受注したとしたら、金額で表示すると奈良の担当者は二〇〇〇万の受注獲得だと。九州は一〇〇〇万だということになってくるんです。ところが、これをパーセントで表示すると奈良は四〇パーセント、九州は五〇パーセントということになりますので、受注の努力をした甲斐がでてくるということでパーセントになったんです。

金額の多寡よりもパーセントを出したほうが、努力の結果が表れるというふうに考えられたわけですね。

はい、そうです。

本当に、そういう苦情が九州などのほうから出たんですか。

はい、不公平だということで、九州では営業担当者が退職された場合もありました。

不公平だから退職したとはどういうことですか。

受注に努力した結果が数字に出てこないということです。

そういうような苦情みたいなものが出たのは、さっき言われたように変更する一年ぐらい前というと、昭和五五年の末ごろからということになるんですか。

はい。 (一九丁表ないし二〇丁裏)

一四 この点につき、杉晃被告人は原審第八八回公判期日において次のように供述している。

部長会議でそれぞれの売上げにつきまして各担当ごとに売上げの成績を毎月数字で発表しておったのをパーセントに替えたということがありましたか。(弁護人)

はい。

それはいつごろのことですか。

時期的にははっきりしません。

前の査察を基準にすれば、それより前か後か分かりませんか。

………その前後やったと思いますけど、ちょっと後ぐらいか………。

査察よりも後だというのははっきり言えますか。前後というのは前か後か分からんということですか。

はい。

それはどういうことからですか。

それは営業担当者が、地域によっては非常に金額的に上がる地域と、努力しても上がらない地域があるわけです。だから営業の実際の担当からいえば、いくら努力しても金額が上がらないと。

まあいえば余り努力しなくても金額が上がる人もいると。それは非常に不公平じゃないかと。だから努力したことが表現できるパーセンテージにしてもらいたいというような意見が出て、そして営業会議、部長会議とあるんですけれども、その過程で出たように思います。

そういうパーセントに替えてほしいという声は、あなたの耳にも届いておったわけですか。

なんか大分以前からあったようです。

それを決めたのはあなたが決めたんですか。

いえ、それはやはり部長会議です。

営業会議というのもありますね。

はい、あります。

営業会議でも同じようにパーセントに替えておったんでしょうか。

そこまではちょっと分かりません。

あなた自身は数字からパーセントに替えるべきであるとか、替えないほうがいいとか、なんか意見はあったんですか。

私自身の意見じゃなしに、皆さんの意見でそのようになったと思います。

あなたは何か意見を持ってたのですか。特に意見はなかったのですか。

やはり皆さんが分かりやすいということであれば、そのほうがやはり言うておられることの筋が通っていると思って。

それでいいんじゃないかと。

はい、それでいいと思います。

あなたは取調べのときには検察庁では、前に査察を受けたのでコンピュータを廃止し、それから売上げについては国税局に知られないように数字で公表しないでパーセントで発表するようにしたん違うかとか、そういう追及を受けたんじゃないですか。

そういう追及というか、なんでそういうことを聞かれるのかなというような感じで、聞かれておったという記憶はありますけれども、なぜそういうことを聞かれるのか、私には分かりませんでした。 (五三丁裏ないし五五丁裏)

このようにパーセントで出すように改めたのは、あまり努力をしなくても受注額の高い地域と、努力をしても受注額の低い地域との格差が大きいため、営業担当者間で不公平感が強まり不満が出たため、目標達成率の報告に変更し、営業担当者の志気向上を図り、その努力状況を明確化するための方法なのである。

しかも、前掲「部長会議議事録」を検討すると、昭和五六年九月までは、単に受注目標、売上目標などが記載されているにすぎないのに、同年一一月、一二月以降の議事録になると、受注、出荷状況をパーセントで発表し、しかも班別、個人別に集金率、現金入金率を発表するなど、より詳細になっている。しかも部長会議に出席するメンバーは、各人のノルマを知っているので、その達成率が分かれば全体及び各人の売上金額も分かるのである(吉田善弘証人の原審第六五回公判調書一八丁、二二丁裏ないし二三丁表、同第六六回公判調書四丁表)。

一五 以上述べたことから明らかなように、被告会社がコンピュータを廃止したこと、また売上高を受注目標額の何パーセント達成という記載に改めたのは、効率的に会社業務を運営していくという目的から出たものであり、売上除外の発覚を防止するためというような姑息な理由によるものではない。

そのような理由を、さしたる根拠もないのに杉晃被告人の指示によるものと、具体的に推測したように録取されている、前記出雲昭徳の検面調書の記載は、前記関係者の廃止理由についての具体的理由を明らかにしている供述調書の記載及び公判証言を併せ考えると、検察官の杉晃被告人の行動に対する予断、偏見に基づく誘導、誤導尋問の結果、「………と思いました」という、これという根拠のない推測事項の記載として録取されたものとしか考えられず、信用することができない。

このようにして、前記証拠から前記判示事実を認定した原判決は事実を誤認したものである。

第一五 杉晃被告人の売上除外に関する故意について

一 原判決は、杉晃被告人の「売上除外」等に関する犯意及び晴美被告人との共謀等について、一九丁ないし二〇丁に判示している。しかしながら、右売上除外は、晴美被告人が杉晃被告人に無断で行ったことであって、杉晃被告人の関知しないことであり、この点原判決は事実を誤認したものである。

原判決の判示は次のとおりである。

被告人杉晃の犯意等について

右認定の事実によれば、被告人杉晃に昭和五七年七月期及び昭和五八年七月期の法人税ほ脱の犯意及びこれについて被告人晴美との間に共謀があったことは明らかであるが、被告人杉晃は、売上除外、個人経費の会社経費への付け込み等の所得隠匿工作は、被告人晴美が、被告人杉晃に無断で売上の除外をしたり、あるいは従業員に指示して不正経理を行わせたものであり、被告人杉晃は、これらの所得隠匿工作にまったく関与していなかったし、そのような行為が行われていることも知らなかった、同被告人としては、正しい確定申告が行われたと信じていたのであって、それが虚偽過少のものであったことはまったく知らなかった旨弁解している。

しかしながら、前記認定の被告会社の経営の実情、日常の経理処理の状況、被告会社の確定申告の方法や本件各確定申告時における被告人杉晃らの言動等のほか、本件の所得隠匿工作が会社ぐるみの大規模なもので、その売上除外額や架空の経費計上額も莫大であることなどを考慮すると、被告会社において、種々の所得隠匿工作が行われていたことや、本件各確定申告が虚偽過少のものであったことを被告人杉晃が知らなかったとする同被告人の公判供述や査察・捜査段階における供述はそれ自体まったく信用しがたいというべきである………。」

としている。

そして、原判決は、「売上の一部除外」を、直接実行、指示したのは晴美被告人であるとして、一四丁ないし一五丁に、次のように判示している。

売上の一部除外

被告人晴美は、前回の査察調査中の昭和五六年一二月、売上から除外する手形、小切手を取り立てるため、大阪市内の銀行に簿外の被告会社名義の預金口座を開設し、その後、一か所ではすぐに発覚するおそれがるとして、さらに大阪市内の三つの金融機関にも簿外の被告会社名義の預金口座を開設して、被告会社の売上から除外した手形等をこれらの口座で取立、入金するようになった。また、昭和五七年六月ころ、被告人杉晃らの知人の森井義則(当時は不動産会社五幸商事株式会社の代表取締役、その後、昭和五九年七月二五日に被告会社の取締役総務部長に就任)に依頼して、森井が取締役となっていた株式会社森井組名義の預金口座を開設してもらい、その口座を利用して売上から除外した手形、小切手合計約八〇〇〇万円分を取り立て、これを現金化するなどし、これらの方法により、昭和五七年七月期において、四億円を超える売上を除外した。さらに、被告人晴美は、昭和五八年七月期において、一部の売上について、入出金の振替伝票を故意に作成しないまま、これを被告会社の公表預金口座にいったん入金したうえ、現金として引き出す等の方法も併用するようになり、これらの方法により同期において九二〇〇万円を超える売上除外を行った。そして、被告人晴美は、売上除外を隠すため、入出金伝票を廃棄したり、自ら又は長女の草竹宏子、経理担当の吉田善弘総務部庶務課長や宮川和子ほかの同課事務員等に命じて、売上帳を改竄させるなどしていた。なお、被告人晴美は、これらの売上除外によって浮かせた金を簿外現金(裏金)として備蓄し、その金を被告人杉晃らの自宅建築費に充てたり、家具等の購入代金に充てたほか、多額の無記名債券や金地金を購入し、これらを自宅や銀行の貸金庫に隠匿していた。

二1 晴美被告人が、昭和五七年七月期において、四億三、三七〇万四六六四円売上を除外し、同五八年七月期において九、二九九万三六七〇円売上を除外したことは、証拠によって認められる。

しかしながら、杉晃被告人が査察調査及び捜査段階並びに原審公判において一貫して供述しているように、右売上除外は、晴美被告人が杉晃被告人に無断で行ったものであり、杉晃被告人は、当時これに気づかず、全く関知していないのである。この点に関する原判決の認定は事実を誤認したものである。

2 まず、晴美被告人の行った売上除外の方法は、原判決前記認定のとおりであるが、同被告人は、本件売上除外の方法ないし右売上除外を杉晃被告人に無断で行ったものであることにつき、調査及び捜査段階並びに原審公判で次のように供述している。

これで本日の質問調査を終わりますが、訂正したり付け加えることはありませんか。

答 どのように謝ってもすむものでありませんが、早く、体をなおし、貴局の調査に全面的に協力する所存です。

宜しくお願い致します。

なお昭和五七年七月期及び同五八年七月期については私のあさはかな考えでしたことであり、社長は関知していませんので付け加えておきます。(検三三一、昭和五九年四月一三日付質問てん末書問八)。

私がどれだけの売上を正規の帳簿から除外していたかについては、今まで述べた預金口座を調べてもらうとともに、私方会社の売上帳と比較してもらえば分かると思います。私方会社では、コンクリート製品の注文を受ければ、その都度売上帳に記載します。

その時点では、私はどの分の売上を除外するのかはっきりとは決めておりません。

その後、その代金として手形や小切手を受領した時点でどれを帳簿には載せず、裏金として残すかを決めるのです。

そして、その手形や小切手を先程述べた預金口座などで取立てるのです。

小切手の中には、そのようにわざわざ預金口座には入れず、直接支払銀行に貰いに行く場合もありました。

このように取立てた手形や小切手に対する売上がそのまま帳簿に載っていては売上を除いたことがすぐにばれてしまいます。

なお、金額はわずかですが、代金を現金で貰い、それを売上から除いたこともありました。

こんなとき、除いた代金分に対応する売上帳の記載を書き変えました。

つまり、除外した手形や小切手に対応する売上は、売上帳から消してしまい、その残りの売上分のみを新たに売上帳の用紙に書き直し、それを前のものと差しかえて売上帳にとじていたのです。

このような売上帳の書き変えは、私自身が行うこともありますし、私が従業員に指示して書き直させたり、また、娘の宏子に書き直させる場合もありました。

書き直しを頼んだ従業員は、総務部次長の

吉田善弘さん

や庶務課長の

宮川和子さん

あるいは、若い女性事務員などで、いずれも総務部に属する人たちで、会社二階事務所の私の机の周辺にいる人達でした。

私は、従業員らに会社二階事務所の事務机のところで売上帳を出して、

ここからここまでは、省いて書き変えて。

と頼み、新しい売上帳の用紙にその部分を書き変えをしてもらいました。

従業員らが書き変えるのは、それぞれの事務机のところでした。私は従業員から書き変える前の部分を渡してもらい、それは破って棄ててしまい、書き変えた新しいものだけをとじていたのです。

大阪国税局でもこのような調査をした結果、私が売上除外した金額は昭和五七年七月期で、

四億一、五五〇万円五、九一二円

となり、昭和五八年七月期で、

九、二九九万三、六七〇円

になったとのことですが、そのとおりであると思います。

(中略)

問 先程あなたが述べたように、夫から二度と脱税はすまいと言われておれば、それに従うのが妻の立場のように思うがどうか。

答 その点夫を裏切り申し訳なく思っております。(検三四五、昭和六〇年二月九日付検面調書第八項、第九項、第一一項)

晴美被告人は原審第一階公判における公訴事実に対する意見においても、次のように供述している。

………被告人草竹晴美が同会社の業務に関し、その所得を秘匿して法人税を免れようとしたことは相違ありませんが、被告人草竹晴美が右法人税逋脱につき被告人草竹杉晃と共謀したことはありません。

(中略)

夫である被告人草竹杉晃が法人税法違反事件により執行猶予中であるに拘らず、被告人草竹晴美、経理事務に従事していたことに便乗して不心得なことをしたことを洵に申訳なく思っています。

また、検察官の質問に対し、晴美被告人は、捜査段階の供述を一部訂正し、次のように供述している。

今回の事件ですけど、同じように簿外の口座で手形、小切手を取り立てて入金しておりましたね。

(検察官)

はい。

その口座ですけど、これを開設したのはあなただけですか。

そうです。

だれにも手伝ってもらっていないの。

山本部長に頼んだことがあるんですけど。

確か大和銀行の難波支店だと思うんですけど。

調べのとき、山本部長に手伝ってもらったということは、一切言ってませんね。

はい。

それは、どうしてなの。

自分が人の口車に乗ったり、しないと言いながらも私が重ねて売上を除外したということで、たくさんの人、関係者の方にご迷惑をかけて、そして清水さんも逮捕されまして、それ以上にまた山本さんもということになると、私は耐えられなかって、大変なことをしたということで、もう何も言わなかったんです。(原審第九〇回公判調書八丁裏ないし九丁表)

(中略)

脱税するに当たって、だれかに相談しましたか。

だれにも相談してません。

あなた一人で考えてやったわけですか。

はい。 (前同調書一二丁裏)

3 原判決は、前記のように、「売上除外」等を知らなかったとする杉晃被告人の供述を信用しがたいものとする理由として、1.被告会社の経営の実情、日常の経理処理の状況、2.被告会社の確定申告の方法や本件各確定申告時における杉晃被告人らの言動、3.本件の所得隠匿工作が会社ぐるみの大規模なものであること、4.売上除外額が莫大であること等をあげている。

4 原判決が判示している右の点に関連し、ここで、はっきり指摘しておきたいことは、原審において取調べられた、被告人及び参考人に対する査察官の質問てん末書、検察官に対する供述調書の各記載及び原審公判における証言、供述並びに原審で取調べられた証拠書類、証拠物等厖大な関係証拠を子細に検討しても、杉晃被告人が、晴美被告人らの行っていた売上除外の事実に、未必的にもせよ、当時気づいていたと認め得る直接証拠は全く存在しないということである。査察官、検察官の本件に対する調査、捜査態度から見て、調査、捜査は、杉晃被告人の知情の点に集中して取調べが行われ、証拠収集されたと思われるが、これを認める証拠は遂に発見、収集されていないのである。

原判決も右の直接証拠がない事実を明確に認識したため、杉晃被告人の共謀ないし知情を認める証拠として前記のように、1.ないし4.の情況証拠を揚げるにとどめざるを得なかったものと思われる。

そこで、以下前記諸点について、順次検討してみる。

5(一) 被告会社の経営の実情、日常の経理処理の状況

被告会社の経営の実情、日常の経理処理状況等に関する杉晃被告人の言動等については、原判決の一二丁、一三丁表に判示されている。

そこには、被告会社の代表取締役である杉晃被告人が数々の新製品を開発してその特許、実用新案権を取得したり販売に努力するなどして被告会社の業績を飛躍的に伸ばしたこと、杉晃被告人は被告会社の実権を握り、業務全般を掌握していたこと、定例部長会議における同被告人の発表事項及び出席の部長に報告させていた内容、指示事項、同被告人が業者からの請求書を自ら点検、決済し、値引きを指示すべき場合には赤鉛筆で金額等を訂正するなどして、経費の節減に努力していた等の事実が判示されている。

しかしながら、被告会社の経営、経理処理において、右のような一般的状況が認められたとしても、それがそのまま晴美被告人が前記のような方法によって、隠密に売上除外を行っていたことを、杉晃被告人が気づいていたことを認定できる証拠となるものではない。

念のため、一、二、の点について述べると、

定例部長会議における報告事項等については、第一四、一三(二四六ページ以下)、において前述した。

また杉晃被告人が業者からの請求書を自ら点検、決済し、しばしば請求金額を赤鉛筆で訂正し、値引きを指示していたことは、単なる社内牽制のための行動にすぎないものであることについては、第一(二ページ以下)、において前述した。

更に、被告会社総務部次長吉田善弘は、原審第六五回、第六六回公判において、杉晃被告人の請求書及び伝票等に対する点検状況について、次のように証言している(同旨清水勝利の原審第三〇回公判調書二五丁ないし二六丁表、三四丁ないし三六丁等)。

それ以上に、内容的に何か点検した記事が、その請求書などに社長の字で記載されていたということはありませんでしたか。(弁護人)

社長は、その請求書の合計金額が書かれてある表紙に、サッと赤鉛筆で書かれるぐらいで、中の明細書とか納品書とかに書かれるようなことはなかったです。

さっき、山のようにと言われたけれども、社長のところには、大体まとめて書類がいくんですか。

大体、まとめると、ひと月分の請求書を積み上げると大分高くて、納品書とかいろんなものが付いていますので、八〇センチから一メーターぐらいになるかも分かりません。

そういうものをドサッと一度に回すんですか。

はい、全部一度に回します。 (第六五回公判調書三丁)

社長が赤鉛筆で値引きして数字を減らすというようなことがありましたか。(弁護人)

ありました。

あなたの証言によると端数を削ることがあったということですが、むしろ端数を削ったりとかそういう単純なことだけしていたのではありませんか。

そう思いますが。

そうすると中身に立ち入って見ているという風ではなかったとあなたは理解しているのですか。

最初はよく見ておられるなと思いましたが、私も長い間、同じことばかりしていますので考えてみると、全然中身を見ておられないことが分かりました。社内の牽制のためにしておられるのかなと思いました。

検察官

請求書のことで聞きますが、値引きが相当な場合に、社長が赤鉛筆でチェックしていましたね。

はい。

だから、どういう内容の請求が来ているか分かってないと値引きも相当かどうか分からないのではありませんか。

ですから私たちも困ったのです。例えば、担当者とお客さんとの間で、いくらいくらで買うと話ができている場合、社長が中身を見ないで端数を削ったりしていますので、お客さんから約束と違うやないかと苦情が来たりしていました。

苦情が来たらどうしていましたか。

請求者から翌月に残額として上がって来ていました。

苦情が出たわけだから社長に報告しますね。

いいえ、報告していません。その後の話は担当者がつけていました。

(第六六回公判調書七丁表ないし八丁表)

この振替伝票とか総勘定元帳とか売上帳とか、こういう会計の書類を社長に持っていって見せたというようなことはありましたか。(弁護人)

それは一度もなかったです。

社長のほうからちょっと見たいから見せてくれというようなことを言われたことはありませんでしたか。

それもなかったです。

会社の社長なんだから、会計の状態をチェックするというか、知りたいために、それを見たいというようなことでそれを見せてほしいと言われたことはなかったですか。

社長はどのような商品がよく売れているとか、受注高はどうだかというようなことはよく検討しておられたようですけど、経理的な帳簿類は私や宮川さんや奥さんを信頼してもらっていたようで、新屋先生も信頼しておられたようです。ですから、見たいとか見せろとかいうようなことはなかったです。(第六五回公判調書九丁裏ないし一〇表)

部長会議の状況等については、第一五、においても述べたが、更に、前記吉田善弘は原審第六六回公判において次のように証言している。

部長会議の関係について聞きますが、証人が庶務課長時代から出席していたことは間違いありませんか。(検察官)

間違いありません。

庶務課長の時に部長会議に出席していたのは、社長の指示によるものですか。

いいえ、そうでもありません。

それでは、なぜ出席していたのですか。

当時、総務部長の席が空席でしたので、総務部としてどういう対処をしたらいいかということを聞いておくために、出席しないと分かりませんので自分から出席していました。

その割りには、社長の言葉を代読するとか、部長会議でのあなたの役割は相当大きいと思われますが、社長の指示で出席していたのではありませんか。

指示は別にされていません。最初は、総務部の代表として出席だけしていました。

毎回、出席していましたね。

はい。

総務部長が空席だったので、総務からあなたが代表して出席する形になっていましたね。

はい。

あなたが事前に作成して部長会議に持って行く資料ですが、まとめた形で営業成績に関する書類がありましたか。

はい。

それは、事前に社長に見てらっていましたね。

二七日の夕方に集計ができますので、報告できる時は簡単に報告し、できないときはもう全

くしていません。

報告する時は、まとめたものを準備して、それに基づいて社長に報告していましたね。

はい、まとめたものです。

それに目を通してもらったわけですね。

いいえ、さっと、書いた用紙を見せる程度で、私が今月の成績はいくらですとか、何%ですとか、口頭で言った程度です。

部長会議に出席するときは、その書類を会議に持って出て、その内容についてあなたが説明するのですね。

はい。

部長会議が終わったら、その書類はどうするのですか。

処分していました。

社長に渡していたのではありませんか。

いいえ、渡していません。 (八丁ないし九丁)

被告会社の経営の実状、日常の経理処理状況は、前記の如き状況であり、杉晃被告人が売上除外の事実に気づき得るような具体的事情は認められないのである。

(二) 晴美被告人の行っていた売上除外を知らなかったとする杉晃被告人の供述を信用しがたいとする理由として、原判決は、次に被告会社の確定申告の方法や本件各確定申告時における杉晃被告人の言動をあげている。

1 まず、この点については、杉晃被告人が新製品開発のため熱中し、平素心血を注いでいた状況について述べたい。

原判決も判示している、杉晃被告人が厖大な新製品を開発して、その特許権、実用新案権等を取得したのは、同被告人が新製品開発のため、平素脇目もふらず、そのためにだけ生活していたからである。

原審の弁論終結の前後にわたる杉晃被告人の特許権、実用新案権等を取得して来た状況、被告会社の技術開発状況については、原審において極く簡単に供述されただけで(第八六回公判調書杉晃被告人の供述二丁表ないし六丁表等)特に主張、立証されなかったが、杉晃被告人が新製品開発のため全注意力を傾注等しており、売上除外の事実に気づき得なかったという事実の立証のため控訴審において取調の必要が生じたので、被告会社作成にかかる「工業所有権に関する業績一覧表」(弁第一号証)、平成六年度特許庁発行「特許のはたらき」(弁第二号証)、特許庁技術懇話会一九九四年三月一五日発行「特技懇」(弁第三号証)、財団法人発明協会発行「平成五年度出願適正化等指導事業中小企業対策地域委員会報告書」(弁第四号証)、同協会発行「記念カプセル発明・考案品収納一覧(弁第七号証)、特許証等及び公報写し(弁第六号証)並びに、賞状写し等(弁第七号証)を取調請求する予定である。

すなわち、左記のように数字だけあげると、杉晃被告人個人が昭和三四年以来平成六年一二月三一日までに、発明、考案して保有している工業所有権の件数は、二、一六七件であり、科学技術庁長官賞等表彰を受けた件数は二六件の多数に上っている。

(杉晃被告人個人分)

保有工業所有権数

日本 米国 英国 韓国 合計

特許権 四六 四 四 一 五五

実用新案権 七一 四 七五

意匠権 一、〇五〇 一、〇五〇

類似意匠権 九八七 九八七

(合計) 二、一五四 四 四 五 二、一六七

表彰件数

(社)発明協会中小企業庁長官奨励賞 一件

右同奈良県支部長賞 二件

右同発明奨励賞 一二件

右同優秀賞 三件

科学技術庁長官賞 一件

(社)発明協会創立九〇周年記念カプセルに受賞作品を収納 一件

その他 六件

(合計) 二六件

(杉晃被告人も含め被告会社全体分)

保有工業所有権数

日本 米国 英国 韓国 合計

特許権 五〇 四 四 一 五九

実用新案権 八〇 四 八四

意匠権 一、〇七〇 一、〇七〇

類似意匠権 一、〇〇〇 一、〇〇〇

商標権 七 七

(合計) 二、二〇七 四 四 五 二、二二〇

表彰件数

(社)発明協会中小企業庁長官奨励賞 一件

右同奈良県支部長賞 二件

右同発明奨励賞 一四件

右同優秀賞 四件

右同功績賞 一件

科学技術庁長官賞 一一件

(社)発明協会創立九〇周年記念カプセルに受賞作品を収納 一件

その他 一九件

(合計) 五三件

新製品開発のため、全注意力を傾注していた杉晃被告人は、会計事務、確定申告事務に対する注意力、ひいては、自分の知らないところで売上除外が行われているのではないかという危惧を抱くべき注意力を欠如してしまっていたのである。

2 右の事実に関し、当時被告会社顧問税理士であった新屋昇は、杉晃被告人が会計に関する知識がなく、被告会社法人税確定申告書提出直前の報告の際における、杉晃被告人の無関心な態度及び杉晃被告人が新製品開発のため平素熱中していた状況について、原審第九回公判で次のように証言している。

その報告(法人税確定申告書提出直前の報告)する際には、損益計算表、貸借対照表ももちろん、できているわけですね。(弁護人)

はい、できております。

その社長夫婦に報告する説明の内容は前回の御証言では、前年の収支の状況、当時の収支の状況について、変わったところなどを説明するんだというふうに述べておられまして、そして売上については、前年はこれだけ、今期はこれだけだと、そして、計算の結果納付すべき法人税額の大体、これぐらいです、というふうな説明をするようにおっしゃっていますが、そのとおりですね。

はい、そうです。

その際に減価償却の計算はこうなります、とかいうような細かい技術的なことは説明には入らないわけですか。

償却費というのは、お金ででない経費なものですから、大体、償却費はこれぐらい今年はできましたと、だから試算表の利益よりはこれだけ減ってきますというような程度のことは言っておると思います。

その説明をされる時に、あなたの説明を主として聞くのは社長なんですか、奥さんですか。

奥さんです。というのは、社長さんという人は、数字とか、そいういうことになってくると、私らも見ていて、図面とか書く時間を取られるのがものすごく嫌な方です。それがずっとお付き合いさせていただいて分かっていましたので、できるだけその時間を取らないようにという私の勝手でやってたんです。ですから数字なんかの説明をしていると、それはもうすべて奥さんに任しているから、ちょっと気は遣っていただけるんですけれども、あくびをかみ殺すような表情になるんです。かといって、私も一年に何度も寄せてもらわないのに、すぐ帰るというわけにもいかないから、新製品の話とかそういったことに話を切り替えると社長さんの目が輝いてきすので、そういうふうなことで、決算というより、ちょっと社長さんにお目にかかってという、そんな程度の報告なんです。

精算表による説明について、あなたに対して質問をするようなことが夫婦のうち、どちらかからありましたか。

その報告に行く時には、もうすでに奥さんは田村との折衝で分かっていますから、大義名分で社長に見せたというぐらいの程度のものなんです。 (二五丁ないし二六丁)

(中略)

先程、社長は図面書きばかり考えておると言いましたが、何の図面ですか。

ブロックの新製品の開発の設計です。それでいつ行っても図面の前に立って鉛筆とはけとを両手に持ってやってはりました。

その図面というのは、新製品開発のための特許とか、実用新案を申請するための図面ですか。

そうです。 (二七丁)

前記事情からみて、晴美被告人が密かに行っていた売上除外の事実などには到底気づかず、また気づき得なかったであろう状況が十分窺われる。

(三) 次に、原判決は、売上除外の事実を知らなかったとする杉晃被告人の供述を信用しがたいとする理由として、本件の所得隠匿工作が会社ぐるみの大規模なものであるという点をあげている。

この点については、原判決も判示しているように(一四丁裏)、証拠上、晴美被告人自ら、または、同被告人の指示により、同被告人の長女草竹宏子、吉田善弘、宮川和子ほかの庶務課事務員らが各人別々の機会に改ざん作業をしていたことが認められるのであり(検二〇六、宮川和子の昭和六〇年二月六日付検面調書第三項ないし第六項)、決して会社ぐるみというようなものではない。もちろん、杉晃被告人が右作業に気づいていたことが認められる証拠はない。また、杉晃被告人が全く関与せず、晴美被告人が右吉田善弘、宮川和子らとともに処理していた、被告会社の経理事務の実態からみても、杉晃被告人の意思に反する会計帳簿の改ざんは十分可能であったのである。

(四) 次に、原判決は前同様の理由として売上除外額が莫大であることをあげている。

原判決添付の修正損益計算書によれば、昭和五七年七月期の売上高は、三、九五二、一二三、四二五円であり、売上除外額は四三三、七〇四、六六四円であって、売上高の約一割分であり、昭和五八年七月期の売上高は四、五七三、八一九、九七四円であり、売上除外額は九二、九九三、六七〇円であって、売上高の約二分である。売上除外の金額自体は多額であるが、会社全体の売上高において占める割合からいうならば、前記割合にすぎないのである。

被告会社が前回の法人税法違反事件のため、各役所の指名がストップとなったり、売上げがしにくくなったという、売上利益の下がる事情があったこと等を考えるならば(当時の被告会社顧問税理士新屋昇の原審第八回公判調書第八、九丁、第九回公判調書第九)、前記のように、被告会社の経理を実質的に管理せず、更に、社内牽制のため請求書の請求金額の端数を赤鉛筆で削る程度で、会計事務の知識に暗い杉晃被告人が、売上高が下がったという感覚を抱き、その下がった原因が脱税のための売上除外行為によるのではないか、と気づくことは、到底不可能のことであったと考えざるを得ない。

三 以上述べたところから、晴美被告人の行った売上の一部除外の事実を杉晃被告人が気づかなかったとする同被告人の公判供述や査察、捜査段階における供述は、それ自体まったく信用しがたいとして原判決があげている事情は理由のないものである。

四 更に、この点に関し、次の事実を付言したい。

1 杉晃被告人と晴美被告人は仲のよい夫婦であり、従って本件売上除外行為は両名の共謀による犯行ではないか、という疑いがもたれ易いことである。

今までに検討してきたところからみても、本件査察調査と捜査は、本件被告人両名の共謀による犯行にちがいないという予断、見込みによって貫かれているといっても過言ではない。

2 ところが、杉晃被告人と晴美被告人の本件査察調査段階から原審公判段階に至るまでの基本姿勢のきわだった相違は、晴美被告人が少なくとも売上の一部除外については自己の犯行であることを一貫して認めるのに対し、杉晃被告人は本件ほ脱行為への関与を一貫して否認しているということである。

この両被告人の基本姿勢の相違は、本件の実態を直視し、両被告人の被告会社における立場の相違、携わってきた職務の相違、前回の法人税法違反事件に対する受けとめ方の相違等を考えるならば、あり得べき差異として理解できることである。

3 杉晃被告人は二、一六七にも上る工業所有権を取得するほど新製品の開発に全力を傾注し、その努力によって被告会社を短期間に年高四〇億円の企業に成長させてきた。ところが、前回の法人税法違反による査察調査の結果、有罪判決を受け、自己の刑事責任を自覚するとともに、マスコミを通して被告会社の信用が著しく低下したことに強い危機感を覚え、一層新製品の開発による企業経営の回復向上に努力していた。

これに対し、晴美被告人は、前回査察まで杉晃被告人から被告会社の会計と被告人ら個人の会計を全面的に委ねられていた者として、前回の査察調査の結果、予想を超えて約二〇億円もの納税をしなければならなくなり、そのために被告人らの蓄えをほとんど吐き出すこととなった事実の方に心を奪われた。これは会計担当者としての受け止め方といえよう。

4 更に、前回査察調査の結果、起訴され判決を受けたのは、杉晃被告人のみであって、「懲役三年、執行猶予四年」という判決をどの程度深刻に受け止めたか、規範意識が覚醒されたか、という点でも、当事者であった杉晃被告人と、起訴されなかった晴美被告人との間に大きな差異があったであろうとも容易に推測されるところである。

夫婦であっても、前回の法人税法違反事件の受け止め方につき、被告人両名の間に根本的な差異があったという観点から、証拠を検討し、事実認定をしていただきたいのである。

5 以上述べたところから明らかなように、晴美被告人が昭和五七年七月期に四億三、三七〇万四、六六四円、同五八年七月期に九、二九九万三、六七〇円、売上を一部除外した事実を杉晃被告人も知っていたとする原判決の認定は明らかに事実を誤認したものである。

なお、晴美被告人が売上除外を杉晃被告人に隠れて、無断で行っていた具体的状況及びそれができた理由等について、原審で明らかにできなかったところを、控訴審で晴美被告人に質問して一層明らかにしたい。

第一六 一 われわれ弁護人は、当初不合理不可解に感じられた杉晃被告人の主張を吟味するため、本件関係証拠を一つひとつ検討してきたが、経験則に従って虚心に証拠を検討していけばいく程わかってきたことは、前記のように同被告人に本件法人税ほ脱の故意を認めるに足りる証拠は全く存在しないということであった。

二 一見、杉晃被告人の刑責を認め得るように見える証拠は、査察官、検察官が、杉晃被告人にほ脱の犯意がない筈はないと予断、偏見を抱いて、証拠物についてはそれを十分検討吟味せず、また参考人を取り調べた際は最初抱いた自己の予断を押しつけて参考人の記憶を誤導し、誤導した結果を供述調書に作成したからである。

査察官、検察官が証拠物及び参考人取調べの過程において、事案の真相を明らかにするため、最初抱いた自己の心証形成を調査、捜査の進展に従い、謙虚に吟味修正していったならば、捜査の過程で本件事案の真相はおのずからあきらかとなった筈である。

原審公判で参考人の誤った記憶が訂正修正された場合もあるが、調査、捜査段階において固着してしまった記憶の残影が、法廷においても誤った証言をさせている場合もある。それらが、原審において事実誤認という判決結果を招いたものと思われる。

三 杉晃被告人の述懐によれば、同被告人がこれまでの生涯において最も幸福と感じ、感激したのは、大阪工業大学二部卒業前である昭和三三年一月一三日出願し、同三四年一〇月二二日に公告された、コンクリート集水管につき、特許庁実用新案公報に掲載された時であったという。そして、その後も、同被告人は新製品の開発のため、たゆまぬ努力を重ね、注意力を傾注し、前記のような業績を挙げ、科学技術の向上と産業の振興に貢献し、世人の生活をより豊かにしつつ、今日に至っている。しかし、同被告人は、仕事一途のあまり、興味、関心と注意力が極端に偏っている特異な人格である。

四 人は注意力を多数の事物の上に公平に分配することはできない。昆虫学者でないわれわれは、蝿や蛾を何万回も見ているが、それらはわれわれに何も訴えず、印象に残らない。ある物が目の前に一〇〇回置かれていても、これに気を止めない者にとっては、その経験に入らない。その上、杉晃被告人は、目の両側に覆いをつけられている馬車馬同様、コンクリート新製品の開発に日夜極度に注意力を傾注していたため、企業経営者として当然注意力を払うべき企業会計事務がその視界から拒否されてしまったのである。

個々の証拠を十分吟味し、全体的に観察するならば、杉晃被告人は、法人税ほ脱という法益侵害事実発生の可能性回避のための注意を尽くさなかったため、本件結果を生じさせたものである。杉晃被告人の不注意は大いに責められなければならないが、少なくとも前記検討した限度においては、同被告人に法人税ほ脱の故意はないというのが、本件事案の真相である。

証拠を検討、吟味した結果、この事実を知り得たことは、われわれ弁護人の大きな喜びである。

このような仕事一途で、社会有用な人物が十分な証拠もないのに、厳刑に処せられることは、残念至極のことと堪えがたい思いをしつつ、本件控訴趣意書を書き綴った。

以上

<省略>

<省略>

<省略>

控訴趣意書(第二部)

被告人 草竹コンクリート工業株式会社

同 草竹杉晃

同 草竹晴美

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。

平成七年三月三〇日

右弁護人

弁護士 平田友三

弁護士 髙野嘉雄

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

目次

第一、固定資産除却損に関する事実誤認等について

一、原判決の摘示・・・・・・六八四

二1 被告会社はプラント計画を廃止、断念していなかったとする事実誤認・・・・・・六八九

2 原判決の除却損に関する解釈の誤り・・・・・・六九八

3 除却損問題に関する被告人杉晃らの犯意に関する事実誤認・・・・・・七〇四

三、まとめ・・・・・・七一一

第二、量刑不当について

一、被告人杉晃の関与状況に関する基本的な疑問・・・・・・七一二

二、本件犯行に至る経過について・・・・・・七二五

三、被告人晴美さえも関与していないもの(未経過帳簿押収に原因するもの)・・・・・・七二八

四、固定資産除却損問題と量刑不当について・・・・・・七三一

五、つけ込み、仮装計上と被告人杉晃の犯意について・・・・・・七三五

六、被告会社における税の過納問題について・・・・・・七三九

七、森井らによる「証拠隠滅工作」について・・・・・・七四三

八、最後に・・・・・・七四五

第一、固定資産除却損に関する事実誤認等について

一、原判決は、被告会社の滋賀工場のセラミックプラント関係の機械設備の固定資産除却損計上問題について、左記のとおり事実認定をした(以下原判決六一丁~六五丁)。

「 セラミック機械設備を除却損として計上するに至った経緯

ア 被告会社では、前記のとおり、セラミック機械設備代金を材料費、型代に仮装計上していたところ、昭和五八年一月五日、内野が、突然、「秘密は守ります。」旨を書き添えた退職願いを残して出社しなくなり、さらに、同月一三日ころ、サンユー機械産業代表取締役の前川昭が来社して、内野から空気輸送コンベア等の注文を受けたが、内野に言われて四七〇〇万円の裏金を支払ったので、被告会社からはこれを含めて七〇六〇万円支払ってもらいたいなどと述べたことから、内野が被告会社の文書を偽造するなどして、業者からリベート名目で多額の金員を詐取していたことが判明し、被告人杉晃らは、新屋税理士、河辺弁護士等とも相談のうえ、同月一四日、奈良警察署に被害届を提出した。

そして、内野が前記のような退職願いを残したことや、内野の件の調査に当たった清水勝利と西野達治(子会社の草竹セラミック株式会社常務取締役)が同月二一日ころに内野と面談した際、同人が「被告会社はセラミック設備の代金を型枠を買ったようにして経費で落としている。」などと述べたことなどから、被告人杉晃及び同晴美らは、昭和五七年七月期にセラミック機械設備代金を材料費等に仮装計上していたことが発覚するのを恐れ、新屋税理士と税務対策を協議し、同期に経費として仮装計上してあるものの洗い出しを急ぎ、その把握した分について、全額を雑収入として受け入れる仮装処理をすることとした。

イ 被告人杉晃は、昭和五八年一月二五日ころ、清水を技術部長に、西野寿雄を技術課長に任命し、内野のあとを引き継いで滋賀工場のセラミック設備を担当させることとし、古川工場長とともに、各機械設備の性能等を確認させたところ、昭和五八年二月初めころのセラミック機械設備の設置状況等は概ね次のとおりであった。

<1>の山砂利プラント――既設のものが存在

<2>の凝縮沈澱槽――完成、設置

<3>のフィルタープレス――据え付け済み(ヒノデ工業製のもの)

<4>の泥漿前処理装置――機械は搬入されていたが、据え付け未了

<5>の攪拌タンク――一応四基が完成、設置

<6>のスプレードライヤー――未完成の状態で三基存在

<7>の原料タンク――一応設計図どおり五基完成、設置

<8>の空気輸送機――部品の一部が納入されていたが、組立も未了で未完成

<9>のプレス機――未納

<10>のトンネルキルン――一部未完成

<11>のLPガス発生設備――一応完成して滋賀県の許可も下りていたが、各機器との配管ができておらず、試運転未了

ウ そこで、西野寿雄らは、製造メーカーの担当者等を呼んで、各機械設備の性能等を点検、確認したところ、まず、スプレードライヤー三基のうち、中部熱工業製造分は、機械自体は作動したが、チトセ工業による改造工事のため原土が送れない等の問題が生じていたため、前記(2)イのとおり、中部熱工業に依頼して改造工事を行った。しかし、チトセ工業製造のスプレードライヤー二基は、肝心な部分が未完成の容器程度のものに過ぎず、使い物にならないと判断され、中部熱工業製造のスプレードライヤー改良工事の邪魔にもなることから、後記のとおり撤去されることになった。次に、有本工業製造にかかる泥漿前処理装置は旧式で性能が悪く、他の装置と連結不能であったため、使用をあきらめ、その後、これに代わり牧野鉄工所に同装置を製造させることとなった。原料タンク五基は、一応使用可能であったが、将来継続して使用する場合は強度に問題が生ずる恐れがあることから、昭和五八年一一月ころ、林正産業製造の二基について補強工事が行われた。しかし、有本鉄工製造の二基については、他の機器との関連で不要とされ、一基(九六五万円のもの)は廃棄し、昭和五八年六月ないし七月ころ、残り一基(八五〇万円のもの)を補強のうえセメントサイロに転用した。さらに、攪拌タンク四基は、仕様上の要求を満たしており、使用可能と判断されたが、他の機器との関係で二基は不要とされた。そして、有本鉄工製造の攪拌タンク三基のうち、一基を取り付け、一基は、昭和五八年夏ころ、牧野鉄工所製造の泥漿前処理装置に接続する水ガラスタンクに転用した。また、チトセ工業製造の原土乾燥機は本来の作動ができない不良品であるとされたが、本社工場にあった林正産業製造の鉄筋曲機一台は、正常に作動した。

西野課長らは、これらの機械設備の性能等について逐一被告人杉晃に報告し、その指示により、各メーカーと改良について打合せをしたり、改良工事を発注し、各製造メーカーに対する支払いについてもその指示を仰いでいた。

エ 被告会社は、サンユー機械産業に対し、同年一月二〇日付内容証明郵便により、同社に対する前記空気輸送コンベア等は内野が注文書を偽造して発注したもので、被告会社は何ら関与していない旨通知した。これに対し、同社は、同年二月二日、請負契約に基づき機械を製造して納入する旨通知したが、拒絶されたとして代金七〇六〇万円の支払い等を求める訴訟を奈良地方裁判所に提起したところ、被告会社は、両者間に請負契約が締結された事実を否認し、その支払義務を争った。また、被告会社は、有本工業に対し、同年二月二八日付の内容証明郵便により、債務不履行を理由に契約を解除する旨の意思表示を行った。これに対し、同社は、昭和五八年三月一八日、機械据え付けの現場の基礎工事を被告会社が行う約定であったのに、被告会社がこれを行わなかったため、機械の据え付け工事ができなかったとして、残代金五〇〇〇万円の支払いを求める訴えを大阪地方裁判所に提起したが、被告会社は、右約定を争うとともに、そもそも機械設備の製造が完了していないとして、その支払義務を否定した。さらに、被告会社は、チトセ工業に対し、工事続行、代金の精算等の交渉をしていたが、同年三月四日付の内容証明郵便により、前記スプレードライヤー等について仕様通りの工事続行を催告したのに、その工事が続行されないとして、債務不履行を理由に契約を解除する旨の意思表示を行った。これに対し、同社は、同年九月二八日、奈良地方裁判所に請負工事代金のうち六〇一五万円の支払いを求める訴えを提起した。

被告会社は、河辺弁護士を代理人として、これらの訴訟に応訴していたが、被告人杉晃らは、設置された機械の中で使い物にならないものがあると同弁護士に相談したところ、仮処分をされると製造プラント全体が動かせなくなるので、使い物にならない機械は外に放り出したほうがよいと言われたこともあり、日本重量株式会社に発注して、昭和五八年六月一五日ころから同月二二日ころにかけて、チトセ工業製造のスプレードライヤー二基、林正産業製造のスプレードライヤー用煙突一本、有本鉄工製造の原料タンク一基等を撤去した。

オ 前記のとおり、被告人杉晃らは、被告会社が経費として仮装計上したセラミック機械設備の代金を昭和五八年七月期に雑収入として受け入れる処理をすることとしていたが、このような処理をした場合、同期において多額の所得が生ずるため、これらの機械設備を使用不能として損金で落とすことを考え、昭和五八年八月二〇日ころ、清水が新屋税理士事務所に電話して「滋賀工場のセラミック設備が不良なので新屋税理士に見てほしい。」旨の連絡をし、その後、被告人杉晃は、被告会社において、同税理士及び田村に対し、滋賀工場のセラミック設備の図面を見せながら説明し、これらの機械は使いものにならないので、損金で落としてほしいと依頼した。

こうしたことから、新屋税理士、田村郁雄、藤井修税理士は実情を把握するため、同年九月七日ころ、滋賀工場に赴き、現場で被告人杉晃からセラミック設備の状況について説明を受けたが、その際、田村は、一連の設備として据えつけられている機械も使い物にならないという同被告人の説明に疑問を持ち、「これらは使えるのではないか。」と尋ねたところ、同被告人は、「使えないので、全部損金で落としてほしい。」と要求した。なお、当日の現況確認の結果、新屋税理士も藤井税理士も、一部についてはともかく、全部を除却処理することは困難であると判断していた。」

更に、原判決は、

「 被告会社は、昭和五八年七月期において、セラミック製造プラントを廃止あるいは断念していたものではなく、その後も機械設備の改良等を重ね、製造プラントの実現に努めていたことは明らかであり、さらに、昭和五八年七月期末において、検察官が除却損の計上を認容した以外の機械設備は、正常に機能するものであったり、不良箇所であっても改良又は補強することによって使用可能となったり、あるいは、当初予定していたセラミック設備に供することができなくても、補強のうえ、セメントサイロ等に転用した結果、タンクとしての機能を発揮できたものであるから、これらの機械設備について、その使用を廃止し、今後通常の方法により事業の用に供する可能性がなかったとは認められず、固定資産除却損として計上することはできないというべきである」

とする(原判決六九丁)。

しかし、右事実認定は事実誤認であり、固定資産除却損として計上できないとする判示は法令の適用、解釈を誤ったものである。

以下詳述する。

二1 原判決の基本的誤りは被告会社はセラミック製造プラント計画を廃止、断念していなかったとする点にある。

(一) 被告会社におけるセラミック製造プラント計画は内野正敏の存在と不可分であった。

セラミック製造プラント計画は昭和五六年から着手されるが、それはその前年に内野が入社したからである。内野は横浜国立大学卒業と称し、熱学博士・弁理士の資格を有しており、炉の専門家として特許、実用新案さえ有していると自称していた(第二三回証人内野正敏二八丁)。被告人杉晃はこれを信じ込んでしまったのである。もともとセラミックの製造、特に焼成については被告人杉晃は素人であるため、内野にセラミック製造プラントの計画の確定、そのために必要なメーカーの選定、必要な機械の内容の選択等その全てを任せてしまったのである(第八六回被告人杉晃二丁以下)。

本来、この種のプラントは総合商社を入れて、総合商社に各メーカーの手配、機械自体の機能の確保、生産ラインとしての各機械の調整をさせるというのが常識であるのに、これをせず、内野に全面的に頼ってしまったのである(第四一回証人西野寿雄五丁以下)。

従って、内野が突然辞任し、その正体、即ち前記経歴が全くの嘘であり、全く炉やセラミックに無縁であること、しかも内野が各メーカーから法外なリベートをとっていたことが判明した段階で、内野が全てを仕切っていたセラミック製造プラント計画は当然全く杜撰なものであり、各設備機械が全く用をなさない絶望的な状態であると判断するのが通常の経営者の感覚であり、被告人杉晃、被告会社も通常の経営上の判断として、セラミック製造プラント計画を放棄したのである。

(二) 更に、社内では内野以外にセラミック製造に関する専門的知識を有する者はおらず、もし被告人杉晃がセラミック製造プラント計画の続行を考えていたとするならば、当然内野にかわるセラミックの専門家を社内に迎え入れるか、あるいは前述のとおり総合商社を新たに入れることが不可欠である。しかし内野にかわってセラミック製造プラント計画を担うべき者が社外から導入されたこともなく、又西野証人がいうようにプラント建設を実行する場合になす総合商社の介在についても、その後も一切なされていない。又、内野の退職後に技術課長となった西野寿雄はセラミックについての知識は全くなく、又それまで内野と共にセラミック製造プラント建設に携わったこともない。単に技術課長代理という地位にあったこととの関連で課長になったものである。西野は機械、金属についての知識はあり、この関係で導入設備の可否の判断をすることができたにすぎない(第二八回証人西野寿雄一丁、二二丁)。

内野辞任後に内野にかわってプラント製造のための人員配置をしていないことこそ(内野と共に従前セラミック製造プラント計画に従事していたのは被告人杉晃であったが、被告人杉晃は内野辞任後滋賀工場には全く姿をみせていない)、被告人杉晃、被告会社における計画の放棄、廃棄を如実に物語っている。

(三) しかもその後の調査で、内野がバーナー技術センター、丸善エンジニアリング(LPガス供給発生装置の製造メーカー)、有本工業、有本鉄工、チトセ工業、サンユー機械等ほとんどのメーカーからリベート(しかもその多くは極めて巨額のもの)を取得(弁二一~二三号証内野の各供述調書)していたことが判明した。更に、これらのメーカーのほとんどが、セラミック製造の設備機械を製造するだけの技術力を有していないことが判明した。即ちチトセ工業、有本工業等はブローカー同様の従業員三~四人の規模のものであり、トンネルキルンを製造したバーナー技術センターもバーナーについては一定の技術は有していたものの、炉自体には全く技術がないこと、ある程度の技術力を有してスプレードライヤーを製造した中部熱工業、プレスを製造した山本鉄工についても、セラミック設備機械関係の経験はなく、その技術力は全くの未知数であることが判明(第四一回西野六丁以下)した段階で、既に具体的な機械の作動状況を検討するまでもなく、被告人杉晃においてこれを断念、廃止すべきことは確定していたというべきである。

(四) 具体的な各設備機械の状況も、西野によれば以下のとおりである(第四一回西野六丁以下)。

チトセ工業の製造したスプレードライヤー等は形さえあればいいという状況であり、サンユーの製造した空気輸送機は材料等の仕様自体が制作仕様と異なっており全く問題とならず、有本工業の泥漿前処理装置はポンプや配管もないという状況であった。山本鉄工のプレスも金型交換作業は二五分以内に完了できねばならないのに、交換作業に半日かかり、又稼働状況も悪く、安全面でも重要な欠陥が存在していた。又、中部熱工業の製造したスプレードライヤーもチトセ工業が手を入れたため、全く使える状態ではなかった。

バーナー技術センターのトンネルキルンについても、昭和五八年六月の試運転時では温度自体は上がるが、製造される製品は芳しくなく、商品価値のある製品製造は不可能であった。

セラミック技術に通じた信楽焼の専門家による全自動トンネルキルンの鑑定によってもその不良性は明確になっており(控訴審で京都工芸繊維大学教授による鑑定書〔弁第八号証として〕を取調請求する予定)、これらの各機械に改良を加えても、経営上、採算ベースに乗せることが不可能であることは、昭和五八年七月期において明確であったのである(第三二回清水証人三丁以下、第四五回森井証人一〇丁以下、第八八回被告人杉晃二七丁以下)。

現にトンネルキルン、スプレードライヤーについて各メーカー等による改良後になされた昭和五九年六月のライン稼働時も、焼成能力が足らず、セラミック製品としての歩留りは極めて悪く、「製品としては全然経営の採算にはのってない」状況であった(第四一回西野二二丁)。

以上、要するに昭和五八年七月期の段階では用をなしていた機械は全くなかったといっても過言ではない。

他方、需要状況、受注状況についていえば、内野が成約を得ていたという淡陶、石川窯業からの受注も真っ赤な嘘ということが判明していた(前同三丁、一五丁)。需要、販路も保証されずに、前述の如き商品価値のある製品を製造できない設備機械をもってセラミック製造プラント建設計画を続行する等というのは、一般的な経営者の常識外のことである。

(五) 原判決が認定するように、確かに被告会社は新田ゼラチンに空気輸送機を設置させ、中部熱工業に対して、チトセ工業が手を加えた中部熱工業製造にかかるスプレードライヤーを一四五〇万円を出して再改造したのは事実である。そして、昭和五八年六月、同五九年一二月頃に試運転をしたことも又事実である(尚、原判決は砂利プラントの機械設備もそのためのものとするが、これは全く本件セラミック設備とは関係がない-別途立証する)。

原判決は右事実をもって被告会社がセラミック製造プラント建設計画を断念、廃絶してないことの証左であるというのであるが、これは全くの誤りである。

これらの設備の導入、試運転は以下に述べるとおりの各メーカーとの紛争を解決するために余儀なくされたものであって、生産開始のためのものではない。

(1) 被告会社は、バーナー技術センターから、昭和五八年一月段階で、七三〇〇万円の残金支払義務の履行を求められていた。

被告会社は右金員要求との関係で、連続運転テストの未実施を抗弁として支払いを拒絶したが、それとの関係で連続運転の実施を拒めず、そのために原判決五六丁裏の<9>までの設備の設置に応じざるを得なくなった(又そうなるのが当然である)。そのためにも中部熱工業に対して、前記スプレードライヤーの改造工事(一四五〇万円)をしてもらうこととなったのである。

又、有本工業による泥漿前処理装置は、既にその段階で能力不足であることが判明しており(第二八回西野一三丁以下)、新たに牧野鉄工に対して同装置の施工をさせた(一五〇〇万円余り)。

新田ゼラチンによる空気輸送機の製造も同じ理由で行われたものである(五〇〇万円余り)。

そのような抗弁事由となるべき前提事実を整えた上で、トンネルキルンの試運転が昭和五九年一二月になされたが、不良品ばかりで、バーナー技術センターの支払要求は根拠のないことが明確となった。しかしバーナー技術センターは尚もあきらめず、トンネルキルンの改良に努力したが、結局契約書所定の能力をトンネルキルンに与えることが出来ず、同社製造のトンネルキルンは採算が可能となるだけの製品をつくれない不良機械(又不完全燃焼による有毒ガスの発生を防止することもできなかった)であることが確定され、四五〇〇万円の残金支払義務を免れたのである(以上第四五回森井義則一七丁)。

(2) 紛争は中部熱工業との間でも存した。内野は中部熱工業との間で更にスプレードライヤー二基の追加注文をなしていたが、他方チトセ工業との間でも同様のスプレードライヤー二基の請負契約を行い、チトセ工業からはスプレードライヤー二基の一部の納品を受けていた。そこで、中部熱工業はスプレードライヤー二基の受注契約があるとして、その受領と請負代金(一億一七〇〇万円)の請求を求めていたのである。

そこで被告会社は、中部熱工業のスプレードライヤーも十分な採算ラインに乗らない、能力の不十分なものであるということを立証すべく、前述のとおりの改造作業を実施させた。中部熱工業は同社の製造したスプレードライヤーは完全であり、チトセ工業が手を加えたために不良品となっていたと主張したため、同社に改造工事をさせたのである(但し、二重契約による解約に伴う代替工事という側面も存在していた)。そして、前提設備である有本工業の製造した泥漿前処理装置(組立ても完成しておらず、又各部品にも瑕疵があった)が欠陥装置であったため、新たに泥漿前処理装置を牧野鉄工に施工させた(代金一五〇〇万円)のである。

しかし、中部熱工業の行った改造工事にもかかわらず、スプレードライヤーについては燃費が当初の約定の六〇%程度しか達成できず、中部熱工業のスプレードライヤーも採算ラインに乗らない不良品であることが明確となり、このことが重要な根拠となり、被告会社は一億一七〇〇万円余りの不要工事の実施を免れ、中部熱工業との和解が実現したのである(以上第四五回森井証人二三丁以下、弁四四号証被告会社と中部熱工業の和解書)。両社の請求金額が合計二億三五〇〇万円であったことを考えれば、そのために牧野鉄工、中部熱工業に対してなした合計金二〇〇〇万円の出費は必要不可欠のものであり、又経済的にみても十分間尺にあうもので、結果的にも有効であり、無駄ではなかったことは明らかである。

その他のセラミック製造プラント設備関係においても、チトセ工業(契約額一億三一六五万円)、サンユー機械産業(契約額七〇六〇万円)、有本工業(契約額七五〇〇万円)、山本鉄工(契約額八八〇〇万円)との間でも、昭和五八年二月から九月にかけてトラブルが発生し、被告会社に対して請負代金の支払いを求める本訴が提起されていたが、いずれも和解で解決した。ちなみに最終的に被告会社がバーナー技術センター、中部熱工業以外の支払いを免れたのは合計一億九四一九万円である。

これらの中部熱工業、バーナー技術センター以外の請負代金の請求問題に関しては、必ずしもセラミック製造ラインを稼働させる必要はなかったのは事実である。しかし、前記各社が製造に関与したセラミック製造プラントが結局採算ラインに乗るようなものではなかったこと、各社においては十分な能力、技術力が存しなかったということ、もともと本件セラミック製造プラント計画自体が専門家でもない内野によるものであって、全く杜撰、無謀なものであったことが判明したことによって、和解が成立したことも事実である。

(3) 以上のとおりの状況であり、ラインが稼働していたことがあったのは事実であるが、それらは全て、前記中部熱工業、バーナー技術センターからの請負代金請求(合計一億九〇〇〇万円)を解決するための手段としてなされたものであった。生産開始に向けて稼働がなされたものでなない。紛争を有利に解決するために動かせるものは動かし、動かせないもの、不要なものは外に出せとの河辺弁護士の助言があったことにも右の事情を端的に示していることに留意すべきである(第三七回清水勝利五丁、尚右供述中に昭和五九年三月とあるのは昭和五八年三月の誤りである。)。

昭和五九年一一月六日に査察官は滋賀工場に赴き、前記のとおりの各メーカーからの請負代金要求との兼ね合いでライン化されていたセラミック製造機械の状況を見て、それだけでセラミック製造プラントは稼働しているとして、廃止、断念されていないと速断したものであり、これを根拠に除却損の計上を不当とする原判決は事実を誤認している。

特に、強調したいのは、ラインとしての形態は維持されてはいても、これらのセラミック製造プラントは被告会社独自で操業(試験操業も含む)されたことは一切ないことである(又そのような能力のある人材も存在しなかった)。

しかも改良、改造は前記中部熱工業、バーナー技術センター等被告会社に請負代金を請求している者のみがこれに携わり、中部熱工業による、チトセ工業が行った工事の修復工事のみについて代金を支払ったのみで、これらの者に対して一切の費用を支払っていない。もし、被告会社が本当にセラミック製造プラントの完成を目指していたら、右業者による改造、改良とは別個に独自に、専門業者に依頼するのが当然であるが、そのようなことは一切していない。前記メーカーの設備の不良性が明確になった段階でセラミック製造プラントの運転は完全にストップして、各社との和解作業に入ったのである。

原判決は恰も被告会社がこれらの各設備機械の改善、改良が可能だとして、操業開始に向けて努力していたかの如く判示するが、そのような状況は証拠上一切窺うことは出来ない。

(4) ところで、昭和五八年六月になって被告会社はチトセ工業製造のスプレードライヤー用煙突、有本鉄工製造の原料タンク一基等を屋外に搬出したが、原判決は「河辺弁護士が仮処分されると製造プラント全体が動かせなくなるので、使い物にならない機械は外に放り出したほうがよいと言われたこともあり」(原判決六五丁)放り出したとあるがそうではない。このことは前述の清水証言(第三七回五丁)によって明らかである。

動かせるものは動かすというのは動かすことによって各製品の瑕疵を明確にさせる必要があり、そのような必要のないもの(動かすまでもなく瑕疵が明らかなもの)は放り出してもかまわないという助言を河辺弁護士がすることはあっても(そうするのが又弁護士として当然である)、仮処分されればプラント全体が動かせなくなることはあっても、そのことと放り出すこととは無関係であり、全体のプラントが動かせなくなるのに、使いものにならないものを外に出したからといって全く無意味である。

むしろ屋外搬出に関する河辺弁護士の助言は、セラミック製造プラントの計画を被告会社が放棄しており、「全て廃棄して出直したかった」被告人杉晃が、セラミック製造プラントの生産ラインを維持していたその理由が製造メーカー各社とのトラブルの解決にあったことを如実に示している(第八八回被告人杉晃三三丁)。

当時の滋賀工場長であり、現場の責任者である古川が、「ほかすんだったら全部ほかして欲しい」と考えていたこと、又清水勝利も昭和五八年六月初めのバーナー技術センター製造のトンネルキルンの検収の結果をみてその性能の不十分さ故に返還するように主張していた(第五三回古川彪二三丁、二八丁)こと、そしてその後になって、とにかく動かせるようにせよといってきたのが理解できなかったが、その後和解が成立したので完全に止めるという報告があったことによって、漸く、稼働させるべく改良したり、一部の設備について新たに施工をしたことの意味がわかったと証言していることにも留意すべきである(前古川同四三丁)。

2(一) ところで、原判決は、「有姿除却は、本来、使用価値がまったく失われた場合に行われるものである。」として、「損失を計上するに際しては使用価値がないことが客観的に確認される必要があり」とする(原判決六九丁)。

要するに、物理的に動く以上、使用価値がないとはいえないとしているのである。しかし、右有姿除却損失に関する原判決の解釈は誤りであり、セラミック製造プラントに関する固定資産に関する損失計上を認容しなかった原判決の解釈は法人税法の解釈を誤り、法令の適用を誤ったものである。

(二) 法人税基本通達七-七-二によれば、有姿除却とは「その使用を廃止し、今後通常の方法により事業の用に供する可能性がないと認められる固定資産」、「特定の商品の生産のため専用されていた金型等で、当該製品の生産を中止したことにより、将来使用される可能性のほとんどないことがその後の状況からみて明らかなもの」とされている。

有姿除却とは、固定資産が解撤、破砕、廃棄されていない場合でも、除却損算入が出来る場合のことをさすのであるが、右基本通達がいうところの、「今後通常の方法により事業の用に供する可能性がない」というのは必ずしも当該固定資産自体の使用価値が全く失われた場合のみをさすのではなく、一定の使用価値が物理的には存しても、事業の用に供する可能性がない場合は当然有姿除却損の計上が認められるとするものである。

(三) 企業は経済環境等の変化に応じて、設備の操業を休止することがある。このように設備自体は十分な使用価値があるにもかかわらず、稼働していない場合にどう会計処理をするのかという問題である。

休止固定資産の会計処理という問題であるが、このような場合は、固定資産が、(1)将来再使用の見込みが客観的(例えば保守管理が経常的に行われており、会社の事業計画においても将来の使用稼働が確実に見込まれている等)にあり、かつ(2)設備としての機能を現に有しているかという実態によって処置されている。

右(1)、(2)の条件がひとつでも満たされていない場合は、休止固定資産とは認められず、廃棄としての会計処理を行い、帳簿価格が利用価値、売却価格を越える額はこれを特別損失として処理すべきもの(中央経済社、日本公認会計士協会編、平成七年版、監査小六法九六二頁)とされている。

要するに、原判決の有姿除却損に関する解釈とは異なり、使用価値は設備それ自体が客観的に有する使用価値の有無のみを評価すべきではなく、企業の経営計画、及び設置機械の能力の現状等の総合的な評価にもよるというものであって、前記基本通達のいう「事業の用に供する」との解釈としては原判決の解釈は誤りであるとしかいえない。

(四) 被告会社のセラミック製造プラント設備について、昭和五八年七月期において、既に事実上廃棄、断念されていたことは前述のとおりである。又専門家の鑑定によりその中核的設備である全自動トンネルキルンが不良設備であって、この設備によって生産される製品に商品化するに足るだけの品質を保持させることが不可能であること、又当該設備機械の通常の改良、改善を施してもそれが不可能であることが判明しており、又内野が被告会社に説明していた需要、受注が架空のものであったことが判明した段階でセラミック製造プラント計画が客観的にも廃棄、断念されていたことは明らかである。現に、検甲三〇二号証の部長会議議事録上からは、昭和五八年一月以降セラミック製造プラント関係の発言の記載は一切存しない。

被告会社の最高経営幹部の会議において、セラミック製造プラントに関する議事が昭和五八年一月を機にその後は一切ふれられていないのは、右計画が被告人杉晃の意見によって廃棄、断念されたことの明確な証拠であるというべきである。(あるいは逆に、部長会議でセラミック製造プラント計画の断念が表明されていないのは、被告人杉晃が同計画を断念していないことの証左であるという者もいるかも知れない。しかし、当時内野の退職、セラミック製造プラントにかかる多額のリベート問題、設備機械の不良問題等、セラミック製造プラント計画は社内的には重大な挫折状況にあり、もし被告人杉晃がこれを断念していないのなら、セラミック製造プラント完成に向けて、社内体制を確立するために、遂行の意思を明示するのが当然である。セラミック製造プラント計画問題について、廃棄、断念する旨決定しているにもかかわらずこれに全く触れなかったのは、内野と共にこれを推進してきた被告人杉晃の面子があったからである。)

(五)(1) ところで、本来有姿除却損計上に関する解釈としては、「本来使用価値が全く失われた場合に行われる」とか「使用価値が全くないことが客観的に確認される必要がある」とする原判決の解釈は誤りであることは前述のとおりであるが、一方で有姿除却損を前述の日本公認会計士協会の如く解釈することも、実際上の税務行政上の混乱を導くものとする見解があるかも知れない。

(公認会計士は通常休止固定資産には該当せず、会計上廃棄とすべき場合はそのこと(廃棄)を明確にするための具体的処置をとることを指示している。例えば経費等の都合で解撤が困難な場合は取締役会等でこのことを確認させ、文書化させておくのが普通である。被告会社においては新屋税理士、藤井税理士からはこのような指導はなく、そのためこのような処置がなされていなかったのは事実であるが、だからといって有姿除却損の計上が失当であるとすることにはならない。)

そのような立場から、仮に原判決の如く、有姿除却損の計上が否定されたとしても、そのことから直ちに損失計上が否認されるべきではない。法人税法第三三条2項、法人税法施行令(以下単に令という)第六八条3項は固定資産に関する評価減について規定しているが、本件では仮に除却損計上が否認されたとしても、これらの規定によって評価損失の計上は認められるのであり、結局損失計上をすることが認容されるべきなのである。

令第六八条3項によれば、固定資産につき左記の場合には評価損が生じたとして、損失計上することが出来るとされている。

イ 当該資産が災害により著しく損傷したこと

ロ 当該資産が一年以上にわたり遊休状態にあること

ハ 当該資産がその本来の用途に使用することができないため他の用途に使用されたこと

ニ 当該資産の所有する場所の状況が著しく変化したこと

ホ (省略)

ヘ イからホまでに準ずる特別の事実

本件除却損計上にかかる損失については、仮に有姿除却損が否認されるとしても右令第六八条3項のヘを適用して容認されるべきなのである。

(2) 既述のとおり、本件セラミック製造プラント設備の導入は内野の存在を抜きにしては考えられない。内野はセラミック製造の中核的専門知識である熱学について博士号を取得しており、セラミック製造についての専門知識を有していると自称していたが、事実は全くの素人にしかすぎなかった。しかも内野が各設備機械の専門メーカーとして紹介し、各設備機械を請負わしたメーカーの大半も、既述のとおり、素人同然であった(チトセ工業、有本鉄工、バーナー技術センター、中部熱工業、山本鉄工の技術程度については前期第四一回西野寿雄六丁以下)。

しかも、内野は大量の受注が存するかの如く仮装した上、被告人杉晃を欺網し、有本工業、有本鉄工、チトセ工業、サンユー機械等に対して不要な設備機械を注文した上、各業者から巨額のリベート(サンユー機械については、実際の価格が一台五〇〇万円なのに一台当たりその倍以上の一一〇〇万円のリベートを得ている。弁第二三号証の内野の検面調書)を得ているのであって、そもそも各設備機械の請負契約とそれによる請負工事、設備機械の納入は内野の詐欺行為の手段としてなされたものであって、もともと各機械設備が所定の性能を有している筈もないのであり、まして購入価格に対応する価値などないのである。

更に内野は前述のとおりセラミック製造についての専門的知識も有しておらず、同人が作成した図面に従って作成した機械自体に所定の性能を有すると期待する方がもともと無理なのである。

そして現に、各設備が昭和五八年六月頃において、チトセ工業のスプレードライヤー二基は外形だけのもので全く使いものにならない状況であったこと、有本工業の泥漿前処理装置はポンプや配管さえもなかったこと、バーナー技術センターのトンネルキルンも全く焼成能力が不十分で、生産能力も所定の三分の一程度、製品歩留りは一割にも満たなかったこと、中部熱工業のスプレードライヤーも全く能力のないチトセ工業が手を加えたため、使いものにならなかったこと、林正産業、チトセ工業、有本鉄工の原料タンク四基はいずれも内部構造に問題があり、原料を入れると歪んだり、溶接部分が飛んだりする危険なものであった。チトセ工業、有本鉄工の攪拌タンク四基は、スプレードライヤーが不良であったため、又錆が生じていたこともあって昭和五八年六月に入って屋外に放り出してあったという状況である(第四一回西野六丁以下二八丁まで)。

いずれにしても少なくとも昭和五八年六月末ごろの段階では、本件セラミック製造プラントの設備機械は客観的に、重大な瑕疵の存したことは明らかである。

しかもそれが全て内野の詐欺的行為に起因するものであり、かつ各設備が本来予定していた用途にそのままでは使用できないものであることが明らかである以上、令第六八条3項のヘに該当する(イ、ハに準ずる)場合として、評価損計上が認められ、損失計上することが認容されるべきである。

(3) ところで有本鉄工製造の原料タンク一基は、補強のうえセメントサイロに転用し、同じく攪拌タンク一基は水ガラスタンクに転用されているのであるが、これらについては、原判決は「不良箇所があっても改良又は補強することによって使用可能となったり、あるいは、当初予定していたセラミック設備に供することができなくても、補強のうえ、セメントサイロ等に転用した結果、タンクとしての機能を発揮できたものであるから、これらの機械設備について、その使用を廃止し、今後通常の方法により事業の用に供する可能性がなかったとは認められず、固定資産除却損として計上することはできない」とする(原判決六九丁)。

要するに原判決は右タンク等については少なくともセラミック製造プラントの関係では客観的に不要であると認定しているにもかかわらず、物理的な使用価値は残っているとして、除却損として計上することは一切認容されないというのである。

しかしながら、これらの転用された原料タンク、攪拌タンクを含めて、原料タンク二基、攪拌タンク二基は、昭和五八年七月期においてセラミック製造プラントとの関係では客観的に不要となっているのであるから、本来有姿除却損の計上を認容すべきであるし、そうでないとしても少なくとも転用された前期二基については、令第六八条3項のハに該当するのであるから、評価損計上は当然認容されるのである(少なくとも原判決はこの点で法令の解釈適用を誤っていることは明らかである)。

原判決の解釈は固定資産について有姿除却損の計上を認めた法の趣旨、即ち、解撤に過大な費用等を要する場合には、解撤しないでもその使用を廃止したと認められる場合には損失計上を認めるという趣旨、あるいは評価損についての令第六八条の趣旨を逸脱している。

客観的に機械設備の本来の使用が不可能である場合は、除却損、あるいは評価損のいずれかの損失計上を認容するというのが法令の正当な解釈である。

客観的に固定資産の使用を廃止しているのに、除却損失の計上も評価損失の計上も、いずれの方法による損失計上も認めないということでは、結果的に物理的廃止状況をつくること、あるいは他への転用状況をつくることを強いることとなり、不要な解撤費用の支出、あるいは転用費用の支出を強制することになってしまうからである。

3 原判決の除却損問題に関する誤りの三点目は被告人杉晃、同晴美の犯意に関する事実認定の誤りである。

(一) 原判決は、

「 このような処理をした場合、同期において多額の所得が生ずるため、これらの機械設備を使用不能として損金で落とすことを考え、昭和五八年八月二〇日ころ、清水が新屋税理士事務所に電話して「滋賀工場のセラミック設備が不良なので新屋税理士に見てほしい。」旨の連絡をし、その後、被告人杉晃は、被告会社において、同税理士及び田村に対し、滋賀工場のセラミック設備の図面を見せながら説明し、これらの機械は使いものにならないので、損金で落としてほしいと依頼した」

とし、

「 同年九月七日ころ、滋賀工場に赴き、現場で被告人杉晃からセラミック設備の状況について説明を受けたが、この際、田村は、一連の設備として据えつけられている機械も使い物にならないという同被告人の説明に疑問を持ち、「これらは使えるのではないか。」と尋ねたところ、同被告人は、「使えないので、全部損金で落としてほしい。」と要求した。なお、当日の現況確認の結果、新屋税理士も藤井弁護士も、一部についてはともかく、全部を除却処理することは困難であると判断していた。

その後、新屋税理士事務所では、例年どおり、昭和五八年九月一〇日ころから精算表等の作成作業に入り、滋賀工場のセラミック設備について固定資産除却損として計上、処理することとしたが、被告人晴美は、前記雑収入で受け入れた機械設備分を含め、他のセラミックの機械設備もすべて使用不能であり、全額損金として処理してほしい旨依頼した。

そこで、新屋税理士らは、昭和五八年七月期にこれらの設備を固定資産除却損として損金計上することとしたが、全部について損金として処理することはできないと判断し、確定申告書作成の際、被告人杉晃らの希望する固定資産除却損の合計額は約一億八〇〇〇万円であったが、資本的支出として五〇〇〇万円を嵩上げすることとし、精算表の説明をした際、「経費にならないものが五〇〇〇万円くらいあるかも知れない。」と説明した」

とするのである(原判決六五丁以下)。

しかし右事実認定は事実を誤認したものであり、被告人杉晃、同晴美の犯意についての事実を誤認したものというべきであり、判決に影響を及ぼす事実誤認である。

以下詳述する。

(二)(1) 原判決によれば、固定資産除却損の計上は、被告人杉晃が機械設備代金を雑収入として計上するという仮装処理をした場合、多額の所得が生ずるために損金処理すべく新屋税理士に持ちかけたということになるが、そのようなことは絶対ない。

もともと被告人杉晃は勿論、被告人晴美も、会計、税務に関する知識が全くないのであって、固定資産除却損などという高度な税務知識を要する処理によって所得金額を減少させる等ということを思いついた等ということ自体、極めて不自然であり、合理的でない。

真実は新屋税理士の事務員である田村郁雄が被告会社の昭和五八年七月期の決算をする作業をしている際に、元帳上に取毀し費用三五〇万円が計上されており、田村からこの費用は新屋税理士に対して損金で落ちるのかどうか聞いたのがきっかけであり、新屋税理士は取毀し費用があるなら毀した機械設備があり、それは固定資産除却損に計上できると考えたことが事の起こりなのである(第八回新屋一七丁、第五八回新屋二八丁、第五四回田村二七丁、尚検第二三九号証の元帳中の雑損勘定科目の上から三行目「日本重量、ドライヤー解体撤去作業三六五万円の記載)。

その後田村は被告会社の清水勝利から説明を受けると共に資料の提出を受けた上、セラミック製造機械の状況等について説明を受けたが、被告人杉晃からその設備機械を専門家の目でみて税務上どのようにしたらよいか判断をしてくれといわれて、昭和五八年九月七日に被告人杉晃、同晴美、新屋税理士、藤井税理士、田村が被告会社の滋賀工場に赴き、セラミック製造プラントの状況を視察した。滋賀工場においては前記設備機械の状況を客観的に把握していた滋賀工場長である古川彪が新屋税理士らに各設備機械の状況を説明し、除却損計上の対象となったセラミック製造プラントの各機械について全然使えない旨の説明をした(第五三回古川四五丁以下、第五五回新屋一〇丁以下、第五四回田村二八丁以下)。

この際、被告人杉晃はほとんど説明をせず、専ら古川が説明をしたことは前記証人の供述のとおりである(尚藤井税理士の検面調書〔検第一九二号証〕では被告人杉晃が説明したとされているが、滋賀工場長である古川がおり、同人が最もよく設備機械の状況を知っているのであるから、古川が専ら説明するのが当然で、被告人杉晃としては内野に騙されてこのような劣悪な設備機械を導入した当の本人であり、説明するのさえ不快であって当然である。)。

ところで田村邦雄の検面調書(検第一九八号証)では、原判決が認定しているような、被告人杉晃が被告会社で「これらの機械は使いものにならないので、損金で落としてほしい」といったとか、滋賀工場の視察の際に、田村が被告人杉晃に「これらは使えるではないか」と尋ねたところ、同被告人は「使えないので、全部損金で落としてほしい」と要求した旨の記載があることは事実である。

右検面調書は弁護人の同意にかかるものであり、証拠能力自体はこれを認めざるを得ないが、全く税務、会計上の知識のない被告人杉晃が(被告人杉晃が税務、会計に関与していないことは関係者全員が認めているところである)、機械を使えないという形にして損金として計上する等ということを考えつくなどとすることが、そもそも客観的にいってあり得ず、不合理である。又、一介の事務員である田村が(税理士である藤井、新屋ではなく)、被告人杉晃に対して(古川工場長ではなく)「これらは使えるのではないか」等という形で被告人杉晃の説明するところを否定する発言をする等ということも又不自然、不合理である。

もともと被告人杉晃が主導的な立場であったというのであれば、新屋、藤井両税理士らが滋賀工場に見にいく必要もなく、被告人杉晃の説明に従ってそのまま税務処理をすればよいのである。被告人杉晃には除却損等という税務、経理上のことは全くわからないため、専門家の眼で見てもらって、専門家の立場で処理して欲しいということで滋賀工場に赴いたにすぎないというべきである。

田村の前記検面調書は、固定資産除却損の計上についても被告人杉晃が関与しているとの予断の下で誘導されたもので、かつ後述するように新屋税理士が積極的にやるなら今だとして被告人晴美に対して脱税を教唆していたことを知っており、かつ田村自身が脱税のために売上帳等の改竄をしていたために、自己及び新屋税理士に対する刑事責任の追求を免れるべく迎合したものであり、この点からいっても信用性を認める余地はない。

(2) 原判決は前述のとおり、「雑収入で受け入れた機械設備分を含め、他のセラミックの機械設備もすべて使用不能であり、全額損金として処理して欲しい旨依頼した」と事実認定をしているが、事実誤認である。

右の如き原判決の事実認定に資すべき証拠は実は全く存しない。被告人晴美の昭和六〇年二月一一日付検面調書(検第三四七号証)の一五項では、除却損に計上してもらうのは雑収入に計上したものに限定されていたとされている。又一方の田村の前記検第一九八号証の検面調書でも「ほかにもあかんのがあるんですわ」と被告人晴美がいった旨の記載はあるが、他のセラミック機械設備も全て使用不能であり全部損金で処理して欲しいとの記載は存しない。

右田村の検面調書では右発言に引き続いて振替伝票、及び総勘定元帳中の建設仮勘定欄、固定資産除却損欄の記載が被告人晴美と田村によって記入されているとの記載が続いているのであって、原判決の右指摘に対応する趣旨の記載はない。

ところで、バーナー技術センターの製造したトンネルキルンについても、除却損の計上がなされているが、これは雑収入として計上されてはおらず、材料費として計上していたことは原判決も認めているところである(原判決一六丁裏)。

他方原判決は、固定資産除却損計上の動機をセラミック製造設備機械を雑収入として計上したために生じる所得を減少させるために被告人杉晃が思いついたものとしているために、右トンネルキルンについても除却損が計上されていることの合理的説明がつかないこととなる。そこで前記田村の検面調書の記載にとびつき、強引にも被告人晴美が雑収入に計上していないトンネルキルンについても、除却損計上をするよう要求した旨牽強付会な事実認定をしたのである。

仮に原判決が認定するようにセラミック製造プラント関係の設備機械が全て使用不能であり、除却損として計上する旨被告人晴美が田村に要求したというのであれば、丸善エンジニアリングの製造したLPガス供給発生設備、山本商事の製造したプレス機のいずれについても(原判決六一丁)、除却損として計上するのが当然である。しかしこのような計上がなされていないことに争いはない。この点からいっても前記原判決の認定は合理的ではない。

雑収入として計上されていないセラミック製造機械設備のうち、トンネルキルンについては、除却損の計上がなされ、LPガス供給発生設備、プレス機については、除却損の計上がなされていないのは正に被告人杉晃がセラミック製造設備についての除却損の計上を自ら考えついたものではなく(機械が使いものになるか否かを対税務上の問題として認識していたのではなく、機械そのものの性能上の問題として考えていたことを端的に示している)、どのように税務処理するかについては全て新屋税理士らに一任していたことの端的な証左である。

(3) 原判決は前記(1)、(2)のとおり、セラミック製造設備の除却損計上は被告人杉晃、同晴美らによる積極的な脱税の意図によるものと判示して、新屋税理士らが奈良税務署に再三にわたって、除却損の計上について打診をしていること(第五八回新屋二六丁以下)を意図的に無視しているのも重大な事実誤認といわねばならない。新屋税理士は被告会社の滋賀工場に視察に行き、セラミック製造プラントの状況を視察し、各設備機械が除却損として計上できるとの一応の判断をした(もともと積極的な脱税を意図している者が税理士などに現物を確認させる等ということはあり得ない。見せたら脱税の意図がバレてしまい、無理であるといわれてしまうのは明白である。しかも本件では新屋税理士のみならず、藤井税理士も視察しているのであるから尚更である)のであるが、大規模かつ多額の除却損であり、有姿除却損の計上については往々にして税務当局との間で見解の相違が生じることもあるため、念のために税務署の意向を確認しているのである。

尚、仮に新屋税理士、藤井税理士らが使えないと指摘されたセラミック製造プラントの設備機械について、税務当局から物理的に使えるものもあると指摘されることの可能性を憂って、これに備えて予め資本的損失を計上したとしても、それは新屋税理士らの保身からの独断によるものである。

専門家としては、仮に現状では全額についての除却損計上が困難と考えていたのならその理由を示し、全額除却損として認容されるために必要な措置(セラミック製造プラント計画を現実に断念し、かつその旨取締役会で議決する、あるいは被告会社が主張する様な理由で外形上ラインを稼働するということであればこれに応じた必要な措置)をとることを教えればよいのであり、仮にプラント計画の廃止まで考えていないというのなら、中止した段階で右記の措置を取った上で、その時期に除却損計上をすれば認容できることを教えてやればよいのである。

このような措置をしなかったのは両税理士の除却損計上についての知識不足によるものである。自己の専門知識不足による誤った認識から生じた姑息な自己保身によってなした誤魔化しを逆手にとられて、原判決の如き認定をされては被告人杉晃に余りに酷である。

セラミック製造プラントの設備関係について除却損を計上するについて、被告人杉晃、同晴美が積極的な脱税の意図を有していたとする原判決の認定と新屋税理士らの行動は全面的に矛盾しているといわねばならない。

三、まとめ

固定資産除却損に関する原判決の誤りは前記二で詳述したとおりであるが、以下控訴理由としてこれを簡単にまとめることとする。

1 原判決は被告会社、被告人杉晃においてセラミック製造プラントの建設計画が放棄、断念され、現実に、建設は進行しておらず、稼働もされていないのに、これを誤認して、計画は続行中で建設は進行し、機械の改造、改良を被告会社はしていたと事実を誤認した。右事実誤認の結果、原判決はセラミック製造設備機械のうち、原判決添付別紙3記載のとおり(但し(3)の暁工業所のプレス、二五〇万円は除く)、バーナー技術センターのトンネルキルン、中部熱工業製造のスプレードライヤー、林正産業製造の原料タンク二基及び鉄筋曲機一台(なお、ここで一言すると、鉄筋曲機は、被告会社滋賀工場ではなく、本社工場にあった〔原判決六三丁表〕。ところが、清水勝利作成の確認書〔検四七四〕には、同人が右滋賀工場に設置されていたセラミック設備用諸機械の形状、性質について、「現状を調査し、」右鉄筋曲機についても、正当除却額は〇、差引過大除却額一三五万円と判断した、即ち正常に作動した旨記載し、それを「真実と相違ないことを確認します」としている。そこにない機械の現状を調査したとしている。この一事からしても、セラミック設備につき、除却損の過大計上であるとしている確認書の記載内容は設備、機械の現状確認に基づかない、極めて不正確なものといわざるをえない〔なお、藤本昌輝の原審第六一回公判調書二〇丁ないし二五丁参照〕。右確認書等に基づき鉄筋曲機を「正常に作動した」と認定し、またセラミック設備について除却損の過大計上であったと認定している原判決の認定〔六三丁表、六七丁表、六九丁〕は事実を誤認したものである)、有本鉄工製造の原料タンク一基、攪拌タンク二基につき合計一億八九二万五七六一円の固定資産除却損の計上を誤って否認したものであり、その結果秘匿所得額、ほ脱税額について事実を誤認している。右誤認が判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。

2 原判決は固定資産除却損の計上に関する法人税法二二条四項、法人税基本通達の解釈とその適用を誤り、あるいは評価損に関する法人税法三三条2項、法人税法施行令第六八条3号の解釈とその適用を誤り、損失計上すべき金額を誤って否認し、結局罪となるべき事実であり、判決に影響を及ぼすことが明らかである秘匿所得額、ほ脱税額について事実を誤認した。

3 原判決は被告人杉晃、同晴美の固定資産除却損計上について、被告人両名には損失計上することが出来ないとの認識も又不正な方法によるものとの意思もないのに、両被告人において損金計上できないのを知りながら脱税を積極的にこれを企画、意図したとし、被告人両名の積極的な犯意を認めたが、虚偽過少申告による法人税逋脱犯の故意につき判例の立場に立っても、右事実誤認は少なくとも量刑に著しく影響を与える事実誤認であることは明らかである。

第二、量刑不当について

原判決は被告人杉晃を懲役一年六月の実刑に処し、被告人晴美を懲役一年六月執行猶予四年に処し、被告会社を罰金一億円に処したが、いずれも量刑が著しく重く、量刑不当といわざるを得ない。以下詳述する。

一、本件に至る経過、被告人杉晃の関与状況に関する基本的な疑問点について

1(一) 弁護人髙野は、当審において弁護人に選任されたものであるが、まずはじめに弁護人髙野の心情を率直に語ってみたい。

当弁護人は、弁護士登録をして二一年目であるが、大阪を中心にして数多くの刑事事件を担当してきた。冤罪事件、公安労働事件、一般の自白事件、否認事件等種々である。当職の一貫した姿勢は、自分自身の気持ちに正直に被告人に対応し、自分なりの納得のいく弁護をするというところにあると自負してきた。そしてその際に、当職は被告人の人格がいかなるものであるかを理解すること、その人格と公訴事実はどう結びつくのか、又結びつかないのかということに徹底してこだわり続けてきた。弁護人は長期間被告人と接触し、率直な意見交換の中で、被告人の全人格をそれなりの形で自己の中で理解し、各事件の中の被告人像をそれなりに形成していくものである。又、そうでなければ真の意味での被告人のための弁護活動は出来ないのではないかと考えている。

弁護人自身が公訴事実を含めた被告人の全体的人格像を自己の中に形成することは必要不可欠のことである。又、そのような視点なくして公訴事実として提起された被告人の行為の位置付けをすることは不可能である。それは、ある場合は冤罪という位置付けとなり、ある場合は全く異なった視点からの公訴事実に対する評価となり、又ある時は情状論的視点からの弁論として展開されることもある。

(二) 当弁護人髙野は控訴審において本件を受任して以降、本件各記録を精査し、又被告人杉晃、同晴美との打合せを頻繁に行ってきた。

当初、ざっと記録を読んだ時の印象は正直いって、原審論告における指摘がむしろ正鵠を射ているという印象であった。しかし、被告人杉晃と打合せをする中で垣間見る同人の人柄はその印象を減殺し、検察官の論告、原判決の指摘は誤っているのではないかという思いが生じてきた。

弁護人髙野は、子供の時に父が稼働していた工場を見学した時の印象からか、「工場」が好きで打合せの合間に被告会社の本社工場の見学を申し出た。被告会社の本社工場を見学した時の私の印象は強烈であった。本社工場は古びた工場であり、数多くの型枠、半製品、製品、各工程に必要な機械工具が存在するのであるが、工場の隅々にまで、又工具のひとつひとつ、製品、半製品の配列状況等に極めて行き届いた「思い」、「考え」が込められているのである。

更にその後、被告人杉晃の日常の作業場所を見た時の印象も又鮮烈なものであった。大きな製図板に囲まれた小さな机が同人の日常的作業場所なのである。関係証人の供述調書中の被告人会社二階の事務所の図面等で一応の状況は認識していたが、被告人杉晃の作業場所は専門技術職の作業場そのものであった。

要するに弁護人髙野は、被告人杉晃は真に技術専門職に徹した人という鮮烈な印象を得たのである。

それは被告人杉晃との打合せを重ねる中で益々明確となった。いつも口が重く、断片的にしか口をきくことがないのである。

2(一) 本件について、何よりも弁護人らの腑に落ちないのは、被告会社が昭和五六年一〇月二八日に大阪国税局の査察調査を受け、被告会社と被告人杉晃は昭和五七年六月二九日に奈良地方裁判所に法人税法違反で起訴され、同五七年九月一〇日に同裁判所で被告人杉晃は懲役三年執行猶予四年の判決を受けていながら、何故再び本件の如き公訴提起を受けるに至ったのかということである。

弁護人らは数多くの刑事事件を扱っており、その中には再犯、累犯のケースも多々ある。しかしそれらについても、被告人の人格、特に規範意識や社会環境等によって再犯、累犯に至った理由も理解できるのである。

しかしながら本件については、被告人杉晃が脱税で懲役三年執行猶予四年という判決を受けていながら、何故にその直後に再度同じ脱税をしたのか、全く理解が不可能なのである。被告人杉晃と接触すればする程理解が出来なくなるのである。益々腑に落ちないのである。被告人杉晃には一切前科、前歴がないのは勿論である。しかも不動産屋やパチンコ店等の脱税をよくする業者ではなく、コンクリート製品の製造という地道な生産活動に従事し、早朝から夜遅くまで、日曜、祭日もなく、新製品の開発に集中している技術者である被告人杉晃と、脱税犯、まして執行猶予中に再度脱税をするという反社会性、反規範性の強度な脱税犯というイメージは絶対に重なりあわないのである。

まして、会社事務所の狭い三階を自宅として長年にわたり使用し続け、ネオン街での遊蕩もせず、ゴルフや海外旅行等も全くせず、ヨットや高級外車を所有する等という贅沢をしていない被告人杉晃が脱税を、しかも二度も脱税をする等ということが想像できようか。

(二) 更に、もうひとつの根本的な疑問は、滋賀工場におけるセラミック製造プラントの設備機械の導入問題に関する内野に対する被害申告の問題である。被告人杉晃らを欺き、多額のリベートを上乗せした注文書等を偽造して、リベートを着服したあげく、「秘密を守ります」等といって被害申告をすれば脱税をしたこと等を暴露するとまで「脅して」姿をくらました内野に対して、同人を、被害申告したということである。

詳細は後述するが、脱税で執行猶予中であり、しかも猶予中であるのに売上げ除外、つけ込み、経費の架空計上をしているのに、脱税が発覚する可能性の恐れのある内野に対する被害申告をする等という行為を何故にしたのか、常識的には全く考えられないのである。内野に対する被害申告に関しては、各リベートを上乗せした機械の注文購入に関する請求書、帳簿の提出が必要であり、それらの各機械の請求書は機械名下での請求書ではなく、帳簿上も機械の購入として記載されていないのである。このような請求書、帳簿等を提出すれば、不正な操作、脱税のための操作がなされているということは一目瞭然なのである。

しかも、被告会社は奈良市内では著名な企業であり、かつ前回の脱税事件は地元で大々的に報道されており、記憶に鮮明に残っているのである。警察が被告会社は再度脱税をしているということに気付かない等ということは絶対にあり得ないのである。脱税で執行猶予中の者が、このようなことをするというのは、例えていえば、強盗罪で執行猶予期間中の者が、再度強盗を犯して取得した金を泥棒に盗まれたと警察に告訴するようなものである。

にもかかわらず、かつ内野は「秘密は守ります」とのメモを残し、その秘密が脱税にかかわるものである旨のものであることを西野らは内野から聞いているのに(西野の第八回公判調書三〇丁、検第二四六号証西野のメモ)、被告人杉晃はためらうことなく被害申告をし、わざわざ「脱税」と誤って評価されるおそれのある資料を警察に提出しているのである。他方、被告人晴美も相談を受けた新屋税理士らも被告人杉晃の被害申告を止めていないのである。

右事実は被告人杉晃が売上げ除外をしていることを知りもせず、又つけ込み、経費の仮装等について全く認識を有せず、あるいは少なくとも脱税をしているという違法意識を全く有していなかったことを端的に示している。脱税を実行している被告人晴美、新屋税理士が、被告人杉晃に対して右被害申告を中止するような行動を一切しなかったことは(被告人晴美と新屋税理士は仮装計上については修正申告をして、雑所得計上に訂正することを協議しているのに)被告人晴美が被告人杉晃に隠れて脱税をしていたため、被告人杉晃の被害申告を制止できなかったことを端的に示しているというべきである。内野に対する被害申告をやめさせるには、執行猶予中の被告人杉晃に隠れて、被告人晴美が再度脱税をしていたことを正直にいうしかないが、仮にそうして被告人杉晃が内野に対する被害申告を中止したとしても、このようなことをした被告人晴美に対する怒りが爆発し、場合によっては離婚にまで発展しかねないのである。

内野のいう「秘密」が何であるのかについての被告人杉晃の被害申告段階での認識(リベート問題、セラミック製品に関する実用新案の問題であるとの認識)と、西野メモ上の記載(仮装計上)とは矛盾しているが、少なくとも被告人杉晃が(売上げ除外、つけ込み、仮装計上等を実行して)脱税を実行しているという意識を有していたら、確実に脱税を暴露するに至る内野に対する被害申告を絶対にする筈はない。内野に対する被害申告をすることは何の利益ももたらさないことを考えれば尚更である。内野もリベート取得が必ず発覚すると確信しながら、巨額のリベートを、注文書の偽造等という方法で実行したのは、執行猶予中の被告人杉晃が再度「脱税」をしている以上、各リベート取得先と争って、事を公にしないと考えていたからである。しかるに被告人杉晃は取引先と争うどころか、自殺的行為ともいうべき内野に対する被害申告をするということを実行したのである。

被告人杉晃の「犯意」はこの根本的な問題の評価を抜きにして認定することは不可能である。

しかるに原判決はこの問題についての判断、評価をしていない。弁護人らのこの問題に関する評価は第一次的に被告人杉晃には「犯意」がないということであり、仮に弁護人らの結論が否定されるとしても、後述するとおりの心理状況、認識状況であったとするべきである。

(三) 原判決は本件の動機について、「『取られたものは取り返したい』という利欲にかられ、また自由に使える裏金を蓄え、不況時に備えたいと考え、査察が入ったのちはしばらく摘発されることはない」(原判決七三丁)と考えて再度の脱税に走ったというのがあるが、そのような動機で被告人杉晃が再度の脱税に走るとは到底考えられない。

即ち、昭和五七年、五八年はバブル景気が沸騰し、その後五、六年間これが継続していく時期であり、不況に備える等ということは考えられないし、利欲にかられたという点についていえば、金儲けであれば当時の状況ではもっと容易な、手っ取り早い別の方法が存在していたのは明らかであり、それを考えればよいのである。査察が入った後は暫く摘発されないということが事実として存在しても、脱税はひそかに自分一人で行うことができるものではなく、その痕跡も必ず残るものであり、いつ発覚しても不思議ではないのである。現に脱税の裁判中であり、又長期間の執行猶予判決を受けたものが、発覚しない等ということを考えるとは到底考えられない。覚せい剤事案などではしばしば審理中、執行猶予期間中に再犯を犯すことがあるが、薬物に対する強度の親和性は理性的なコントロールを超えたものであり、又覚せい剤は使用した痕跡もすぐに消失するし、譲渡者も同じ犯罪を犯した者であり、発覚の危険性は客観的にも少ないことが脱税とは著しく異なるところである。

検察官は原審の論告の中で、「このような悪質な脱税事件は他にその例をみない」と断言した(論告五頁)。弁護人も被告人杉晃が仮に原判決がいうように、被告人晴美と同様の認識があったというのであれば正に「他に例を見ない」者ということを認めるしかない。

しかしそのようなことは弁護人らの法曹としての経験の中で得た認識の範囲を越え、想像の範囲を越えるものであり、理解不可能なことである。被告人杉晃が人格破綻者であると考えるしかないのである。しかし現実の被告人杉晃は人格破綻者ではないのである。

では一体どう理解したらよいのであろうか。

この問題を解く最大のカギは、前述した内野に対する被害申告問題と、被告人杉晃の妻である被告人晴美に対する暴力行為、娘である草竹宏子作成のメモにあると当弁護人は思料する。

3(一) 被告人杉晃が同晴美を殴打し、離婚を迫り、自分の首がかかっていると言明したことは両名の公判廷の供述によって明らかである。

(第八八回被告人杉晃四七丁裏、第八三回被告人晴美一七丁裏、但し昭和六〇年二月一一日付被告人晴美の検面調書〔検三四七号〕では昭和五八年一月二一日の頃とされている。被告人晴美の右供述調書中では、子供達がいる面前のこととされているが、そうだとすると公判廷供述のとおり昭和五九年三月以降のことというべきである。又、もしそれが昭和五八年一月の頃ということになれば、その段階で脱税は中止されているのが当然であり、昭和五八年七月期の申告は適正になされていてしかるべきであろう。)

又藤井税理士も「人伝てに草竹社長が自分は知らなかったといって奥さんを強く叱ったことがあったという話があった」旨供述している(検第一九二号証藤井の検面調書六項)。

被告人杉晃が本件脱税について、明確に知っていたのならこのような行動に出る筈がない。

被告人杉晃の前科である脱税事件は売上除外(売上時期の繰延べによるものを含む)がその中核であり、それに若干の架空仕入れの計上、棚卸しの一部除外であった。

売上除外が脱税にあたり、これが処罰されることはいかに税務に疎い被告人杉晃であっても、現に脱税に問われて取調べを受けた以上これを認識して当然である。

しかし、個人勘定の会社勘定へのつけ込みや機械設備等の資産となるべきものの購入を材料費や消耗品として仮に処理していることについての認識を有しているとされた場合でも、それが「脱税」であるのか、「節税」であるのかの区別がついていたのかどうかを十分に検討する必要があるのではないかと弁護人は考える。税務知識、会計知識について全くの素人であり、新製品開発のために日夜熱中し、いわゆる「専門馬鹿」的側面が存することを否定できない被告人杉晃においては世上ママみられる違法な「脱税」と適正な「節税」との区別がつかない人物である可能性が存することである。そのように考えてはじめて被告人杉晃の本件との関わりの状況が総合的に理解できるのではないだろうか。

(二) 検第三〇一号証の被告人両名の長女宏子が作成したメモには次のような記載がある。

「 新屋さえ母をだまさなければこんなことにはならなかった。なぜなら“奥さんやるなら今です。絶対やりなさい”といって脱税させたのだから。私もうかつだったあのときはわけもわからずで新屋のいうとおりに帳簿をかきなおしたが、今考えるとあれが脱税するための帳簿の書き直しだったんだ!あの時簿記の知識があれば反対することもできたのに毎月田村さんと二人で家にやって来ては日曜日にこっそりしていたことは脱税だったんだ!父があれだけ、“私の首がかかっていますので先生よろしくおねがいします”と云っていたのに“社長は心配せんと図面ひいてはったらよろしいねん”と父を仲間はずれにして、・・・だまされていたんだ」それなのに父も母もあの新屋をかばって自分達が苦しんで」という内容のものである。同メモはその余の記載内容の激烈さ、査察官に対する罵倒等からいって宏子の当時の心情を率直に吐露したものというべきである。

右のメモ内容は、要するに本件が基本的には新屋税理士の被告人晴美に対する積極的な教唆によって引き起こされたものであることを端的に示している。

他方、被告人杉晃がことあるごとに新屋税理士に対して、執行猶予中であることから二度と“脱税”など起こさないように指導してくれと頼んでいたことに対して、「社長は心配せんと図面をひいてはったらよろしいねん」等といって安心させていたことを物語っている。「父(被告人杉晃)を仲間はずれにして・・・だまされていたんだ」とは母(被告人晴美)と新屋税理士が二人で脱税の作業をしていて、父(被告人杉晃)をこの中に入れず、ことさら脱税などさせないから安心せよといっていたことを示しているというべきである。

あるいは検察官は“私の首がかかっていますので先生よろしくおねがいします”というのは脱税が発覚しないように「よろしくおねがいします」という趣旨であると曲解して主張するかも知れない。しかしそう解することはその後の「父を仲間はずれにして・・・」という文言と矛盾してしまうのであり、そのような主張は全く根拠がない。又冒頭の部分の「新屋さえ母をだまさなければこんなことにならなかった。なぜなら“奥さんやるなら今です。絶対やりなさい”といって脱税させたのだから」という新屋税理士による脱税の教唆の対象は被告人晴美(母)に限定されていることとも右主張は矛盾する。

要するに被告人晴美は新屋税理士に「やるなら今です」といわれて、つまり査察を受けると当分の間は税務調査はないといわれて(第九〇回被告人晴美一一丁裏等)脱税を敢行したが、税務調査が入ったため結果的に新屋税理士に騙されたことになり、被告人杉晃は新屋税理士に対して二度と脱税などないように会社の会計処理、税務処理を適正にしてくれと頼んでおり、新屋税理士も心配しないでよいとこれを請け合っていたのに、真実は逆に新屋税理士の被告人晴美に対する積極的な脱税教唆により脱税をしてしまったという意味で、二人とも新屋税理士に騙されていたから「あんな身障者(新屋税理士-弁護人)にだまされたうちの父と母もかなりのバカだ」という記載となっているのである。

ところで、宏子も何回か帳簿類の改竄に従事していたのであるが(原判決一五丁)、その宏子にしてからがそれが脱税の準備行為であることを理解することが出来なかったことが右メモから窺われるが、このことは前記(一)の被告人杉晃の「脱税」の認識状況の可能性に関する当弁護人の論拠のひとつとなる事実ではないかと思料する。

4 原判決、原審論告においては、被告人杉晃と被告人晴美が夫婦であり、両者の利益は共通しており、被告人晴美の思いは被告人杉晃の思いであるという(論告一三頁)。しかしながら被告人杉晃と被告人晴美の立場は著しく異なったものであった。

(一) 被告人杉晃は二〇〇〇以上の工業所有権を取得するという、三〇年以上にわたる、それこそ血の滲むような努力を尽くして築き上げた被告会社の地位、信用性を、前回の脱税摘発直後からの大々的な報道、有罪判決によって大きく傷付けたもので、経営者として被告会社の信用低下を回復するべき立場にいた。特に官公庁、公団等との取引の多い被告会社にとって信用回復は至上の命題であることは明らかである。又刑事被告として懲役三年、執行猶予四年という判決を受けた被告人杉晃は、自動車事故を起こしても場合によっては執行猶予が取消されることがあるとして、自動車の運転さえ避けていたのである。再度脱税をすれば前刑とあわせた期間、実刑に処せられることは誰よりもよく知っており、万一このようなことになれば、それが自己にとっての苦痛であるのみならず、被告人杉晃一人の、技術者としての力量のみによって発展してきた被告会社が凋落することは必至である。

他方被告会社はもともと恒常的な黒字会社であって、前回の事件による二〇億円余りの税金の納付をしても尚十分な資金を有しており、又銀行からの借入れはこれまで全くしておらず、優良企業としての資金調達能力も十二分に存していたのである。

従って、被告人杉晃が前回の摘発後に再度「脱税」を敢行すべき動機、理由は全くない。

(二) 他方、被告人晴美は前回の査察時まで被告会社の会計として被告会社の財政を預かるとともに、被告人両名の家計を預かっていたものとして、前回の脱税の結果、所得を上廻る約二〇億円の納税を「強いられる」こととなり、被告会社、被告人両名の財産を著しく減少させたことの責任を痛感せざるを得ない立場にいた。勿論被告人晴美は被告人杉晃の妻であり、被告人杉晃に対する執行猶予判決に無関心ではあり得ないのは当然であるが、やはり刑事被告人であった被告人杉晃程には身につまされていなかったであろうし、更に会計として被告会社の財産、被告人の財産を極端に減少させたことの強い自責の念から逃れることが出来なかったのである。

しかも、当初は納税は一七億円か一八億円ぐらいでおさまるということであったが、売上除外以外の棚卸し手続、枠代の処理の各ミスによって生じた分についてまで、三五%の重加算税を賦課させられてしまい、結果的に税務署に裏切られたという心境になっていたことも本件における被告人晴美の動機として留意すべきである。

5(一) 被告人晴美は、このような執行猶予判決を受けた被告人杉晃の妻であるという立場と会計を預かる者という立場の中で、動揺をし続けていたのである。このことは昭和五六年一二月に大阪において数行の銀行に取引口座を設けながら被告会社名義にしていたこと、又昭和五七年五月までは右口座で取立てた手形等については売上帳等に記入しており、売上除外を現実にしていたわけではない(第七九回被告人晴美一九丁、第八〇回同一丁以下八丁)ことに端的に示されている。

昭和五七年六月からは、右大阪における被告会社名の各銀行口座からの手形、小切手の取立が中止されると共に、一斉に解約され(検第六九~七二号証)、他方、昭和五七年六月一六日、森井義則の手によって株式会社森井組の普通預金口座が開設され、同口座で合計一九通の手形七七七三万五三八〇円の被告会社の所持する手形の取立がなされている(第四三回森井二丁裏)。

これらの事実は正に被告人晴美が供述するように、昭和五七年五月二五日に前回脱税に掛かる税金二〇億円余りの納付をしたその後に売上除外することを最終的に決意し、これを実行したことを物語っているというべきである。

(二) そして被告人晴美のこのような動揺に止めを刺し、売上除外を実行することを決意させたのが新屋税理士の、「査察の入った直後には税務調査はない、やるなら今です」との言葉である。このことは、前述の草竹宏子のメモによって明らかであり、又被告人晴美も直接的ではないが、これを原審における供述で認めている(第九〇回被告人晴美一二丁では検察官の査察の後はすぐに査察に入られないといっったのは誰かとの質問に、氏名を明らかにすることを辞退し、更に新屋税理士ですかとの質問に対して沈黙している)。

又、売上除外を決行するためには、売上帳等の改竄をしなければならないが(被告人晴美は大阪の各銀行に開設した被告会社名義の各口座で手形、小切手の取立をしていたが、当時はまだ売上除外を実行する意思は有しておらず、売上帳等は真実の記載を続けていた。)、この改竄作業は六月以降に実行され、かつ新屋税理士事務所の田村が参加している(売上除外の目的で売上帳等の改竄に田村が加わっていたことは、前記宏子のメモで窺われるが、筆跡によっても客観的に明らかであり、控訴審で立証する予定である)ことによっても裏付けられている。

(三) 尚、被告人晴美の昭和六〇年二月九日付検面調書(検第三四五号証)第四項以下に「しかしながら二~三ヶ月して(査察が入った昭和五六年一〇月二八日のこと―弁護人)調査が進むうち(中略)納めるべき税金や加算税などを合わせると二〇億円位のお金が要ることが分かった」ことから犯意が生じたとある。このこと自体は前述のとおり正しいのであるが、この「二~三ヶ月後」というのは正確ではない。納めるべき税金の額が判明するのは(特に重加算税が手続ミスの部分にまで賦課され合計二〇億円を越えた。)、その後更に調査が進んで修正申告をする時期である昭和五七年五月に入ってからのことである。

又、右検面調書では、この二~三ヶ月後ということとの関連で三和銀行梅田支店の口座開設が昭和五六年一二月一二日付であり、この口座設定は裏の預金口座として開設したとされている。しかし当時は被告人晴美自身は売上除外を実行しようとは決心しておらず、従って口座は全て草竹コンクリート工業株式会社名で開設されており、かつ全ての取引を全て帳簿にそのまま記載していたのであり、帳簿の改竄はしていなかった。このような誤った記載がなされたのは被告人晴美に最終的に売上除外を実施することを決意させた新屋税理士の名前を出すわけにはいかなかったからである。もし帳簿を後に改竄したということになれば、そのキッカケを説明せねばならず、又、新屋税理士、同税理士事務所の田村が関与していることが筆跡などからすぐに判明してしまうからである。

又、前記大阪において設定した各銀行から取立てた手形、小切手による入金については、「それぞれ適宜出金をして金地金、債券等を購入していたが」とあるが、それらは当時会社資産として計上していたことにも留意されたい(第七九回被告人晴美二三丁裏)。

二、本件反抗に至る経過について

前述のとおり、被告人晴美が昭和五七年七月期において最終的に売上除外を実行しようと決意し、それまで大阪において開設していた各銀行の被告会社名義の口座によって取立てていた手形、小切手による入金及びそれを引き出して購入していた金地金、債券については全て帳簿に記載していたにもかかわらず、これを改竄し、かつ各口座を全て解約したのは、新屋税理士からの“査察の直後は税務調査は入らない、やるなら今です”との教唆によるものである。

本件の如く、前回の査察がなされているのに、その刑事裁判の審理中、あるいは執行猶予判決がなされて間もない時期に、当該被告人が再度同じ犯行を再開する等ということは全く考えられないものである。

被告会社の法人税の申告書類は被告人らが作成するわけでもないのであり、しかも昭和五七年七月期については総勘定元帳自体が昭和五六年八月分から新屋税理士事務所でコンピューター入力で作成されていたのである(検第二三八号証の総勘定元帳)。従ってもしこの段階で総勘定元帳の基礎となるべき各関係帳簿が真正に作成されていなければ直ちにそれは新屋税理士事務所において判明し、新屋税理士はこれを中止させるべく指導することが本来求められている。しかしそのような処置は当時は全くとられておらず、逆に、昭和五七年六月になって前記大阪における各銀行口座が一斉に解約され、株式会社森井組名義の銀行口座で森井義則の手で手形が取立てられるということがなされているのである。従ってその段階で売上除外が発覚しない手立てが専門家による助言の下でなされたというべきである。

売上帳等の改竄の一部は新屋税理士、及び同税理士の事務員である田村郁雄の手でなされていることが前述のとおり証拠上明らかであり、新屋税理士らが改竄に協力した以上、更にそのことが発覚しないような手立てを助言するしかなかったのである(前回の査察がある以上、見て見ぬふりをして放っておくというわけにはいかず、かつ売上除外が発覚すれば売上帳等の改竄に新屋税理士が関与していることも判明することになるのだから、出来るかぎり発覚しないような手段を被告会社にとらせる必要がある)。

しかし前述のとおり、専門家による助言によるとみられる処置がとられたのは昭和五七年六月の口座解約と森井組の口座による手形取立てのみなのである。又、売上げ除外が査察の入った翌年である昭和五七年六月期と昭和五八年七月期とで著しく異なっていることにも留意すべきである。

更にもともと本件の如く前に査察が入っており、刑事訴追を受けているようなケースについて、どのような大胆な人間であっても、利害対立のある者も含めて関係者が多数存在し、物的証拠も多数存在するような本件の如き脱税事件について、刑事事件として訴追を受けていながら、又執行猶予期間でありながら同様の手口で脱税をする等ということは到底考えられないのである。

発覚することはないという余程の自信、確信がなければこのような大規模な売上除外が出来る筈もない。

そしてこの発覚しない大丈夫だとの言葉の下で被告人晴美は売上除外の実行を決意し、その準備行為としての売上帳の改竄、被告会社名での大阪の各銀行口座の解約(検第六九~七二号証によれば昭和五七年六月一七日、一八日に解約されている)、森井組名義の銀行口座による取立て、実行をしたのである。昭和五七年八月以降は現金による取引についての売上除外しかなされていないのも、「査察に入った直後の申告については税務調査はない」という言葉を前提にしてはじめて理解できるのである(大阪の銀行口座を解約したこと等は、検第三三六号証の被告人晴美の質問顛末書問三、四項。昭和五七年七月期と昭和五八年七月期とで売上除外が極端に違うことについては検第三四五号証の被告人晴美の検面調書九項、又昭和五七年六月までは売上除外はしておらず〔売上帳等の帳簿上正当に記載しており〕、六月になって除外の措置をとった〔売上帳等を改竄した〕ことを示すものとして検第三三八号証の被告人晴美の質問顛末書二項に『そして今回の簿外現金が出た昭和五七年六月にこれを会社に返したのです』との記載がある)。

要するに本件の売上除外(昭和五七年七月期四億円余り、昭和五八年七月期九二〇〇万円)は、「査察に入った直後の申告については税務調査はない」という発言によってはじめて被告人晴美が実行を決意し、実行されたものなのである。

原判決は右事実を見逃しており、右事実誤認は量刑に著しく影響することは明らかである。

前述のとおり被告人杉晃は本件売上除外については一切関与しておらず、又その点について何らの認識を有していないと確信する。仮に被告人杉晃の関与、認識について弁護人らと異なる結論に立ったとしても、右の如く本件売上除外は新屋税理士の存在があってはじめて実行するに至ったものであり、被告人杉晃を実刑に処するのは苛酷に過ぎるというべきである。

本件について主導的役割を果たしたのが被告人晴美であり、かつ被告人晴美においても新屋税理士の前記教唆なくして本件犯行、少なくともその中心部分を占める多額の売上除外を断行するとは到底考えられないからである。

尚、念のために付加するが、新屋税理士が最も悪い等と主張する意思は当弁護人にはない。新屋税理士が「教唆」したとはいっても、それは被告人晴美の落胆状況をみて、同情して思わずいってしまったのであろうし、当初税務署と話をしていた時には一七~一八億円の納税で済むと考えていたところが、結果的に二〇億円を越してしまったという経過もあって、特に棚卸しや枠代の処理については申告時の経理ミスであったということもあり、その責任上、このような助言をしてしまったものと当弁護人は考えている。

ただ、そのような発言をしたのが税理士という専門家であったため、結果的に被告人晴美に脱税の決意をさせてしまったのである。

三、被告人晴美の関与なくして生じた申告からの遺漏について(未経過帳簿押収に原因するもの)

1(一) 昭和五七年七月期の所得の計上については、昭和五六年一〇月二八日の第一回目の査察調査による関係帳簿の押収よって昭和五六年八月一日から同年一〇月二八日分の進行中の未経過部分の帳簿の一切が押収されている。帳簿等が押収されている昭和五六年八月一日から一〇月二八日分についての所得計算については、被告会社からは新屋税理士に一切の資料を提出することが出来ず、この間の部分については新屋税理士が国税局との間で各資料の返却、コピー謄写の交渉を経て、この期間の帳簿等の資料を入手した上、昭和五七年七月期の決算と申告書の作成の作業を行っているのであり、被告人杉晃、同晴美はこの間の事情は一切知らされていない。

(二) ところで、原審検察官冒頭陳述書別紙番号(4)、(5)の記載の第三相互銀行奈良支店、近畿相互銀行奈良支店の各預金口座にかかる売上除外については、被告人晴美がなしたものではない。右各銀行口座は前回昭和五六年一〇月二八日の査察によって簿外口座であることが既に税務当局によって把握されていたものであって、常識的にもこの口座で取立てた手形、小切手などを売上額から除外することなど考えられないからである。

ところで、昭和五七年七月期の決算書の作成作業は新屋税理士事務所で行っているのであるが、同税理士事務所では昭和五六年一〇月二八日に第一回査察があり、この査察の結果を踏まえて、昭和五七年七月期の期首受入をするためにも、又昭和五七年七月期の被告会社の関係帳簿たるべき昭和五六年一〇月二八日までの分が全て押収されており、結局、新屋税理士事務所において国税局と交渉をして関係帳簿を閲覧する必要があったこともあって昭和五六年八月分から昭和五七年一月までの総勘定元帳は新屋税理士事務所において作成されていたのである(第七九回被告人晴美三〇丁以下)。

従って、昭和五六年八月一日から同年一〇月二八日までの帳簿はコピー等も含めて昭和五七年九月における昭和五七年七月期の決算、申告書の作成時まで被告会社には存在しておらず(勿論査察対象である昭和五四年七月期から同五六年七月期までの帳簿等も押収されている)、この期間分に対応する期間の収支の調査、計算等の作業は全て新屋税理士事務所に任されており(又任すしかなかった)、被告人晴美らが介入する余地はなかったのである。

従って、前記第三相互銀行奈良支店、近畿相互銀行奈良支店の各預金口座にかかる売上除外については、被告人晴美は関与していないのである。尚、新屋税理士の昭和五九年八月三〇日付質問顛末書は原審弁護人が同意しているため証拠能力を否定できないが、その中で「昭和五六年七月期末で簿外となっていた受取手形二億九百万円余りは全部この口座で取立てた。従ってこの二口座の入金総額から二億九〇〇万円余りの簿外受取手形を差引いた残額を申告してくださいと指示されました。そこで当会計事務所はこの二口座の入金額から二億九百万円余りを差引いた残高一千四百万円余りを公表売上金額に加算して申告した」とされている。

しかしながら被告人晴美の手元には一切の帳簿が存在しないのであって、簿外手形がいくらであるのか全て不明であり、又それらの手形がどこに流れているのかも全く不明であって、このようにいえるわけもない。現に簿外手形のうち一七九〇万円は公表口座である第一勧業銀行奈良支店で取立てられている(第五七回新屋二二丁以下)。

しかも前記調書によれば、そのような話をした時期は昭和五七年五月頃とあるところ、その頃は前回査察も既に結末をむかえており、これを受けて修正申告をする作業を、国税局と打合せを重ねる中で、新屋税理士は進めており、被告人晴美に聞かずとも売上除外に対応する簿外受取手形については全て国税局から知らされるか、あるいは調べればわかることである。いずれにしろ、被告人晴美に聞いた等ということは極めて不自然である。

どのような事情で前記二つの簿外口座から取立てられた売上金額からの売上除外がなされたのか、又その額がいくらであるのかは被告人晴美は全く知らず(第七九回被告人晴美二〇丁)、新屋税理士が一方的になしたものである。新屋税理士は意図的になしたものではない旨供述しているが(第五七回新屋一九丁以下)、昭和五六年八月一日から同年一〇月二八日までの分の売上が漏れたのが、新屋税理士の意図によるものか否かは別にしても被告人晴美自身は全く知らないのである。

従って、原審検察官冒頭陳述書別紙一三記載の第三相互銀行奈良支店、近畿相互銀行奈良支店の各簿外口座から売上に計上すべき三二四五万九〇二八円を一四二六万〇二七六円しか計上しなかったことの責任は新屋税理士にあり、被告人晴美はこの金額が除外されていたことも全く知らないことに留意すべきである。被告人杉晃については会計、税務処理に全く関与していないのであるから同人についてこの点の遺漏について全く認識が存しないことはいうまでもない。

(三) 原審検察官冒頭陳述書別表18債券償還益の(2)の公表割引債券に関する所得不計上についても、(一)と同様被告人晴美らが全く関知するものではない。

もともと被告人晴美らにおいて、債券償還益を計上すべきなどということは全く知らず、全て新屋税理士段階での処理であった。特に公表割引債券一五億円分については昭和五六年一〇月の査察の結果、被告会社に受入れられたものであり、それらの計算書は全て国税局に押収されており、しかもその閲覧も拒否されたため新屋税理士らが懸命に調査計算したものの、結果的に正当な債券償還益八四二〇万三〇七〇円のうち二六〇四万〇三三〇円が申告漏れとなったものである。従ってこれは被告人晴美の全く関与しないものであって、新屋税理士の計算上のミスによるものであり、しかもその原因は主に国税局が押収している計算書を新屋税理士に開示閲覧しなかったことにある(第五七回新屋二四丁以下)。

四、固定資産除却損問題と量刑不当について

前述のとおり、被告会社滋賀工場のセラミック設備機械についての除却損計上は正当なものであるが、仮にそうでないとしても以下の事情を量刑上重視すべきである。

1 まず、セラミック設備機械の除却損として認容できるか否かは、有姿除却、評価損に関する税務、法律上の解釈の問題であることは既述のとおりである。

しかもバーナー技術センター製造のトンネルキルン(否認額五五〇〇万円)、中部熱工業製造のスプレードライヤー(否認額三四七八万四〇九四円)、林正産業製造の原料タンク二基(否認額一〇四七万五〇〇〇円)、有本鉄工製造の原料タンク一基(否認額八五〇万円)、攪拌タンク二基(否認額六六六万六六六七円)については、中部熱工業、バーナー技術センター等の主張を入れて、各社に改良改善をさせ、又前工程である空気輸送装置(五〇〇万円)、泥漿前処理装置(一五〇〇万円)を別注して試運転させたが、結局被告人杉晃の認識どおり、採算に乗るだけの性能を発揮することが出来ず、結局関係メーカーとの和解が成立するのと前後して昭和六二年七月段階で完全に操業をストップしたのである(第五三回古川彪四三丁)。

要するに原判決の事実認定、解釈を前提としても、少なくとも昭和六二年七月期、あるいは遅くとも昭和六三年七月期にはセラミック製造設備関係の機械全てについて、除却損の計上が出来ることが確定しているのである。

従って、前記セラミック製造設備機械のうち、原判決によって除却損が否認された各機械、設備については結局のところ、除却損の計上時期の問題であったことが明らかである。

従って、固定資産除却損の否認額一億一二七七万円については、遅かれ早かれ固定資産除却損が認容されるのであるから他の売上除外等の秘匿等とは著しく性質の異なるものとして量刑上十分に考慮すべきである。しかるに原判決はこの点を量刑上全く考慮していない。

2 更に既述のとおり、被告人杉晃は税務、会計上の知識は全くなく、除却損なるものによって損失計上されることは全く知らないのであって、セラミック製造設備機械の除却損の計上は被告人杉晃が言い出したわけではなく、新屋税理士の事務員である田村が被告会社の総勘定元帳上に取毀し費用計上されており、田村が新屋税理士に損金で落ちるかどうかを聞いたことがきっかけとなって、毀したものは何かということが問題となって除却損の計上を検討することになったものである(第八回新屋一七丁、同五八回二七丁、第五四回田村二七丁等)。

従って被告人晴美はもとより被告人杉晃は固定資産の除却損計上については全く積極的な関与はしておらず、この点についても被告人両名の量刑上十二分に考慮されるべきである。

しかるに原判決はこの点について、既述のとおり、被告人杉晃が損失で落とそうとして積極的に、除却損の計上を新屋税理士に求め、性能に全く問題のない設備機械についてまで全く駄目だと虚偽の事実を新屋税理士らに告げて虚偽の損失計上をさせたものと事実誤認をし、この点についての被告人杉晃の刑事責任を厳しく評価しており、量刑判断を誤るに至ったといわざるを得ない。

3 尚、前記(二)のとおり、バーナー技術センター製造のトンネルキルン、中部熱工業製造のスプレードライヤー、林正産業製造の原料タンク二基、有本鉄工製造の原料タンク一基、攪拌タンク二基についての否認された除却損合計一億一二七七万円については、更正決定に対して異議申立はしたものの、このような場合は通常であれば前述のセラミック製造プラントの計画が現実に失敗し、続行を中止し、操業を放棄した段階で再度除却損計上をしておかねばならないのに、このような処置が全くなされなかったために、異議申立がなされたもののそれが認められなければ(原判決の認定を前提とすれば認められる余地はない)、結局支払う必要のない税金、住民税、事業税合計二億六九〇〇万円余りを支払わされてしまうのである。

本来、国税当局において、本件除却損の計上問題については前述のとおり、新屋税理士、藤井税理士が申告の前後に数回にわたって税務署と協議の申入れをしていることによって明らかなように、基本的には固定資産除却損計上に関する解釈の相違の問題である。

固定資産除却損の計上は、もともと減価償却という形で損失、経費計上することができる資産について、特別な事情が存在する場合は、年次減価償却をすることなく一時期に償却、経費計上をするという制度である。従って、もともと経費計上が出来るものであって、特別な事情で一定時期において非常に多額の利益が生じた等という事情がない限り「脱税」云々という問題に馴染みにくいものなのである。しかも仮に当該申告期における除却計上が認められないとしても、当該設備機械による生産を中止することが、納税者において前提となっている場合は、適切な行政指導をなすことによって、納税者はこれを受け入れることが十分に出来るのである。本件についていえば、被告会社において真に当該設備機械によるセラミック製造を中止するというのであるから、取締役会の議決をすることを求めたり、前述のように外形上ラインを稼働させた場合にとるべき措置について適切な指導すればよいのである。そのような行政指導をして当該年度については修正申告を促し、次年度以降に右の如き税務当局が有姿除却と認定するに足るだけの措置をとった上で、その段階で除却損計上をさせるのが税務当局のあるべき姿である。

新屋税理士らは有姿除却に関する税務当局の見解との相違が生じるかも知れないことを考えて、行政指導を求めるべく再三にわたって税務署に赴いているのである。正に適切な行政指導、あるいは修正申告で処理すべき問題であったのである。

本件についても、国税局の査察担当者は、当初は滋賀工場におけるセラミック製造プラントの除却損問題は、刑事事件の立件から外すべきものと考えていたということも右事情を端的に示している。

要するに、本件の除却損の計上の問題は、もともと立件をすること自体に重大な疑問点があったのである。

しかも、被告会社は前述のとおりの税務当局による適切な行政指導を受けられずに起訴されただけでなく、単に更正決定に対する異議申立てをしただけである。本来適切な行政指導を受けていれば(本当に当該設備機械による生産を中止するというのであれば、更正に対する異議ではなく、廃止を明確にした段階で別に当該設備機械について除却損計上をすることを勧めるのが、通常の税務当局の姿勢である筈である。しかし本件ではそれがなされず、被告会社も更正決定に対する異議申立てしかしていない)、前述のとおり前記各設備機械について、昭和五八年七月期において否認させられた除却損部分については、一定段階で当然除却損計上が認められるのに、そのような処置はなされずに、現在に至っている(但し、これは現在なされている昭和五八年七月期の更正決定に対する異議申立が認められないことが前提となっている。従って、原判決における除却損問題の誤りが是正されれば過納にはならない)。

更に、固定資産除却損計上に関する税務当局の適切な行政指導がなされなかったこともあって、後述のように、被告会社は昭和五八年七月期に固定資産除却損計上をしていなかったセラミック製造設備機械(当時代金未払いであった各機械)について適切な固定資産除却損の税務処理、税務申告をなさなかったために、後述のとおり過剰に納税した関係税金は合計して二億六九〇〇万円余りを過剰に納税しているのである。

この点も量刑上考慮されるべきである。

五、売上除外、固定資産除却損以外のつけ込み、仮装計上と被告人杉晃の犯意、関与状況について

1 個人経費の被告会社のつけ込み、資産計上すべきものを経費として仮装計上したことについての被告人杉晃の犯意、関与状況については、弁護人の基本的認識は事実誤認の項で詳細に述べているとおりであり、被告人杉晃はこれらに一切関与していないと信じる。

2 しかし予備的に以下のとおり主張する。

被告人杉晃の前科である脱税事件は売上除外(売上時期の繰延べによるものを含む)がその中核であり、それに若干の架空仕入れの計上、棚卸しの一部除外であったことである。その税務処理、会計知識について全くの素人であり、新製品開発のために日夜熱中し、いわゆる「専門馬鹿」的側面が存することを否定できない被告人杉晃においては世上ママみられる違法な「脱税」と適正な「節税」との区別がつかない人物である可能性が存することも十分に留意されたいということである。

売上除外が脱税にあたり、これが処罰されることはいかに税務に疎い被告人杉晃であっても、現に脱税に問われて取調べを受けた以上これを認識して当然である。

しかし、仮に機械設備等の資産となるべきものの購入を材料費や消耗品として処理するとの認識を有しているとされた場合でも、更に「脱税」であるのか、「節税」であるのかの区別がついたのかどうかを十分に検討する必要があるのではないかと弁護人は考える。そのように考えてはじめて被告人杉晃の本件との関わりの状況が理解できるのではないだろうか。

個人の住宅、家具等について、これを会社資産として計上し、これを代表取締役が賃借するという形で処理することは世上比較的よくあることであり、これを税法上は「適法」であり、合法的な「節税」と考えている人々は少なくない。又資産計上するか材料費、消耗品計上するかによって、税務上の処理が具体的にどのように変わってくるかを知らない人々も世上少なくない。このような実態が厳に存在しており、被告人杉晃が経営者ではあっても、技術畑一筋の「専門馬鹿」的性格の強い人物であること、又前に査察を受けたとはいっても具体的な会計、税務申告には全くタッチしておらず、被告人晴美、新屋税理士に任せきりだったため、必ずしも具体的な問題点についての認識が不十分のまま判決をむかえたこと、又前件において税理士、弁護士から適切、具体的な指導、指示がないままに終わってしまったということを考えれば、結果としてつけ込み、仮装計上が行われてしまったということも十分にあり得ることではないだろうか。

ところで、宏子も何回か帳簿類の改竄に従事していたのであるが(原判決一五丁)、その宏子にしてからがそれが脱税の準備行為であることを理解することが出来なかったことが右メモから窺われるが、このことは前記(一)の被告人杉晃の「脱税」の認識状況の可能性に関する当弁護人の推測の根拠のひとつとなる事実ではないかと思料する。

3 少なくとも昭和五六年七月期までは設備機械等について、これを型枠等といった経費に仮装計上する等をしたことは一切なかったことは明らかであり、被告人杉晃において積極的に型枠として仮装するべく内野に指示したということはあり得ないのである。これは既述のとおり被告会社においてそのような仮装処理をしたことはそれまで一切なく、又被告人杉晃においては会計上、税務上の知識は全くなく、このような手法を思いつく筈もない。又内野が関与したもの以外にはこのような仮装処理をしたものは一切なく、内野が関与したセラミック製造設備機械についても、もし被告人杉晃の指示にもとづくものであったとしたら、その他のセラミック製造設備機械のメーカーであるバーナー技術センター、中部熱工業、丸善エンジニアリングに対してもこのような働きかけが、そして執拗な働きかけがなされていなければならないのに、中部熱工業に対しては一度だけ内野からの請求書の書換えの要求があっただけで(検第一八七号証田中義治の質問顛末書問四)ある。

4 ところで、3記載のセラミック製造プラントの設備機械について、バーナー技術センター、中部熱工業、丸善エンジニアリング関係以外の各メーカーにかかる設備機械について、設備機械ではなく型枠という形で請求書が作成され、又型枠代金として支払いがなされているのは事実である。

右処置については被告人杉晃が関与していないものであることは事実誤認の項の中で詳論したとおりである。

ところで、当弁護人らはこの点については被告人杉晃に対して何回も追求し、確認をしてきた。被告人杉晃はこの点について全く何の認識もないと断言しており、当弁護人らとしても被告人杉晃の言を信用している。

もし、被告人杉晃において、セラミック製造プラント関係の設備機械に関して、税金の支払いを免れるべく、不正な操作がなされ、これに被告人杉晃が積極的に関与しているとの認識が存したとするならば、昭和五八年一月に内野が突然「秘密は守ります」との捨てゼリフ的メモを残して退職した際に、内野の不正行為について警察に被害届けを申告する等という行為をするわけがないからである。右内野の「秘密は守ります」とのメモは、要するに内野の件を警察に申告すれば秘密を暴露します、その時は社長も大変なことになりますよということである。このような状況の中で、内野の指摘に心当たりのある者がわざわざ被害申告をするなどということは常識的には一切考えられないのである。

しかし、被告人杉晃は被害申告をしているのである。これは既述のとおり極めて重大な矛盾であり、この点を解明することなくして、被告人杉晃の売上げ除外、つけ込み、経費としての仮装計上等の脱税に関する関与状況、認識状況を解明したことにならない。この点について全く触れていないことは重大な争点に関する判断を回避したものとして審理不尽、理由不備とのそしりを免れない。しかし原判決は、被告人杉晃の右行為について全く触れていないのである。しかし、右被告人杉晃の右行為とセラミック製造プラントの設備機械にかかる仮装計上問題についての被告人杉晃の関与状況、認識状況とは表裏一体、密接不可分の問題というべきであり、避けて通ることは許されない。

仮に、原判決の如く、セラミック製造プラントの設備機械代金の仮装計上について、被告人杉晃がこれを知っていたと認定しようとする場合(控訴趣意書第一部で詳細に主張したとおり、弁護人らは被告人杉晃が仮装計上を認識していたとは考えないが、少なくとも、仮に原判決の如く認定する場合でも、証拠上極めて多岐、多方面についての疑問が存在することに留意すべきであり、この疑問も以下の問題の中で生じたものであるというべきである)、前記内野事件を警察に進んで申告したことを矛盾なく説明するためには、被告人杉晃の認識内容について次のように解するしかない。

即ち、被告人杉晃は設備機械の代金の仮装計上を不正な「脱税」のためとは必ずしも認識していなかったと解するしかないのである。

当弁護人らは設備機械代金の仮装計上については内野の考え出したものであることは疑いがないと確信し、被告人杉晃らがこのようなことを考え出したものでないことも確信している。そして内野が仮装計上問題を「爆弾」として被告会社による「告訴」防止の重要な武器にしようとしていたことも間違いないと思料している。

しかし他方、内野において仮装計上問題を被告人杉晃に隠そうと意図していたとは必ずしも考えられないかも知れない。もし仮装請求書をこっそりと紛れ込ませたとして、被告人杉晃がこれを発見した場合、それを端緒として内野の不正なリベート問題等が被告人杉晃に発覚してしまうからである。

内野としてはこのような危険を犯して、仮装請求書を紛れ込ませるよりはむしろ「節税対策」等と称し、自分や税務に詳しく、税理士資格を有する妻らに任して下さい等と称して安心させ、これを公然と実行させ、いずれリベート問題等が発覚するであろうとの認識の下にそれが発覚した場合には、脱税問題として公にすると被告人杉晃を脅迫して自己のリベート問題についての「告訴」を防止する方法を講じたものと思料される。

他方会計、税務について全くの無知で、関心がなく被告人晴美に任していた被告人杉晃において請求名目、支払い名目問題について全く意にかけていなかったため、昭和五八年一月の段階でも「秘密」云々が脱税問題のことであることに全く気がつかなかったとしても全く自然のことであろう。そしてそれが現在に至っていると理解するのが最も妥当ではないかと思料する。

内野メモの「秘密」なるものが、客観的には設備機械を型枠等と仮装する請求書、支払伝票を作成し、経費計上していたことであり、他方被告人杉晃が被害申告し、かつ公判廷でも「秘密」ということが被告会社が脱税をしたことを意味しているとは考えず、セラミック製品に関する実用新案、特許等の企業秘密であったと思い込み、その旨供述していることも前述の如く解してはじめて理解できることなのである。

六、ところで被告会社は昭和六一年七月期の申告において、セラミック製造設備機械について、チトセ工業の請負代金一億四五〇万円、有本工業の請負代金五〇〇〇万円、サンユー機械の請負代金七〇六〇万円、中部熱工業についての請負代金三三八万三一五〇円について、それぞれ未払金として固定資産として計上した上、それらの除却を「固定資産除却損」を用いずに繰越利益の減額として二億二八九四八万三一五〇円を処理した。

又、昭和六二年七月期の申告において、セラミック製造設備機械についてバーナー技術センターの請負代金一億五八〇〇万円、中部熱工業の請負代金一六五五万六一〇〇円、山本鉄工所の請負代金四〇〇〇万円についてそれぞれ設備機械等の除却を昭和六一年七月期と同様に繰越利益の減額として合計二億一四五五万六一〇〇円を処理した(この点は添付各決算書、井ノ上公認会計士の説明書のとおりである)。

しかし右経理処理は誤りで、既述のとおりこれらのセラミック製造設備機械についてはその段階では、セラミック製造プラント計画は断念され、各設備機械の使用は客観的に廃止されているのであるからいずれも当然固定資産除却損として計上でき、又そうしなければいけないのに誤って前述の如き申告をしている。

即ち、本来であれば各期に対応する決算、申告において、当期利益は、経常利益から固定資産除却損を控除して算出し、この当期利益を基に税額計算を行い、税金を支払うのである。しかるに、被告会社においては、経常利益から固定資産除却損を控除せずに、当期利益を算出し(除却損分は前期繰越利益の減額として処理した為)、過大な税金を納付する結果となったのである。

その結果昭和六一年七月期において、法人税九九七五万円余り、事業税二七四一万円余り、住民税一九四九万円余りの合計一億四六六六万円余りの税金を誤って過納してしまった。昭和六二年度については、法人税八二九二万円余り、事業税二二四五万円余り、住民税一七六〇万円余り合計一億二二九七万円余りを誤って過納している(以上は井ノ上公認会計士の説明書のとおりであり、控訴審で立証予定)。

原判決は、被告人杉晃に本件法人税ほ脱の犯意が存在すると認定した理由として、「被告会社の確定申告の方法や本件各確定申告時における被告人杉晃らの言動等」をあげ(一九丁裏)、「本件各確定申告が虚偽過少のものであったことを被告人杉晃が知らなかったとする同被告人の公判供述や査察・捜査段階における供述はそれ自体まったく信用しがたいというべきである」としており(二〇丁表)、更に(量刑の理由)において、被告人らが「合計三億円余の法人税を免れた事案である」とし、「ほ脱税額は右のとおり巨額であり」としている(七二丁表)。

しかしながら、被告人杉晃らは前述のとおり合計約二億六九六三万円余りという巨額の法人税、事業税、住民税等を過納してしまっているのである。この過納問題は同時に被告人杉晃らが税務会計上の知識がまったくなかったことを端的に示している。

このようにして、原判決が前記のように「被告会社の確定申告の方法や本件各確定申告時における被告人杉晃らの言動等」を被告人杉晃に法人税ほ脱の犯意が存在した理由としている認定には疑問を抱かざるを得ない。

ところで昭和六一年七月期、昭和六二年七月期の各申告において、前期繰越利益から固定資産除却損相当額を減算処理する等ということが誤った会計処理であることは、税務担当者であれば一目瞭然であり、この確定申告書を処理した税務担当者は確定申告書、添付の決算書を見れば当然知り得べきことなのである。然るに税務担当者はこれを一切放置していたのである(通常税務署では各法人ごとに申告、決算書を歴年で綴っており、当期の税務申告の検討の際には、各年度の決算書を対比して検討をするのが普通であり、前年度の利益計上されていた額が、当年度の繰越利益が減算されていることに当然気付くのである)。

前述のとおり、昭和五八年七月期にかかる本件で問題となっている固定資産除却損の計上についても、仮に本件固定資産除却損が否認されるべきとしても、当然に税務当局は被告会社に対して適切な行政指導(否認はしたが、被告会社が生産を中止するというのが本当であれば、取締役会の決議をする、あるいは被告会社が主張する理由でラインを稼働するということであれば、これに応じた適切な措置をとることを求める等の指導)をすることが、税務当局には要求されているというべきである。しかるにそれをせずに脱税として苛酷な対応をとることに終始したため、被告会社は本来後年度において認められるべき固定資産除却損を計上する機会を逸し、不要な税金を納付してしまった。現在ではこの誤って納めた税金の還付を受けられないのはいうまでもない。

自主申告制度をとる以上、右の如き誤って過剰に税金を支払ってしまったことの責任は被告会社にあることは弁護人らも認めざるを得ないと思料する。しかしながらやはり釈然としないものが心に残るのである。

税務申告について、過少申告については刑罰をもってまで対応しているのは納税の公正さを維持し、国民の納税意識を高めるためであることはいうまでもない。

しかし国が納税についての公正さについて、責任をとらず、過少の納税ならば刑罰をもって取り締まるのに、税金の過納については一切目をつむり、頬被りをするといったことが許されるべきではない。そのようなことを許せば国民の納税意識は著しく低下し、刑罰をもってしても納税の公正さを維持すべきとする法の理念に著しく矛盾する結果となってしまうことは明白である。

確かに自主申告制度をとる現行法人税法においては、誤って税金を過大に申告し過納している場合について、これを国が積極的に是正し、税金を返還すべき義務までも課しているわけではない。しかし、自主申告制度、適正な自主申告制度を実現するためには、税務当局には懇切で、適切な行政指導が不可欠である。このような姿勢を国家権力、即ち税務当局がとることによって、はじめて民主主義社会において適正な納税の義務を刑罰権の行使をも背景に実現することが許されるのである。税務当局の不適切、不親切な対応を放置して、他方で過少納税には場合によっては、刑罰を科する等ということは専制君主下でのそれとかわるところはない。クリーンハンドの理念は刑罰を適用するときも十分に斟酌しなければならず、特に量刑上は十二分に考慮すべきである。本件について、もし親切、丁寧な税務行政がなされていたら、即ち、固定資産除却損についてはこれを否定していたのであるから、その後のセラミック製造プラント機械はどうなったのかを聞き、製造中止となっていたのなら、有姿除却が可能であること、その方法を教えていたのならこのような膨大な過剰納税はなかったのである。

少なくとも新聞報道等による社会的地位、信用の顕著な下落以外に、被告会社は結果的に合計二億六九〇〇万円という巨額の不必要な金員の出費をなしてしまったということ、逆に国家はこれによって巨額の利益を得たことは、被告人杉晃の刑事責任、量刑を考慮する上で十分斟酌されてよい。

七、原判決は森井義則らによる証拠隠滅工作をもってその犯情の悪質さを断罪する。

ところで、森井義則は一見すると被告人杉晃の形責を軽減すべく動いているかの如く見えるが、結果的にはそうではない。

むしろ本件が第一回目の査察後、どのような経過で敢行されたのかという真相、被告人杉晃が売上除外には一切関与していなかったこと、あるいは支払いの仮装計上、つけ込みと脱税に関する被告人杉晃の認識状況などについては、逆に森井らの殊更な行動のために、かえって被告人杉晃が被告人晴美と同一の認識状況であるのではないという疑い(だから森井が暗躍しているとの疑い)を生じさせるに至っているのである。

査察官らとしても税務会計上の知識を有しない被告人晴美(しかも当時入院中であった)や本件について、全く事実関係を承知していない被告人杉晃では調査は全く進展せず、又新屋税理士が身を引いたこともあって、税務、会計上の知識を有しており、本件についてある程度の事情を知っている者として、森井の積極的関与、協力を強く求めていたことを見落とすべきではない。

既述のとおりの内野問題によって浮かび上がってくる架空の経費計上問題等についての認識状況、即ち脱税認識までは有しておらず、又売上げ除外について全く知らなかった被告人杉晃の状況を踏まえると査察実施直後の状況は全く異なった様相を呈する。

元々経理、税務上の知識が全くなく、脱税について全く知らされていなかった被告人杉晃が、しかも経理、税務を担当していた被告人晴美が入院中ということで全く事情が判らず、新屋税理士にすがったものの、新屋税理士が相談に預かることを辞退したため、森井に頼りきるに至ったのは当然である。

全く事情が判らず、森井が税理士事務所の元事務員で、「専門家」であると信じていた被告人杉晃が森井の指導するままに関係書類を用意し、供述指導に従うのも又当然である。

原判決は想定問題集を云々するが、このようなものを作成していたことこそが、森井が「専門家」として振る舞っていたことを端的に示している。森井は税理士事務所の元事務員ではあるが、法律事務所の古参の男性事務員がしばしば依頼者から「先生」と呼ばれることがあるように、被告人杉晃にとっては「先生」なのである。被告人杉晃の専門家に対する評価は時として信仰的でさえある。そのような被告人杉晃が森井の指導に従ったとしても原判決の如く悪質極まりない等というのは妥当ではない。森井は真の意味での専門家ではなく、逆にいわゆるセミプロ的人物が犯しやすい誤り、即ち徹底的に事実に依拠してそれを踏まえて具体的対応、即ち積極的に対応していくか、あるいは防禦に徹するかを検討することなく、予断、思い込みにもとづく、対処療法的な対応を指導してしまったために罪証隠滅等とのそしりを受けるに至ったものである。

当弁護人は被告人に対する誠実義務は厳然として存在していると思料する。弁護人の誠実義務とは弁護人自身の心証に徹底的にこだわり、弁護人が納得出来ないことは徹底的に被告人に問い糾し、弁護人として客観的な真実を把握することであると信じている。弁護人の誠実義務を遂行する中で形成された心証の下でどのように弁論を展開するのが最も被告人の利益になるのかということが次の問題となるのである。これらの問題点を解明し、客観的な真実を追求することは必ずしも困難ではなかった筈である。そのような立場から考えると原判決が断言するが如く、森井らの行動について被告人杉晃らにのみ責任があるとの判断については異議を述べざるを得ない。

八、最後に

本件の如き虚偽過少申告罪等の税法違反事件について、一般予防的見解が強調されること自体を弁護人も一般的には否定しない。しかし一般予防的な効果は基本的には捜査官による犯罪の摘発とそれに伴ってなされるマスコミの報道で十分に達せられるものである。又、虚偽過少申告には重加算税が課せられるのであって、基本的には重加算税の賦課によって特別予防は達せられるというべきである。

本件は確かに原審論告要旨において検察官が指摘するように、一度査察を受け、刑事訴追を受けていながら再度同様の行為をしたというところに「悪質さ」があるのであるが、被告人杉晃自身はもともと前回の件について主導的な立場で犯行に加担していたわけではなく、会計、税務を具体的に担当していた被告人晴美の行為について、被告会社の代表者として、又被告人晴美の夫として、被告人晴美にかわって刑事訴追を受けていたという側面が色濃く存在していた。しかも前回の事件が売上除外がその中核的手法であったということもあり、もともと会計、税務について全くの素人であり、いわゆる「専門馬鹿」的状況にあったため、自動車の運転をしていて事故を起こしてもいけないという意識はあったものの、「節税」と「脱税」との区別もつかないまま、被告人晴美や税務の専門家である新屋税理士らがキチンと処理してくれているものと信頼していたのである。

被告人杉晃は性格破綻者でもなければ、金の亡者でもなく、自己の技術者としての能力と努力を信じて生きてきた人物である。三〇数年間にわたって連日連夜朝早くから夜遅くまで、休日を返上して血が滲むような努力をして二〇〇〇件以上の工業所有権(特許や実用新案、意匠、商標)を取得し、被告会社を現在の状態にまで育てあげてきたという人物と、小手先の、あるいは虚業をなしてあるいは政治的影響力を行使して膨大な財産を形成して脱税をした者とを一緒くたにして、ほ税所得、ほ脱税額はこれこれであるからというような杓子定規な量刑をするなどという安易なことは絶対にしないで欲しいのである。

刑事裁判は被告人と裁判官との全人格をかけた格闘である。被告人杉晃は現在奈良市平清水町においてコンクリート製品を自動化ラインで生産するための新工場の建設に邁進している。

当弁護人らは先日新工場を見学したが(これは被告人杉晃がどういう人格を有しているのかを知るためでもある)、被告人杉晃自身の設計、そして被告会社の従業員の自力によって自動化設備機械以外の工事がなされているのを知って、当弁護人らは改めて被告人杉晃という人間を見直したのである。被告人杉晃は類稀な才能とたゆまぬ努力心をもった人間である。被告人杉晃を実刑に処する等ということは社会的な損失である。むしろ被告人杉晃を社会の中で生かし、社会、公共のためにその才能を発揮させることこそ、本件に対する贖罪になると当弁護人は確信する。当弁護人は弁護人としての責任において被告人杉晃をして社会、公共のために尽力させることを裁判所に対して誓約する。被告人杉晃も必ず弁護人の裁判所に対する誓約を順守し、絶対に裁判所の期待を裏切ることはない。

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